大地産笑~畑は笑顔を育てる~

新しいスタートラインに立っている今。いろいろなところに目を向けて未来につなげたい。

週末は田舎で…

2006-02-18 22:11:53 | 農業を考える
都市部の住民で「週末は田舎の農村漁村で過ごしたい」と答えた人は、団塊の世代の50歳代が最も多く、45・5%に上った。

また50歳代のうちの28・5%が田舎での定住を望んでいた。田舎での定住を希望する人は20・6%で、年齢別では20歳代が30・3%と、最多だった。

内閣府は「2007年から定年を迎える団塊世代は、田舎への関心が高い。こうした人々のための施策を検討する必要がある」と分析している。

yahooニュースより。

週末田舎で過ごすという考えはロシアにあるダーチャに似ている。ダーチャとはロシアの菜園付き木造小屋のことだ。都市郊外(家から30分~数時間程度)に土地を購入したり、借用して手作りの木造小屋を建て、そこで農作業をしたり、宿泊して楽しむようだ。日本の別荘という考えとは違う。

自給自足とレジャーを兼ねた生活スタイルであるといえるだろう。


団塊世代が週末田舎で過ごしたいというのはなんとなくわかる。このニュースで一番注目すべきなところは田舎に定住希望のある20歳代が30.3%で各年代の中で一番高いということだろう。単純に3人に1人くらいの割合で。これが何よりも驚いた。

今の若者は都会に出たいとは思っていないのか。確かにウチの大学はほとんどが農家出身で卒業後は地元(田舎)に帰るのだが、それ以外にも東京農大や日大、筑波大の学生で将来農業をしたいと思っている学生はたくさん知っている。都会に住みたいという考えは薄れてきているのか。都会に飽きてしまっているのか。自分にはわからない。都会で生まれ育ってないから。でも男女問わず、農業に関心のある学生が増えてきているのは確かだろう。

野菜家族

2006-02-16 17:13:06 | オヤ詩゛なおれ

 野菜と人間ってどこか似ている。
 
 いつもどっしりとかまえているカボチャみたいなお父さん。
 いつもは丸いのに起こると顔真っ赤にするトマトみたいなお母さん。
 髪の毛ボカーンブロッコリーみたいなアフロのお兄ちゃん。
 赤黄橙カラフルでお肌つやつやパプリカみたいなお姉ちゃん。
 背が高くて髭がポツポツ生えてるキュウリみたいな自分。
 まだまだ伸びるのかよって思うタケノコみたいな弟。
 とげとげしくて怒ると怖いイガグリみたいな反抗期の弟。
 お母さんの真似するミニトマトみたいな妹。
 ちっちゃくてかわいいイチゴみたいな妹。
 髪の毛真っ白でもふさふさなカリフラワーみたいなおじいちゃん。
 しわくちゃ梅干しみたいなおばあちゃん。

 みんなみんな大好きだ。



まぁこれは架空の家族だけれども。自分には兄貴も姉も弟もいないもん。家族像を野菜に似させて想像して作ってみただけ。こんな感じかなぁってのを。でもなんか想像できるでしょ!?自分を動物に当てはめるより、野菜に当てはめた方がわかりやすい気がする。身近なモノだしね。動物占いってあるけど、野菜占いってあるのかな。野菜不足になって野菜売らないっていうのはあると思うけど。

普通②

2006-02-16 16:30:10 | オヤ詩゛なおれ
 普通が一番。
 普通がいい。
 普通でいたい。
 普通じゃなきゃ嫌だ。

 でも普通って何?
 普通の基準は?
 普通って誰が決めたの?

 普通じゃなくてもいいじゃん。
 
 私は普通が嫌い。
 
 私は私。

 大多数の一人ってなんか寂しいじゃん。

 私は私の性格がある。
 私は私の感情がある。
 私は私の好きなことがある。

 私は私という存在を大切にしたい。



普通という基準はないだろう。普通の基準はは自分たち個々人が作り上げるもの。周りから見れば私自身も普通だと思われるかもしれない。しかし私の中では周りの普通と私は違っていると思っている。私は普通ではない。私自身は大多数の一人という感覚が嫌い。それなら世界に一つだけの花の方がいい。「最近の若者は~」とよく一まとめにされることが多い。そのようなことをいう大人だって自分たちの中で若者はこうあるべきが普通という基準を作りあげてしまっている。若者から見れば皆が皆そうではないのに。最近はA-BOY(アキバ系)やロリータやゴスロリといったファッションの人たちが街にはいる。私たちから見ればそれは普通ではないだろう。しかし、彼ら彼女らからすればそれが普通なのである。大多数の中にいるから安心という感覚を持たず、自分の興味・関心・考えを持ち、それに向かって追求していくこと、自分は自分であるということをわかっていないとつまらないだろう。まぁこんな長ったらしい文章を書いたことに、こんなこと書くやつは普通じゃないと思ったり、これって普通じゃんって思う人がいるかもしれない。自分の中ではこういう文章を書くことが普通だったりするのである。普通という基準は人間個々人が決め付けるもの。自分の中での普通は他人にとっても普通であるとは決め付けないのがよいだろう。普通の定義は辞書にはない。自分たちの中にある。

普通①

2006-02-16 16:29:57 | オヤ詩゛なおれ
 
 普通って何?

 普通の顔。
 普通の体。
 普通の髪型。
 普通の声。
 普通の服。
 普通の性格。
 普通の仕事。
 
 普通な人。
 普通な人生。

 あなたが普通じゃないところ。
 自分が普通じゃないところ。

 見ないようにしている。
 隠している。

 目立ちたくないから。
 大多数がいいから。

 普通でいたいから。



人は大多数である普通の人間とそうではない人間に分かれているだろう。今の日本社会は狼化しているといわれている。狼とは群れをなして行動し、上には忠実に従う習性を持っている。狼とは反対のところに熊がいる。熊は個人行動だ。熊を白、狼を黒とすると、本来の人間は灰色なのである。なぜなら、感情があり、自分自身を持っていて、人生経験により揺れ動くからだ。しかし今は白黒のどちらかにしようとしている。例えをあげると自衛隊のイラク派遣だ。自衛隊の中には行きたくないと思っていた人もいるだろうが、上からの命令で仕方なく行っている。もっと身近な例をあげると、校則だ。校則により強制されている社会。

農村活性化

2006-02-15 14:05:52 | 農業を考える
先週の授業から…。講師の方は村上真平さん。アジア学院でも一度会ったことのある人だ。海外のNGOで働いていて3年前から福島県で自然農法で百姓をしている方である。


農村活性化…

・人に活性化はさせられない。
・農村の人々自身が喜んで生きていける状況を作らねば、農村本来の活性化とは言えない。
・補助金が出て、観光収入等で活性化したとしても、一時的なもので、それが定着することはない。

意見としては…

しかし、現状として考えると、今の先進国での価値はお金になっている。お金が入ってこないと活性化できないようにと思われているだろう。例えば観光資源等での現金収入で。


お金というものは先進国のためだけにあるもの。世界的に公平ではない。

農業普及員というのは発展途上国を発展させるためではなく、途上国のまま維持させていくことだという。発展途上国から安い物・労働力・土地を得られるから。結果的に日本など先進国にお金や安い食糧が入ってくるから。海外に土地を買いそこに自社工場を建てれば安い労働力で車や何やらできるから。

日本は先進国になった。金を持っている。しかし、金があるから幸せなのか。それは違う。日本での年間自殺者は3万人いるという。1日100人くらい自殺者が出ているということになる。自殺しているのは誰か。金を持っている人間か、それとも持っていない人間か。金を持っていない人間(例えばホームレス)は自殺していないのだが、金はそれなりに得ていて毎日残業等で休む暇もなく働き続けているような人たちが自殺しているのが現状だろう。もちろん借金苦で自殺してしまう人もいるだろうが。しかし、自殺者の多くは金をそれなりに得ている人間だ。なぜホームレスの人間は自殺が少ないのか。それは自由だからだ。

農村活性化のキーワードは「自由」ということにある。村上真平さんも就農した理由は自由を求めてだ。そして自立したいから。生きるためのものは自分で作り上げたいから。もし自分たちの家が災害等で孤立したちしても生きていけるからだ。

また人生において一番生き生きしている時間はいつだろうか。お金をたくさん持っているときか。これも違うと思う。お金をたくさん持っていたホリエモンも確かに一時的には生き生きしていただろう。しかし今はどうか。人生で一番生き生きしている時間は、自分が楽しんでいるときや、考えても結果がわからないものがあるときではないか。特に子供の時だ。泣きたい時に泣いて、笑いたいときに笑う。自由だ。何でも自分から学べられる。もし親からあぁしろこぉしろという押し付けがあると、逆に自発できなくなり、目が沈んでいってしまうという。

よって農村活性化においても、上からの押し付けや補助金だけでは農民の目は沈んでしまう。農民個々人が自由に自立した環境を作り上げられるかどうかが農村の活性化につながるだろう。外からのお金に頼らず、個々人が成長して幸せにならなければならない。