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記憶の中のメキシコ

1979年の最初にメキシコを訪れそれから何度となく渡航していましたが、最後に訪れてから早10年が過ぎてしまいました。

チョルラの遺跡

2018-09-05 | メキシコ
遺跡の上にある教会の近くから下の方を撮った写真です。
前にも上から見下ろした町の写真を載せましたが、これは違う方角になります。

39年前の写真ですから、多分今はもっと建物が沢山建っていると思います。
この様な写真は今はもう撮れないわけですから、見方を変えれば貴重と言えるかも知れません。

チョルラの遺跡

2018-09-04 | メキシコ
遺跡の中段部分の様子ですが、石の敷き詰められた部分と土の部分が綺麗に分かれています。
これは発掘後に整地したのかもしれません。

向こうの方には教会らしき古い建物の塔が見えます。
遠い方の塔のある建物はお城の様に見えます。

チョルラの遺跡

2018-09-02 | メキシコ
遺跡を見ていると当時の土木技術の高さにも驚かされます。
土木工事の機械も無いのに人間の力だけでここまで作り、まだそれが長い年月変わらずに残るというのはすごい。

宗教的な建造物とか装飾品は、人が信じているものへの執着心の強さを表していると感じます。
このピラミッドも人々の神への強い思いが作らせたと感じました。

チョルラの遺跡

2018-09-01 | メキシコ
ここチョルラの遺跡に限らず多くの遺跡のピラミッドの階段は、踏みしろが少ないです。その上傾斜が急で踊り場の様な所もありません。
足を踏み外し転落すれば下まで転げていきます。

テオティワカンのピラミッドには鎖の手すりがあり、また途中に広い場所があるので心配いりませんが、手すりを設けたのも転落事故が多いためと聞いています。
テオティワカンはまた見に来る人も多いので、安全対策が必要不可欠だったのでしょう。

ピラミッドに登る時、それに降りる時は十分注意して下さい。

チョルラの遺跡

2018-08-30 | メキシコ
遺跡に興味無い方にはつまらない写真かも知れません。でも興味ある方には楽しんでいただけるかな?

このピラミッドの階段部分の写真ですが、長い階段の左右には帯状になった出っ張りがあり、その中には綺麗な幾何学模様があります。
ピラミッドもオアハカにあるミトラの遺跡のように全部幾何学模様で飾られているものもあれば、カバー遺跡のように神様の顔で埋め尽くされた遺跡もあります。
ミトラの遺跡については、近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトにも影響を与えたそうです。

チョルラの遺跡

2018-08-29 | メキシコ
写真はチョルラ遺跡の続きです。

赤茶けた大地にサボテン、これが多くの人が持つメキシコの印象かも知れません。
でもモンテレィなんかは北部が砂漠にサボテンで上記のような印象ですが、南の方は山にか囲まれ日本の風景に似ています。
違う方向に行くだけで違った景色が楽しめるのはいい街です。

ところで最初に言った赤茶けた大地にサボテンという印象は映画からの影響が大きいんじゃないかと思います。
確かに北部はそんな風景で間違いではないのですが、みんながメキシコ北部に旅行したとは思えないのと、アメリカで悪さをした悪党がメキシコに逃げるというのも定番だったからです。

荒野の用心棒とかマカロニウエスタンをはじめ、アラモの戦いを映画にしたもの、パンチョ・ビラを映画にしたものなどいろいろありましたから、それらの影響でメキシコの風景イメージが広まったのでしょう。

チョルラの遺跡

2018-08-28 | メキシコ
メキシコにはマヤ、アステカなど多くの遺跡があります。

チョルラの遺跡はその一つですが、私のような素人にも遺跡の違いはなんとなくわかって面白いです。
また昔の人達がどんな生活をしていたか想像出来るのが面白いんでしょうね。

トルテカとかオルメカ文明がみんな違うように時代も少しずつ違っているのかも知れません。
メキシコの考古学には詳しくないのでこの辺にしておきます。


チョルラの遺跡

2018-08-27 | メキシコ
遺跡の上にある教会に行ってみるとプエブラの町が一望できました。
まちを散策している時、小さな工房みたいな所でおじさんが何やら作業していたので見ていたら、中に手招きしてくれました。
中に入ってみると、おじさんが木彫りのチェスの駒を作っていたのです。

片言スペイン語で何処から来たとか、何で来たとか話したのですが、別れ際にこれあげるよと木彫りのチェスの駒を一個もらいました。
お城の塔を型どったもので今でも持っています。

ほんの短い時間でしたが一生残るいい思い出になりました。

チョルラの遺跡

2018-08-26 | メキシコ
前にも書いたように、スペイン人が入ってきた時ピラミッドは壊され、その上にカトリック教会が建てられました。
写真はその教会の上の方が見えます。

多くのメキシコ先住民はメキシコに伝わる宗教文化と融合しながらカトリックに改宗していったのでした。
11月1日の死者の日もその一つです。
死者の日は、日本のお盆と同じで死んだ人がこの世に戻ってくる日で大きなお祭りがあちらこちらでおこなわれます。

チョルラの遺跡

2018-08-25 | メキシコ
後から紹介するテオティワカンの遺跡ほど敷地は広くありませんが、それでもピラミッドとしては大きいです。
写真にある階段通路からピラミッドの地下部分に入って行けるようでした。

このピラミッドが何の目的で作られたかは不明ですが、太陽を崇拝する人たちが自分たちの生活が脅かされないように拝むため、神殿として作られたのかも知れません。

写真の右下が紫に変色しているのは、スライドの保存状況が悪かったためです。