阪神淡路大震災から、昨日で27年経ったという事に、改めて月日の流れを感じました。
娘が0才の時だったので、立って歩き始めてから、フィアンセを得て家を出ていくまでの年月。
揺れを体験したり、家族や友人が巻き込まれた東日本大震災の日とは違い、遠くにいて親戚や知り合いを失ってもいない私は、ニュースで見るまで失念していました。
大事件や事故が起こっても、関係ない人はやがて忘れてしまう。
災害もそうですが、戦争も然り。
「忘れてはいけない」「風化させてはいけない」
それって、一体何なんだろう。
今回に限ったことではなく、以前から感じていたことでもあります。
広島の平和記念公園の慰霊碑文には
安らかに眠ってください
過ちは
繰り返しませぬから
とあります。
すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉で、
過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、
真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている、そうです。
戦争においては、国民が望んで始めた事ではない。
一般の国民は犠牲にこそなれ、過ちなんて犯してはいない。
災害は、誰かが故意に起こしたものではない。
風化させていけないもの、忘れてはいけないものが何なのか。
過去から学んだことを忘れてはいけないってことかなと。
災害であれば、行政による山川の管理とか、危険な場所の把握と整備、緊急時の避難のマニュアルの徹底とか、人の知恵が及ぶところを手抜きをしないでやり続ける事。
戦争を知らない私たちも、体験していないとは言え、幼い頃から戦争の悲惨さは沢山教えられてきましたから、戦争をしたいとはまず思いません。
体験者の方、ご遺族の方などと、そうではない私たちの想いに温度差がある事、それは責められることではないと思います。
でも忘れても風化させてもいけないのはある。
事実から学んだ事。学ぶ感受性や想像力を持つこと。
災害に関しては、いざという時のための備えをしっかりして日常を送る事しかできませんが、それが私の忘れてはいけない、風化させない、ということです。
「犠牲」という言葉を使わせていただけるなら、その尊い犠牲を無駄にしない事。
私にとっては見知らぬ人々が残してくれたもの、教えを生かして生きる事が、御供養になるのではないでしょうか。
それを受け取り、心に刻む気持ちが大切だと。
当時1才の娘さんを亡くされたお父様がおられました。
私の娘が生きて成長してきた時間、お父様は1才のままのお嬢さんに心を寄せて生きて来られたのだろうと、胸が痛みました。
体調の事で一喜一憂する自分が、普通の日常のありがたさを語る資格はないなあと思いました。
私たちは、知る知らないにかからわず、すべてのご先祖さま、先人たちの知恵や努力、犠牲などのおかげで今を生きていられる。
それを忘れてはいけないな、と思いました。
これは、4年くらい前の満月の画像ですが、都会の月、昨夜も外が明るくなるほど明るく美しい月でした。
今年、地球から一番遠い満月だったそうです。
ウルフムーンと呼ぶとか。かっこいいですね。
わおおおおお~~ん。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫