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かものはし通信

他是不有吾

「弥勒の月」

2012-06-11 05:43:05 | 
あさのあつこ著 「弥勒の月」 光文社文庫

あさのあつこ氏の小説を初めて読んだ。これも児玉清氏の解説めあてである。
しかし、これは良い。数多ある時代小説の中で、これほど胸を打つ作品はない。
あさの氏は、藤沢周平氏の作品に魅せられて時代小説に手を染めたとのこと。しかし描かれる人物の深み、ストーリーの緻密さは、藤沢氏以上ではないかと思う。宮部みゆき氏の時代小説もなかなかのものだが、自分はあさの氏の時代小説が一番味わい深く、心に浸み通り、読後の充実感が長く続く。つまりぴったり合うのだ。
何が違うのだろう。あさの氏の時代小説の何が図抜けているのだろうか。
「男」の心情表現の豊かさか。
藤沢氏の登場人物は、何作か読んでいるとだいたい考えていることが分かってきてしまう。割合パターンが決まっているのだ。宮部氏もそうだ。男性の中心人物はたいてい人が良く、逸脱している感じが余りない。また、そうした男たちは女と絡んで初めて、より深く描かれ、人間味を持つ。
翻ってあさの氏の男たちは、独立感が強い。そして平凡でない。どの男も、ちょっとした端役の男でもしっかり描かれていて、手抜き感もない。そこが心に染みいる一助となっているようだ。

氏は「バッテリー」などで評価が高いが、だから故、手を出す気にならなかった。城山三郎氏の作品もそうだが、児玉氏の導きの有り難さをつくづく感じる。
この江戸同心と岡っ引きのコンビの作品、もう少し読んでみよう。

「総会屋錦城」

2012-06-10 20:01:17 | 
城山三郎著 「総会屋錦城」 新潮文庫

直木賞受賞の表題作、新人賞受賞の「輸出」、その他のどの短編作品も、とにかく硬派だ。この硬さはどこかで味わったな、と記憶を辿って思い起こされたのは、山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」であった。が、「沈まぬ太陽」ほどの熱はない。もっと怜悧な感じだ。
城山氏の最も初期の短編集だけあり、舞台は古い。昭和30年代である。しかしその時既に「企業戦士」と呼ぶにふさわしい人々が、粉骨砕身働いている。その壮絶な有様が、なぜか懐かしく、羨ましく思われる。生ぬるい今の時代に、沈みゆく日本を重ね合わせてしまうからであろう。

城山三郎氏の小説は初体験であるが、これは結構好みに合うかもしれぬ。硬く品格のある文体。登場する男たちの矜持。自分もいつかこんな小説が書けたらよいな、、、などとあらぬ事を考える。

「政府は必ず嘘をつく」

2012-06-01 05:59:00 | 
堤未果著 「政府は必ず嘘をつく」 角川SSC新書

堤未果氏のアメリカ関連の新書は、全て読んだ。この方の視点、行動力、分析力、本当に素晴らしいと思う。
本書も上梓されたときからずっと気になっていた。書店で目にする度に一旦は手に取る。しかし、どうしてもこれをレジへ持って行くことができない。
理由は自覚している。3.11の話題がしんどい。見たくない。聞きたくないのだ。未だ心を押さえつけている重しを取り除くことができず、震災前の自分に戻れない。そんな状態で、あの原発事故の真実に触れ、その重さに耐えることができそうにない。

だが堤氏と平川克美氏の対談を聴いたとき、沸き上がったのは、これ以上この本を避けていては駄目だ、今読まねば、という強い焦燥感だ。
東京都が受け容れた被災地の瓦礫の処理を、形だけの入札で独占受注した業者は、東京電力95.5%出資の子会社だった。そんな呆れた事実に目をつぶるわけにはいかない。しんどいからと3.11を避けていては、重大なことを見逃し、気づかないうちに目に見えない権力の餌食となってしまう。

本書は、政府は嘘をつく、と題されているが、重要なのはそこではなくその背後の「コーポラティズム」なのだと論じている。想像を絶する資金力をつけた経済界、すなわちグローバル大企業が各国政府と癒着し、政府もメディアもコントロール下に置き、人々が情報操作される。
9.11後のアメリカでは、そのコーポラティズムの成果は遺憾無く発揮され、10年で貧困層は3倍となる。アメリカの所得上位100人のCEOの平均年収は、労働者の平均年収の1723年分。しかもそれは2006年段階で。

同じことを日本で繰り返させてはいけない、と本書は警鐘を鳴らす。
既にその下地は着々とできつつあり、3.11後の政策で、TPPの問題で、情報操作された我々は真に重大な問題からうまく目をそらされ、些末な問題を大きな問題だと思い込まされ、水面下でコーポラティズムが巨大な利権を次々と手にして膨らみつつある。
我々は顔のないただの「消費者」ではない。単に生産を支える「数」でもない。名前、生きてきた歴史、将来の夢、健やかな暮らしを手にする権利を持つ「市民」だ。この人間としての尊厳を守るために、真実を見抜く目を持ち、考え、行動するのだ。

昨日ニュースでしきりにシリアの映像が流れていた。NHKの夜7時のニュースでは、怪我をしたシリアの幼児がいきなりトップで映された。TVニュースで、海外紛争のニュースをトップに衝撃的な映像付きで流す。直接日本人が巻き込まれたわけでもなく、特に中東問題はこれまで中途半端な報道しかされていなかったのに。
何か恣意的なものを感じるこうした出来事を、日常の一つとして流してしまわず、そこで覚えた違和感を大切にせねばならない。

「そうか、もう君はいないのか」

2012-05-31 05:21:53 | 
城山三郎著 「そうか、もう君はいないのか」 新潮文庫

実を言えば、城山三郎氏の著書を読んだことがなかった。それがなぜ今頃になって手を出したのか。
書店に設けられていた児玉清氏を追悼するコーナーに、児玉氏が巻末の解説を書いている書籍も集められており、これがその一冊だったわけである。つまり城山氏の作品が読みたかったわけではなく、児玉氏の解説が読みたかったのだ。
もちろん、児玉氏の解説を味わいたければ、本文もちゃんと読まねばならぬ。そこで、生まれて初めての城山三郎、と相成った。

容子さんは、どれほど素敵な方だったのだろう。そして城山氏は、どれほど深く彼女を愛してたのだろう。
若き日の彼女を臆面もなく「妖精」と繰り返し、初夜や新婚旅行の様子も赤裸々に明かし、天真爛漫でおおらかな妻のエピソードを愛情たっぷりに語る。本書は「生」に満ちている。
だからこそ、「生」を失った城山氏のその哀しみ、痛みが胸を打つ。

児玉清氏は解説で、最初に妙な違和感を覚えたと記している。「城山さんの筆致の特徴である、抑圧された表現とは違った溌剌さと活発さに戸惑った」と。そして本書が、初めて城山氏が自身の心を語った、いわば貴重な自伝であることに気づき、"爆発的な"喜びを得たのだそうだ。
そうか、これまで城山氏の作品に触れていなかった自分が本書から得られた感動、喜びは、実は半分くらいだったのか。それはしごく残念なことではある。が、児玉氏のおかげで城山氏の作品に出会えたこと、まずはそれに感謝したい。そしてこれから少しずつ、城山氏の作品に触れていきたいと思っている。

「竹中式 イノベーション仕事術」

2012-05-26 06:18:19 | 
竹中平蔵著 「竹中式 イノベーション仕事術」 幻冬舎

何かと批判の矢面に立たされる竹中氏だが、以前読んだ「経済古典は役に立つ」は大変よい本であったので、氏に対しておかしな先入観はない。
本書も、素直な気持ちで読んでみれば、大半の論点が納得できるし感心した箇所も多い。
" Life is not easy. " であるとしっかり認識し、そこで生き抜いていくためにどんな力を持たねばならないか。本当に厳しい状況に陥り、明るい未来が見えない今の日本において、甘えず、自助自立の精神を貫くことこそ、本当に充実した人生への道だ。竹中氏は、口先だけでなく心からこの国の行く末を憂い、我々を奮い立たせようとしているのだろう。
安易かもしれぬが、氏の叱咤激励に素直に乗っかり、人生の残り半分を闘い続ける。そう腹を決めてみようか。