悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
「現在の格差社会の構造と経緯を解説した本」を読みました。
自分なりにポイントを整理してみました(自分の言葉を使って文章を書いているので本書の内容と若干ズレがあるかもしれません)。そして類推できることをメモします。
経済学のけの字もわからない者が書いたものという前提のもと読んでいただけたら幸いです。
冒頭で述べられている、「1984年の日本での所得格差では上位20パーセントは下位20パーセントの13倍→2002年では168倍」これにまず衝撃を受けました。
「悪魔のサイクル」これを支える観念は市場原理主義、ネオリベラリズムというものです。
そして近年発達したグローバル化、ITマネーがその動きを加速化させています。
具体的には、バブルの発生要因を規制緩和と資本の自由化による海外マネー(実態のなかなかつかみにくい投機的資金)の流入と定義し、そのバブルから巨額な富を持ち去るとともに海外マネーは流出する。そしてお金の無くなった状態というのはいわゆる大型不景気なわけであり、更なる規制緩和が進められ企業の割安感が出たところで再び海外マネーが流入する。このサイクルを繰り返すうちに企業は海外資本にのっとられ、低所得者層が拡大し、弱者である地方自治体の荒廃が進行するというもの。
これを繰り返すことをサイクルと定義しているわけです。
アルゼンチン・チリといった南米の極端なネオリベラリズムを導入した国家の結末、
アジア通貨危機にさいして採択した政策の違いによるタイとマレーシアの明暗を明快に解説してある。
またバブル崩壊を経験した北欧国家群の立ち直りの早さの理由も書かれてあります。
マーケットを完全に人間が統制するのが共産主義としたら、
マーケットに人間が完全に統制されるのがネオリベラリズム。
共産主義は結局エリート層に富が集中してしまい本来の理想とは遠くはなれた社会構造になってしまったことを歴史は証明しましたが、ネオリベラリズムも結局大きな格差を生み出し行き着くところは崩壊以前の共産主義と似たところがあるのではと思いました。
マーケットを人間が使いこなす第3の道を筆者は説いています。これはマーケットに様々な規制をかけることとなるので、現在のネオリベラリズムと真っ向から対抗することとなります。市場に様々な規制をかけ、公共政策が重視されていたリベラリズム全盛時代がこの考え方に近いわけですが、時代の流れとともに市場の性質も変化するわけであり、時代に対応した規制を設けないと不景気になるわけです。はやりの産業に過剰投資投資すれば、
別な消費を喚起しインフレを起こし、生産物はやがて過剰になりデフレになります。
この不景気に乗じて福祉・社会保障を充実させる大きな政府を目指すリベラリズムが間違いであり市場に任せれば全てうまくいくというネオリベラリズムが米国で台頭しはじめたのが70年代(この不景気はベトナム戦争による影響が大きいと思われる)。
本書はネオリベラリズムに対し一貫して批判的な立場で書かれており、現在の世の中の事象(たとえばイラク戦争)をネオリベラリズム至上主義が引き起こしているものという視点から分析しています。もちろん原因はそれだけではないのでしょうがなかなかうまく説明がついてしまいます。
この本にはかかれておりませんが、オイルの無い国、マネーとして魅力の無い国、たとえばソマリアなどには米軍の積極的介入から手を引いているのもうなずけます。
ネオリベラリズムの実態ははっきりとした輪郭は見えないですが、米国という様々な人種を取り込む溶鉱炉の中で出てきた実態の無い投機的マネーであり、ネオリベラリズムを選択することは、これらの投機的マネーに国を支配されてしまうことになります。
ネオリベラリズムは、一見社会を経済という尺度から見れば回復したかのような錯覚に陥れる魔法ですが(実態は海外資本流入によるものでありその海外資本に国益は奪い取られます)、その実態は医療福祉の縮小・低所得者層の拡大による治安悪化・弱者である地方を切り捨てによる国土荒廃などを引き起こす麻薬です。
現在日本で起きている、外資による日本企業買収・医療崩壊・教育崩壊・自殺増加・犯罪件数増加・格差増大・自治体破産・過疎化・利益追求型のため安全に対する投資の切捨てというものは、ネオリベラリズム導入による短期的なGDP上昇の代償ともいえます。
会社の利益が最優先なのでそれとは関係ないものは全て切り捨てられます。
ただこれは短期的な利益であり、長期的には自分の首を絞めることとなると思います。
搾取の対象が搾取不可能なまでにやせ細ってしまうからです。
今の日本はこのネオリベラリズムに支配されつつありますが、これは長い将来を見ると国益に反していると思われます。
ネオリベラリズムの犬になってしまった前首相・現首相の政策には憤りを感じます。
ではネオリベラリズムに対する対抗手段は?
ネオリベラリズムに対抗する思想としては、ナショナリズム、イスラム、反グローバリズム、第3の道を選択しているヨーロッパ諸国、北欧型などが考えられます。
戦後日本高度成長期と現在において違うポイントはグローバル化・IT化・趣向の多様化・産業構造の変化とあげればきりがなく、単純に昔のシステムに戻せばいいというものではありません。
ただどんなに時代が変わっても、国を形作っているのは1人1人の国民であり、その1人1人の国民を守る医療福祉・教育に対する投資を怠っては持続的な社会発展はありえないと思います。
そして、都市の食料を守っているのは農村であり漁村であり、都市の文化に刺激を与えているのも地方発の文化である部分が小さくないと思います。
それを単純に経済効率のみで評価して地方を荒廃させるのは将来的には都会の荒廃にもつながります。職を失った貧民層は都会に流れ込みます。地方からのものの流れが少なくなりますから経済も停滞します。札幌におけるある地区も北海道の地方からの流民が多いのではと感じます。低所得者層が多く、教育水準が低く、犯罪が多く・・・。
北海道は道州制導入を契機に、人口規模と密度・気候の似通った北欧型を目指すべきです。
観光業・道外資本の進出に期待するだけではなく(かつての炭鉱のように結局道外資本に利益は持っていかれる)、食料、エネルギー、医療福祉の自給自足を目指し、更に言えば食料自給率300パーセント、エネルギー自給率130パーセントのデンマークを見習うべきです。そして高度ITを駆使したフィンランドの医療を見習うべきです(実際見てみないとわかりませんが)。
美しい自然を破壊して自治体に多額の借金を押し付けて造るダムより、風力発電の方が効果的です。1000億円のダムを作る暇があったら、風力発電会社を作れそうなものです。ダム建設に反対しているのは主に生物学者やナチュラリストであり、経済学者がいらっしゃらないのが残念です。
石炭を原料になにか付加価値をつけるような研究に力を入れてもよいかもしれません。
北海道米の味と品質の向上には著しいものがあります。税金を投入してでも農家を守るべきです。今や観光収入が農業収入を越えている北海道ですが、このことが日本全体の景気の影響を増幅させて受けてしまう原因となります。規制緩和で海外の安い製品におされて不安材料が大きいのも確かです。この規制緩和を乗り越えられるような農業政策はあるのか?
再生可能な形の林業をもっと振興しても良いでしょう。植林によりCO2削減にも期待が可能だと思います。材木やパルプ用の木がどのくらいの値段で取引されているのかわかりませんが・・・。
製紙工場は既にあります。ここで使われる木はどこから来ているの?ものすごいエネルギーを使って海外から運ばれてくるもの?
失業者をうまい形で農林水産業、福祉に取り込めないだろうか?
逆に巷にあふれている失業者の中には農林水産業者出身の方が多いのだろうか?
こう考えてみるとわからないことだらけ。
北海道サミットにおける地元自治体の借金は極力抑えるべきです。
規制緩和が進めば、地方自治体は高利率で民間からお金を借りなければいけません。
経済的な裏づけが無い田舎自治体であればあるほど高利率となるということです。
国の負担が大きくなるように交渉、それがダメなら道で持たなければなりません。
あらたな夕張を生みやすい状況がどんどん構築されつつあります。
自治体が破産すれば待っているものは、医療福祉・教育・各種サービスのカットと重税です。近い将来日本の田舎は外資の経済的奴隷になるかもしれません。
最近なんとなく気付いていたのですが、今まで問題に思っていた、外資による日本企業買収・医療崩壊・自殺増加・過疎化というばらばらと考えていた事象がますます一つの流れとして見えてきました。
無知であると、守銭奴に対抗する理論を展開できずにいつのまにか飲み込まれてしまいます。逆に弱者に対して野蛮な理論を展開する側になってしまうかもしれません。
真実は何か、理想は何かということを常に考え続け、間違ったことには間違っているといえる勇気を持ちたいと思っています。
あと余談ですが、ミヒャエル・エンデの「モモ」がネオリベラリズムを批判した本だということをはじめてしりました。時間泥棒の正体は労働力を搾取するマネーです。
追記4/30;スイスで行われたダボス会議の特集を見ました。
タイの通貨危機をもたらしたヘッジファンドはここ10年でますます成長しているとのことです。莫大な利益をあげることのできるヘッジファンドに資金が流れる心理はわかりますが、それは概念的なマネー(バブルもこの範疇に含まれると思われます)であり、実質的なマネー(目に見える商品・技術集積や労働の対価)ではありません。お金の怖いところはこの概念的なマネーと実質的なマネーの区別は現実的には困難で、概念的なマネーが実質的なマネーを左右してしまうということです。そしてその概念的なマネーがはじけたとき、(昨年のひとつのヘッジファンドが崩壊したときは大きな混乱はなかったようですが)、実質経済に多大なダメージを与える危険性があります。
グローバリズムに関するセッションがあり有名大企業のCEOがずらっと顔をならべていました。グローバリズムにより競争が生まれ格差を生んでしまう構造的な問題、発展途上国民を市場としてだけ見るのではなく、底辺を底上げすることによりさらに市場ととして発展するのではと質問されたとき、ルノー、日産のカルロス・ゴーン氏は、その国でしかできない技術が云々と質問の内容を全くはぐらかせていたことが印象的であった。
他環境問題などのセッションもありましたがまた別の機会にします。