goo blog サービス終了のお知らせ 

かものはし通信

他是不有吾

みっともない自分

2012-06-14 05:54:20 | 戯言
昨日、ずっと避け続けていたドーナツに、手を出してしまった。
一昨日は、これまた長い間避け続けていたシュークリームに手を出した。
あんた、糖質制限していたのでは?

分かっている。不安なのだ。もうすぐ新しい仕事が始まる。つのる不安を紛らわせたいがために、甘いものに手を出す。食事量が増える。夕食後に何かつまみ始めると止まらない。そうやって自分で体重を増やしておいて、たるんだ身体を鏡に映し、後悔する。これまで幾度となく繰り返していることだ。
自分、いくつだ? 中年になってまで、そんなことをやっている自分が恥ずかしくないか? その弱さ、克服する気はないのか?

みっともない人間にはなりたくない。死ぬまで凜としていたい。
ならばもっと、強くなれ。

求む、ポップコーン禁止令

2012-06-02 05:38:10 | 戯言
近頃の映画館は、ほとんど指定席である。つまり、勝手に席を移動できない。これが一番辛いのは、隣にポップコーンのバケツを抱えた手合いが座ったときだ。
映画の最中、そいつのむしゃむしゃポップコーンを噛み砕く音を、延々と聞かされる羽目になる。しかも甘い臭いも延々と漂い続け、気持ち悪くて仕方ない。
ホットドッグなどならまだよい。大抵はさっさと食べ終えてくれるからだ。しかしポップコーンは、見事に映画を観る楽しみを台無しにしてくれる。その破壊力には抗えない。

そもそもポップコーンを持ち込む手合いは、自宅TVで映画を観るスタイルをそのまま映画館に持ち込んでいるので、周囲に配慮しようという気があまりないのだろう。だから自分の咀嚼音や食物の臭いが回りに与える不快感に、いたって無頓着なのだと思うが、どうだろうか。

映画館にポップコーンというスタイルが米国から持ち込まれたものであることは、誰もが知っているが、ポップコーンをほおばり、床にまき散らしながら映画を楽しむそのスタイルが、本当に良いと思って日本に持ち込んだのだとは思えない。シネマコンプレックスの商戦略だ。シネコンではない映画館にも、以前から確かにポップコーンは売られていた。だが、それを買う人を見かけること、鑑賞しながら食している人を見ることはほとんどなかった。はびこりはじめたのは、シネマコンプレックスが台頭して以降だ。
その商戦略にまんまと乗せられ、日本の良さであった「静かに映画を楽しむ」ことは忘れられつつあるようだ。いやそれ以前に、シネコンしか行ったことがない若い世代は、米国スタイルしか知らないのかもしれぬ。であれば、ぜひともポップコーンの害を認識してもらいたい。

こんなこと、ごく些細なことだ。それでも昔からの楽しみ、日常の中のちょっとした楽しみが、何かにじわじわと侵蝕され、削り取られていくような気持ちになってしまうのは、疲れているのか。時代にうまく乗れなくなっているのだろうか。

スターバックスにて思う

2012-05-29 05:39:23 | 戯言
最近スターバックスへ行くことが多くなった。別にタリーズとかでもよいのだが、スターバックスならコ-ヒーがもう一杯100円、という特典につられているわけだ。ドトールの方が割安ではあるが、あそこはそれとなく喫煙者を優遇しているので(プロントほどあからさまではないが)、避けている。

コーヒーを飲みながら周囲を観察していると、気づくことがある。マフィンなど菓子系のフードを同時購入する人の多さだ。これには少々驚いている。
しかも、その菓子系フードを昼食にしているらしき人も多い。
君ら、そんな砂糖の塊みたいな食物を昼食にしていて、大丈夫か? 健康を維持できているか?
───いや、自分が目にしている人たちは、たまたまその日疲れていてちょっと甘いものが欲しくなっただけで、毎日そんなものを食しているわけではないのかも。できればそうあって欲しい。
街中にセルフタイプのカフェが林立するようになって久しいが、この手のカフェは従来の喫茶店よりも、菓子系フードの併買へのハードルを下げてしまった気がする。
米国から入ってきたファストフードで、日本人の肥満度は確実に上がったと思っている。そしてそれに拍車をかけているのが、このセルフタイプカフェではないのだろうか。

自分は近頃肥満防止のために糖質制限をしているが、スターバックスで買えるフードはまずない。店頭で売られているものは、どれもこれも糖質たっぷりの危険食物だ。もちろんサンドイッチ類も炭水化物であるから、イコール糖質である。他のカフェも同様だ。
不便である。ゆで卵などをちょっと置いてくれると助かるのだが。
まあ、外食で糖質を取らないのはまず無理ということだな。

日本人はどこまで俗悪化するのだろう

2012-05-27 04:11:29 | 戯言
25日の朝刊に、大手私鉄各社で昨年度中に起きた、客から駅員・乗務員への暴力行為件数の記事が掲載されていた。
4年連続で200件を超えたのだそうだ。JRも含めれば、実際にはこんなものではないだろう。
ジョギングする川縁の公園、橋の下にはゴミが溢れている。どうみても、わざわざここを選んで捨てたのだ。
ネットで情報検索すれば、匿名で他人をこき下ろして喜んでいる人々がどうしても目に入る。

「中国人エリートは日本人をこう見る」では、日本は住みやすい国、日本人はきちんとしている、まだまだ日本は中国から目標とされる国、だそうだが、その評価が覆る日も遠くはないだろう。
竹中平蔵氏は「竹中式 イノベーション仕事術」の中で、「馬鹿は相手にしなくていい」と言っている。賛成である。しかしこのどんどん劣化し俗悪になっていく日本人の中で、自分もまた俗悪化しないよう必死に抗い、付き合う人も選んでいくことは、難しい。
難しいが、それでも挑んでいくしかない。

田中慎弥氏と「点と線」

2012-05-17 05:57:01 | 戯言
松本清張著「点と線」を読んだ。白状すれば、これまで読んだことがなかった。何度も映像化されているので、かの有名な東京駅の4分のアリバイなどは知っていたが。
今頃になって突如読もうと思ったのは、田中慎弥氏が「これからもそうだ。」の中で、幾度となく話題に上らせているからである。亡くなった父親の蔵書にあった「点と線」から父に思いをはせ、遺体発見現場を歩きながら当時の景色を探す。
氏にとって「点と線」は、どのくらい特別な存在なのだろう。想像ならいくらでもできるが、本当のところは誰にも分からない。落丁は、父親への思いを強める一端となったのか。連載「見切り発車」の散策先に、最後に香椎を選んだことに意味はあるのか。

自分は小説に描かれた土地、場所に足を運び、その情景を探すということを好んでやる。事件現場など物語の中核をなす場所はもちろんだが、そうでなくてもよい。たとえば、合田雄一郎が住んでいた赤羽の団地。
田中氏はどうだろう。下関からさほど遠くない香椎へ、30代後半まで足を運んでいなかったということは、それまでそんな興味は持ち合わせていなかったか。だが「見切り発車」での香椎周辺の描写は、氏の小説へ想いの深さを語っていると、勝手に考えてみる。
田中氏は、「点と線」を想起しながら香椎を歩いた。自分も近いうちに香椎を歩くだろう。そのときはきっと、「点と線」と「これからもそうだ。」の2冊を想起しながら歩く。