小さな路の石だたみ。大きめの平たい石で仕上げているようなので人が通るには問題ないけど、車が通ると石が割れるかも・・・
でもこんな狭い道、車は通れないから大丈夫そう。同じ道を馬とかロバとか歩いていたんでしょうね。
でもこんな狭い道、車は通れないから大丈夫そう。同じ道を馬とかロバとか歩いていたんでしょうね。
この町で世界遺産になってるのは、旧市街地と銀鉱山の跡らしい。でも1979年では世界遺産になっていないので銀鉱山の跡を見ることもなく、旧市街地も見たのか見なかったのか記憶がありません。
ただ町の道路が半地下だったり、山の中腹に大きな像があったりと特徴的な町だったことは覚えています。
メキシコには何度か渡航していますが、グアナファトに行ったのはこの一回だけ。現在は随分変わってしまっているかも知れません
ただ町の道路が半地下だったり、山の中腹に大きな像があったりと特徴的な町だったことは覚えています。
メキシコには何度か渡航していますが、グアナファトに行ったのはこの一回だけ。現在は随分変わってしまっているかも知れません
グアナファトの町の特徴は通路や道路にあるようです。前の口づけの小路の様に道幅が変化しながらカーブした通路は歩く人を飽きさせません。
そしてカーブでけでなく坂道も多いので視界が狭まったり、急に広がったりもします。散歩するには飽きないですね。
そして車道は地下を走っている部分も多く、人の歩く道と車が通る道とは分かれている印象でした。
グアナファトの地形がそうさせたのかも知れません。
そしてカーブでけでなく坂道も多いので視界が狭まったり、急に広がったりもします。散歩するには飽きないですね。
そして車道は地下を走っている部分も多く、人の歩く道と車が通る道とは分かれている印象でした。
グアナファトの地形がそうさせたのかも知れません。
グアナファトは観光地と言いましたが、名前が知られたのが『口づけの小路』。行った時は似たような所がいくつもあるので何処がそうなのかわかりませんでした。
今は観光案内もあると思うので、容易に探す事が出来ると思います。でもよく似たような場所もカラフルでなかなか雰囲気のあるいい通りでした。
今は観光案内もあると思うので、容易に探す事が出来ると思います。でもよく似たような場所もカラフルでなかなか雰囲気のあるいい通りでした。
世界遺産の町グアナファトというタイトルを付けていますが、世界遺産の最初に登録が始まったのは1978年から。
写真を撮った時は1979年でグアナファトはまだ世界遺産ではありませんでした。
グアナファトの世界遺産は、旧市街地と銀鉱山の跡地だそうです。
この時はグアナファトの人たちは誰もここが世界遺産になるなんて思っていなかったでしょうね。
写真を撮った時は1979年でグアナファトはまだ世界遺産ではありませんでした。
グアナファトの世界遺産は、旧市街地と銀鉱山の跡地だそうです。
この時はグアナファトの人たちは誰もここが世界遺産になるなんて思っていなかったでしょうね。
写真がグアナファト大学の法学部の階段。この建物結構有名みたいです。
でも法律には興味は無いので、建築を教えているところを聞いて勝手に入っていきました。
もちろん不審者ですから、何処から来たとか、なぜここにいるのかとか聞かれましたが、片言スペイン語で私は建築を勉強している日本の学生だと言ったら、
学部長に合わせてくれて、授業を見て行きなさいといわれ、講義室を案内してくれました。
他にも図書室とかも見せてもらい、日本の建築雑誌もあるよと見せてくれました。
なんかわけのわからない日本人が突然来て、よく相手にしてくれたなぁと感謝してます。ほんとみなさん親切でした。
でも法律には興味は無いので、建築を教えているところを聞いて勝手に入っていきました。
もちろん不審者ですから、何処から来たとか、なぜここにいるのかとか聞かれましたが、片言スペイン語で私は建築を勉強している日本の学生だと言ったら、
学部長に合わせてくれて、授業を見て行きなさいといわれ、講義室を案内してくれました。
他にも図書室とかも見せてもらい、日本の建築雑誌もあるよと見せてくれました。
なんかわけのわからない日本人が突然来て、よく相手にしてくれたなぁと感謝してます。ほんとみなさん親切でした。
39年前の旅行ではグアナファトという町に立ち寄りました。
一応観光都市ではあるのですが、その時は何が観光の目玉なのか知りませんでした。
ミイラの博物館があるとかは知っていましたが、見たくもなかったのでただ町の中を歩き回っていた次第です。
そしてある地底ると、立派な階段のある建物が広場の近くにあったので、近くの人に聞いてみたらグアナファト大学の法学部の建物だということをを教えてくれました。
一応観光都市ではあるのですが、その時は何が観光の目玉なのか知りませんでした。
ミイラの博物館があるとかは知っていましたが、見たくもなかったのでただ町の中を歩き回っていた次第です。
そしてある地底ると、立派な階段のある建物が広場の近くにあったので、近くの人に聞いてみたらグアナファト大学の法学部の建物だということをを教えてくれました。
まだ発掘中の遺跡です。一部にトタンの屋根が架けられており、雨や風から保護しています。
もちろん39年前の光景ですから、今は発掘も完了しているでしょう。
これでチョルラの遺跡は終わりです。次回からはグアナフアトになります。
もちろん39年前の光景ですから、今は発掘も完了しているでしょう。
これでチョルラの遺跡は終わりです。次回からはグアナフアトになります。