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かものはし通信

他是不有吾

「フェッセンデンの宇宙」

2012-10-30 21:18:44 | 
エドモンド・ハミルトン著 「フェッセンデンの宇宙」 河出文庫

少なからず、ショックを受けている。
これが本当のエドモンド・ハミルトンだったのか?! 自分はこれまで何を読んでいたのだろうか。

中学生時代、「スター・ウルフ」3部作に心酔した。文庫本がぼろぼろになるまで繰り返し読んだ。
しかし当時話題になっていた(NHKでアニメ化されていた)キャプテン・フューチャーのシリーズものは、幼稚な印象が拭えず、数冊で放り出した。
ハミルトンはスペースオペラの大家、しかしB級、というイメージのまま、スター・ウルフを超えるものを見い出せず、自分のSF時代は途切れていた。

つい先頃、新聞の書評欄で本書の紹介を読み、懐かしさのあまり即座に購入。そして衝撃を受ける。
これほどに素晴らしいSFの短編が書ける人だったと、知らなかった自分が恥ずかしい。
表題作の「フェッセンデンの宇宙」はもちろんのこと、他の作品もひとつひとつが衝撃的だ。
「追放者」の落ちなど、「うわっっっ!」と思わず声を挙げてしまった。

この歳にして、また素晴らしい本に出会えること、これほど幸せなことはない。

「黄金を抱いて翔べ」

2012-10-28 14:27:40 | 
高村薫著 「黄金を抱いて翔べ」 新潮文庫

およそ10年ぶりの再読だ。
もうすぐ映画が公開される。もちろん観るつもりだ。だがその前に、細かいストーリーを思い出しておきたかった。

最初に読んだときは、大阪淀屋橋、中之島界隈の地図で彼らの動線をひとつひとつ確認しながら、丁寧に読み進めた。時間はかかったが、それだけの価値があった。物語が現実の地理とぴったり重なり、確かな臨場感を味わえたのだ。

さて、今回はそこまで手間はかけなかったが、短時間でさらっと復習するつもりが意に反し、しっかりのめり込んでしまった。高村氏の小説は、のめり込まずには済まされない。何度読んでも、心底「凄い」と思う。
本作は個々の人物の感情描写が極めて静かで、あまり熱を感じない。
描写が浅いわけではない。深いのだが、これだけのことをやってのける男たちにしては熱くない、浪花節チックな小賢しい表現がないのである。事実上のデビュー作で、これほどの大胆なストーリーを、これほど静かに淡々と語れるところが、また高村氏の類い稀な才能なのだろう。

さあ、直に映画の公開だ。
これまで高村作品を映画化して、成功した試しは無い。たいがい、キャストでコケている。
「レディ・ジョーカー」は、吉川晃司は素晴らしかったが、肝心の合田雄一郎も薬屋のじいさんも、納得できない配役であった。原作とイメージがずれすぎていた。
本作も、原作のイメージとマッチしているかといえば、、、全く、だ。力のある俳優を集めていると思う。一人一人の俳優としての力量を疑っているわけでは無い。個人的には好きな俳優が多い。ただ、とにかくイメージとは異なるのだ。
妻夫木の愛嬌のある顔は、幸田の冷たいイメージには合わない。
北川は、浅野忠信では歳をとりすぎている。しかも、原作のような威圧感のある大男ではない。
野田は女たらしのなよなよした優男であり、桐谷健太の「Beck」や「龍馬伝」で見せた熱いキャラとは相容れない。
じいちゃんは、絶対痩せていなくてはならない。だが西田敏行は、、、、、。
春樹も、もっと冷たく拗ねた感じでなければ。溝端では可愛すぎる。
モモは、大切な役だ。もし集客のためだけにアイドルを引っ張ってきたのなら、許し難い。(だがこのアイドルの演技は観たことが無いので、判断はこれからとしたい。彼をモモに充てた理由が納得できれば、それでよい。)

何にせよ、高村作品に心酔しているだけに、期待しては失望させられる映画化、今度こそ成功して欲しいものだと心から願っている。

「ど真剣に生きる」

2012-09-15 22:18:35 | 
稲盛和夫著「ど真剣に生きる」 NHK出版

久しぶりに稲盛氏の著書を読んだ。忘れていたものを、少しだけ取り戻せた気がする。
仕事に打ち込むおのれは、どこへ雲隠れしていた?
仕事が嫌だと?
休日が楽しみだと?
休日に仕事のことは考えない?
どうかしている。そんな自分では無かったはずだ。
まずは目の前の仕事に打ち込め。その上で、周りを見据え、自分のなすべきこと、なるべき姿を考えろ。
他の人間にできて、我にはできぬと決めつけるな。

「すべては今日から」

2012-06-16 05:33:37 | 
児玉清著 「すべては今日から」 新潮社

児玉清氏の遺稿集である。彼が亡くなってからもう一年経ったのか。ありきたりだが、時が経つのは実に速い。週刊ブックレビューのない週末にも、やっと慣れた。
本書には、古くは1990年代初頭から、直近では震災後、つまり亡くなる直前までの、新聞や雑誌に掲載されたコラムなどが集められている。

「寝ても覚めても本の虫」にて、どのような本を好んで読まれるのかを知り、おかげで自分の読書の幅も随分広がった。本書でも素敵な本が、特に最近上梓されたものが多く紹介されている。早速参考にして何冊か手に入れてみた。山本一力氏の「八つ花ごよみ」など、児玉氏はハードカバーで読まれたのだろうが、文庫版がまさに先月出たばかりで、嬉しくなる。
旅行に行かれるときの荷物についての逸話は、児玉氏の意外な一面が感じられ、思わず頬が緩んでしまう。休日の過ごし方、夫人との出会い、児玉氏の私的な面を垣間見られる小話の数々は、さりげなく、また虹のように鮮やかで清々しい。

だが最後の章「日本、そして日本人へ」は、児玉氏の哀しみと憤りの凝縮だ。どんどん駄目になっていく日本人を見、その怒りの遣り処も見つけられず、憂うだけしかできない自身をもどかしく思う様が、強く伝わってくる。
氏の思いは、自分の心とぴったり重なる。大人になっても幼稚なままの日本人。本を読まない日本人。マナーも良心も失った日本人。児玉氏をして「僕は現在の日本の国に住むことがとても恐ろしく悲しい。」と言わしめた、この一国丸ごとの精神の低俗化。そしてそれは、児玉氏の憂いを置き去りに、どんどん加速していく。

児玉さん、あなたの求めた日本は、もう二度と蘇りそうにはない。残念だが。
「アプ・ホイテ」と前向きに生きようとする人ほど、生き辛くなる国だ。
しかしそれでもなお、「アプ・ホイテ」で生きていきたい。心からそう思う。

「未踏峰」

2012-06-13 06:12:29 | 
笹本稜平著 「未踏峰」 祥伝社文庫

読み始めは、「前振りが長いなあ、かったるい。」と思いながら頁を繰っていた。冒頭のベースキャンプへ向かう場面の後に始まった回想が、いつまで経っても終わらない、時間が現在になかなか追いつかないのだ。
やっと時間が追いついたのは、210頁目。なんと、本のちょうど真ん中あたりである。しかし、この頃には気づいていた。この話はこれまでの笹本氏の山岳小説、「天空の回廊」や「還るべき場所」とは違う。他の冒険小説とも全く違うのだと。
ヒマラヤ未踏峰への困難な登攀が主題で、雪崩、悪天候、滑落等々を乗り越えていくのだろう、などという浅薄な先入観を抱いていた自分が少々恥ずかしい。
障害や前科を抱え日本社会から疎外され生きる希望を見失った若い3人と、彼らを支えつつも自身も彼らによって生きる希望を取り戻せた登山家の、強く、だが温かく「生きること」を求める心の有り処。それが読む者の腹にずしんと堪える。200頁近い回想は、未踏峰へと歩みを進める若い彼らの姿、胸の内を、より鮮明に描き出すためになくてはならぬものだ。
読み進めながら、たいした冒険もない、ある意味青臭いこの作品が、もしかしたら自分にとっての笹本稜平氏のBestになるのではないか、と感じ始めた。

「天空の回廊」は最後の最後までどんでん返しが続くので、この作品は大丈夫、彼らは必ず登れる、と思いながらも、もしかしたら・・・と落ち着かず、頁を繰る手が速まる。
そしてラストでは、彼らと一緒に一歩一歩、薄い空気に喘ぎながら、足を進めている自分が居ることに気づいた。頂上直下の岩場。その後の緩い傾斜の雪面。山頂に近づく彼らの喜びを自分も感じ、彼らと一緒に胸を熱くし、彼らの満面の笑みを見た。これまで相当数の山岳小説を読んだが、こんな体験は初めてだ。
手放しに賞賛したい。こんな小説を生み出せる著者を。