先日、久しぶりのお友達と、食事をして、おしゃべりに花を咲かせました。
本当はレースの話はしないで、ほかのことを話す予定だったのですが、その方が、あまりにも真摯にレースに対する姿勢を持っていらっしゃるので、ついつられて、食事のあとスタバで、時間で追い出されるまで、話し込んでしまいました。
私は、ひょっとして、周りの方からはレースバカと思われているかもしれませんが、違いますよ。
いつも思うのですが、生徒のほうがよっぽどレースバカというくらい、レースが好きな人が多いです。
旅行に出てもレースを見に行くというのはないですし、まあ、どこに行ってもレースの世界にいるから、せめて、自由時間には、ほかのことをしたい。
テクニック、、技術と訳していいものか、、、それに対しても、かなり自由な発想でやっていると思うのです。そもそも正しいものとか正当なものがあるのだろうか、、、、。習っても納得がいかなければ、その方法は採用しない。ただし、ほかの人に伝えるときは、出所と、そのあと自分が変えたところを、はっきり示して、明言するようにはしていますが、、、。
このあいだ、話しかけてやめた、テクニック図というものに対しても、私は、絶対的信用を寄せるものではないと思っています。逆にすべてを図解して示すことは、それのみが正しいというような、間違った思い込みを生むと思うのです。
ただし、多くの人に説明するための非常に優れた方法であることは、疑っていませんが、楽譜と同じくそれだけでは、ただの記号です。コンピューターに入れれば、音は出るでしょうけれど、味も出なければ、魅力も出ない。そこには解釈と表現者が必要で、しかも個性の強い人は、そこに微妙に手を入れて、変えてしまってOKだとおもっています。
そこで、問題となるのは、趣味でやる分にはいいけれど、、、、。
ということかな、、、、。
趣味でやっている分には責任も出てこないし、批判もされない。
ただ、きれいに作っていればいいかもしれない、、、。
極めたい!なんて、くそまじめに考えている人は、そう考えているということだけでももう十分にプロなんじゃないかと思うくらいです。
私なんか、そんな真面目な人に比べると、動機はかなり不純かなと思います。
何か残したかっただけで、たまたまレースが、書けたというだけで、、、そのあときちんとパターンに仕上げるときにはさすがに自己規制を必要とするし、忍耐も必要ですが、かなり楽しく自分がいとおしく思えるレースを作ってきただけで、それは書いているときはかなり無茶な生活をするくらい、少々キチガイ的な時間の使い方をしていますが、すごく努力をしている人に比べると、私のやっていることは、甘いなと思います。
外交的には、プロの顔でやってますが、自分一人で、過ごしているときは、趣味人ですね。
終わりに、これこそは本当の隠れ趣味、、、、
アホかいな、、、と、自分でも思いつつ。たまーにひまになると描いたりします。
頼まれて、描いた時には、2度とやりたくないと思ったほど、これは純粋な趣味です。
だから、頼まれてもやりませんよーー。KUMIKO