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「失われた楽園の記憶 廃墟」を見た。
【出演者】
高樹沙耶 赤井英和 鳥越俊太郎
{TV初公開となる小笠原の海底遺跡、西表の無人島に住む謎の全裸老人、そして北海道の最北端の町に1万人が消えた夢の楽園都市。廃墟という異空間に入り込み、その歴史の謎を解き明かしながら、忘れ去られようとしている昭和の記憶をたどっていきます}
「留萌支庁の南北に細長く伸びる炭田は「留萌炭田」とよばれ、
昭和(沼田町)、浅野雨竜(同)、羽幌(羽幌町)、など9鉱が発達していた。」ということを、
昭和52年生まれの僕は炭鉱があったということをはじめて知った。
もう少し北海道の歴史も知っておかなくちゃね。
http://jiko-hokkai.hp.infoseek.co.jp/haborokou.html参照。
羽幌炭砿の世帯(人口)の移り変わり
上から順に 築別炭砿 羽幌砿 上羽幌 合計
昭和35年
1,166世帯(5,840人)
495世帯(2,426人)
445世帯(2,111人)
2,106世帯(10,377人)
40年
1,406世帯(6,182人)
768世帯(3,682人)
568世帯(2,592人)
2,742世帯(12,456人)
45年4月
- (4,338人)
- (4,392人)
- (2,732人)
- (11,462人)
45年9月
- ( 607人)
- ( 755人)
- ( 569人)
- ( 1,931人)
47年
1世帯(2人)
12世帯(55人)
14世帯(42人)
27世帯(99人)
平成 7年
1世帯(2人)
0世帯(0人)
9世帯(27人)
10世帯(29人
閉山に追い込まれた昭和45年は、
閉山するかもという流言飛語によって閉山が決まる前の人口の流失が著しく、
5ヶ月の間に約1万人がこの町を去っていった。
ちなみに羽幌町の人口は、昭和44年32,095人(6,958世帯)が最高で、
昭和50年13,000人台、昭和60年12,000人台、平成9年10,000人台を割る。
他、廃墟となった炭鉱は道内では雄別炭鉱、浦幌炭鉱など。
渡辺淳一の自伝的作品、白夜に炭鉱の町の様子が書かれてあります。↓
医学生になったばかりの頃読みました。
もちろんもっと今風の表紙の文庫本でしたが。
今はたいしたことないと思えますが、
当時はへえーと思いました。
結局この番組の今は廃墟となっている西表島に住んでいた3000人の謎も、
種あかしは昔炭鉱があったということであった。
石炭→石油というパラダイム転換ほど昭和史で人々を翻弄した出来事はなかったのではないだろうか?
臨床研修制度というパラダイム転換でもしかりだが、
たったひとつの公式が変わるだけで世の中変わってしまうものですね。
医療そのものはどのようなパラダイム変換があっても、
スタイルこそ変わりすれ永遠になくならないものだと思っています。
他、衣食住と政治・宗教・性ですかね?
そろそろ終戦から僕が生まれた時までの時間と僕が生まれてから経過した時間が近づこうとしている。
終戦から僕が生まれた時までの32年間の時の流れは、
戦争のにおいは祖父の頭の中ぐらいにしかないと子供の僕に感じさせるぐらいの年月であった。
短いようだが、社会を全く変えてしまうには充分な年月であったのだと感慨深い。
昭和時代の遺跡というサブタイトルのついた今回の番組であったが、
平成時代の遺跡も現在進行形でどこかに生まれているのであろう。
北海道新幹線もそのようにならぬよう祈る。
遺跡を創り続けるのが人間だというカルマからは逃れられないとは思うのだが。
【出演者】
高樹沙耶 赤井英和 鳥越俊太郎
{TV初公開となる小笠原の海底遺跡、西表の無人島に住む謎の全裸老人、そして北海道の最北端の町に1万人が消えた夢の楽園都市。廃墟という異空間に入り込み、その歴史の謎を解き明かしながら、忘れ去られようとしている昭和の記憶をたどっていきます}
「留萌支庁の南北に細長く伸びる炭田は「留萌炭田」とよばれ、
昭和(沼田町)、浅野雨竜(同)、羽幌(羽幌町)、など9鉱が発達していた。」ということを、
昭和52年生まれの僕は炭鉱があったということをはじめて知った。
もう少し北海道の歴史も知っておかなくちゃね。
http://jiko-hokkai.hp.infoseek.co.jp/haborokou.html参照。
羽幌炭砿の世帯(人口)の移り変わり
上から順に 築別炭砿 羽幌砿 上羽幌 合計
昭和35年
1,166世帯(5,840人)
495世帯(2,426人)
445世帯(2,111人)
2,106世帯(10,377人)
40年
1,406世帯(6,182人)
768世帯(3,682人)
568世帯(2,592人)
2,742世帯(12,456人)
45年4月
- (4,338人)
- (4,392人)
- (2,732人)
- (11,462人)
45年9月
- ( 607人)
- ( 755人)
- ( 569人)
- ( 1,931人)
47年
1世帯(2人)
12世帯(55人)
14世帯(42人)
27世帯(99人)
平成 7年
1世帯(2人)
0世帯(0人)
9世帯(27人)
10世帯(29人
閉山に追い込まれた昭和45年は、
閉山するかもという流言飛語によって閉山が決まる前の人口の流失が著しく、
5ヶ月の間に約1万人がこの町を去っていった。
ちなみに羽幌町の人口は、昭和44年32,095人(6,958世帯)が最高で、
昭和50年13,000人台、昭和60年12,000人台、平成9年10,000人台を割る。
他、廃墟となった炭鉱は道内では雄別炭鉱、浦幌炭鉱など。
渡辺淳一の自伝的作品、白夜に炭鉱の町の様子が書かれてあります。↓
医学生になったばかりの頃読みました。
もちろんもっと今風の表紙の文庫本でしたが。
今はたいしたことないと思えますが、
当時はへえーと思いました。
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結局この番組の今は廃墟となっている西表島に住んでいた3000人の謎も、
種あかしは昔炭鉱があったということであった。
石炭→石油というパラダイム転換ほど昭和史で人々を翻弄した出来事はなかったのではないだろうか?
臨床研修制度というパラダイム転換でもしかりだが、
たったひとつの公式が変わるだけで世の中変わってしまうものですね。
医療そのものはどのようなパラダイム変換があっても、
スタイルこそ変わりすれ永遠になくならないものだと思っています。
他、衣食住と政治・宗教・性ですかね?
そろそろ終戦から僕が生まれた時までの時間と僕が生まれてから経過した時間が近づこうとしている。
終戦から僕が生まれた時までの32年間の時の流れは、
戦争のにおいは祖父の頭の中ぐらいにしかないと子供の僕に感じさせるぐらいの年月であった。
短いようだが、社会を全く変えてしまうには充分な年月であったのだと感慨深い。
昭和時代の遺跡というサブタイトルのついた今回の番組であったが、
平成時代の遺跡も現在進行形でどこかに生まれているのであろう。
北海道新幹線もそのようにならぬよう祈る。
遺跡を創り続けるのが人間だというカルマからは逃れられないとは思うのだが。