連休後半、北アルプス各所で遭難事故。8人の登山者が亡くなった。
白馬岳で亡くなった男性グループは、皆相当に山慣れした方々だったらしい。キリマンジャロなどの海外登山経験豊富な方も、日本アルプスを相当回数登った経験のある方もグループにはおられたそうだ。
爺ヶ岳で亡くなった女性は、単独行。雪の爺ヶ岳山行というチョイスが、ベテランだと思わせる。
穂高では、涸沢から穂高岳山荘へ向かったグループの一人が亡くなった。ヒマラヤ8000m級登山経験のある男性だったらしい。
新聞社会欄の見出しに、「冬装備なし」とある。
確かに白馬岳のグループは、ビバーク用のツェルトなど持たず、発見時の服装も皆かなり軽装だったということで、今後彼らの見通しの甘さなどを批判する声が挙がりそうだ。
だが自分は、本当にしっかりした冬用装備を持たずに入山したわけではないと考える。
ツェルトは無かったかもしれない。(余談だが、新聞ではテントを持っていなかったことをわざわざ指摘していた。小屋泊予定でテントを持つ登山者など普通いない。無責任な記事を書かないでほしいものだ。)
だが、冬用ハードシェル、ダウン、フリースなど、ザックにはちゃんと入っていたのではないだろうか。天候が急変するまでは暖かかったので着用していなかっただけで。そして、いきなりの天候悪化。吹雪。しかも尾根筋で強風。風をよける場所がない状態で、ザックからそれらの装備を取り出して着用するなど、まず困難なはずだ。あっという間に吹き付ける雪に埋もれて身動きができなくなったのではないか。
爺ヶ岳の女性も、涸沢のグループも、たぶん同じだ。
春山の急な天候悪化がどれだけ怖いか、それは経験した者でないとなかなか理解しにくい。これだけ山慣れした方々でも、対応しきれなかった。それを、無謀な山行だ、装備不足だった、などと簡単に片づけてほしくはない。
自分も3月下旬の西穂高で、怖い目に遭ったことがある。
早朝5時半に西穂高山荘を出たときは降る雪も風もさほどではなかったが、丸山に着く頃には強風となり、サングラスの隙間から吹き込む雪で目が開けられないほどになった。独標へ向かってもう少し尾根道を進んだが、それまではかろうじて見えていた他の登山者の踏跡が全く消え、どの方向へ登ればよいのか分からなくなった。山荘を出て30分も経っていなかったが、引き返す決心をした。
しかし、振り返って来た道を戻ろうとしても、いまつけて来た自分自身の踏跡もすでに雪の下に消えている。吹雪で5m先も見えず、戻る方角が分からない。強風に煽られ、地図も磁石も取り出せず、立っているのがやっとの有様。とにかく尾根から外れないよう気をつけ、踏みしめられて硬くなっているルートを探りつつ、じりじりとなんとか進み、丸山まで戻れた。丸山からは、赤いリボンの印を辿れば山荘に帰り着ける。
尾根から外れた方向へ進んでいたら、生きて還っていなかったかもしれない。強風を遮るものが何もない尾根筋で吹雪に遭うことの恐ろしさを、このとき初めて知った。
今回亡くなられた方々、自分などよりはるかに技術もあり、装備もきちんと持たれていたと思う。それでも何が起こるか分からないのが山、とくに雪山だ。彼らに非はない。
白馬岳で亡くなった男性グループは、皆相当に山慣れした方々だったらしい。キリマンジャロなどの海外登山経験豊富な方も、日本アルプスを相当回数登った経験のある方もグループにはおられたそうだ。
爺ヶ岳で亡くなった女性は、単独行。雪の爺ヶ岳山行というチョイスが、ベテランだと思わせる。
穂高では、涸沢から穂高岳山荘へ向かったグループの一人が亡くなった。ヒマラヤ8000m級登山経験のある男性だったらしい。
新聞社会欄の見出しに、「冬装備なし」とある。
確かに白馬岳のグループは、ビバーク用のツェルトなど持たず、発見時の服装も皆かなり軽装だったということで、今後彼らの見通しの甘さなどを批判する声が挙がりそうだ。
だが自分は、本当にしっかりした冬用装備を持たずに入山したわけではないと考える。
ツェルトは無かったかもしれない。(余談だが、新聞ではテントを持っていなかったことをわざわざ指摘していた。小屋泊予定でテントを持つ登山者など普通いない。無責任な記事を書かないでほしいものだ。)
だが、冬用ハードシェル、ダウン、フリースなど、ザックにはちゃんと入っていたのではないだろうか。天候が急変するまでは暖かかったので着用していなかっただけで。そして、いきなりの天候悪化。吹雪。しかも尾根筋で強風。風をよける場所がない状態で、ザックからそれらの装備を取り出して着用するなど、まず困難なはずだ。あっという間に吹き付ける雪に埋もれて身動きができなくなったのではないか。
爺ヶ岳の女性も、涸沢のグループも、たぶん同じだ。
春山の急な天候悪化がどれだけ怖いか、それは経験した者でないとなかなか理解しにくい。これだけ山慣れした方々でも、対応しきれなかった。それを、無謀な山行だ、装備不足だった、などと簡単に片づけてほしくはない。
自分も3月下旬の西穂高で、怖い目に遭ったことがある。
早朝5時半に西穂高山荘を出たときは降る雪も風もさほどではなかったが、丸山に着く頃には強風となり、サングラスの隙間から吹き込む雪で目が開けられないほどになった。独標へ向かってもう少し尾根道を進んだが、それまではかろうじて見えていた他の登山者の踏跡が全く消え、どの方向へ登ればよいのか分からなくなった。山荘を出て30分も経っていなかったが、引き返す決心をした。
しかし、振り返って来た道を戻ろうとしても、いまつけて来た自分自身の踏跡もすでに雪の下に消えている。吹雪で5m先も見えず、戻る方角が分からない。強風に煽られ、地図も磁石も取り出せず、立っているのがやっとの有様。とにかく尾根から外れないよう気をつけ、踏みしめられて硬くなっているルートを探りつつ、じりじりとなんとか進み、丸山まで戻れた。丸山からは、赤いリボンの印を辿れば山荘に帰り着ける。
尾根から外れた方向へ進んでいたら、生きて還っていなかったかもしれない。強風を遮るものが何もない尾根筋で吹雪に遭うことの恐ろしさを、このとき初めて知った。
今回亡くなられた方々、自分などよりはるかに技術もあり、装備もきちんと持たれていたと思う。それでも何が起こるか分からないのが山、とくに雪山だ。彼らに非はない。