平和/憲法研究会

平和と憲法に関わる問題についての討論の広場

「憲法96条は憲法改正限界に当たる」とする三宅祐一郎・三重短期大学准教授の指摘に関する若干の考察

2011年11月06日 | 研究会報告
2011.10.29. 平和憲法研究会 報告


憲法96条改正問題 


 「憲法96条は憲法改正限界に当たる」とする三宅祐一郎・三重短期大学准教授の指摘に関する若干の考察
                       

中村明


▽ 憲法改正の発議権を三分の二から過半数に改正を求める超党派の議員連盟が発足

民主党、自民党などの約100名の超党派議員で構成される「憲法96条改正を目指す議員連盟」が発足した。顧問には森喜朗、安倍信三、麻生太郎氏が就任している。
 同議連の憲法改正原案は「日本国憲法の一部を次のように改正する。第96条第一項中『三分の二』を『過半数』に改める」としている。
 提案理由として「現行憲法の憲法改正発議権は厳格に過ぎ、時代に応じた憲法改正の道を広げるとともに国民が憲法改正を通じた憲法論議に実質的に参画する機会を確保する上で、大きな障害となっている」ことを挙げている。
 同議連の呼び掛け文は「憲法改正への第一歩とするためにも、現実的に高いハードルである三分の二条項を緩和することこそが、結果として憲法議論に各党が責任を持って取り組むことにつながると考える」としている。
 憲法96条は憲法改正のための手続きとして次のように規定している。
「憲法96条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票に置いて、その過半数の賛成を必要とする。
 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」
 日本国憲法96条は憲法改正の発議のためには衆参両院議員の総議員の三分の二以上の多数の賛成が必要だ、とする特別多数決を採用していることから、同議連の改正案自体が国会で議決される可能性は小さい。

▽三宅氏は、改正案自体が「憲法改正限界に当たる」

 三宅祐一郎・三重短期大学准教授は、同議連の改正案自体が「憲法改正限界に当たる」と指摘する。しかし、憲法96条改正案は、国民主権、平和主義、基本的人権、国際協調主義と同様に「改正には限界がある」と言える条文に当たるかどうか。
 とりわけ基本的人権は憲法97条が「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に耐へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と明定していることから、基本的人権の精神を否定するような憲法改正は問題外だ、との考え方が一般的だ。しかし、憲法96条の三分の二条項は基本的人権と同じくらい重い意味を持つものかどうかについては検証しなければにわかに三宅説を肯定できない。
 自民党と民主党は衆参両院の議席の逆転現象という“ねじれ”国会の中で、小選挙区制が足を引っ張る形となり、政治課題について一致点を見出すことが難しくなっている。このため憲法改正問題や議員定数削減問題などでつながりを持とうと「与野党の一致点のいびつな肥大化」(国会関係者)現象が生じている。
 こうした与野党議員による「憲法改正のための変化球」を上手にかわすためには、何故日本国憲法は改正が困難ないわゆる「硬性憲法」となっているのか、について歴史的な検証を行い、理論的に説明する必要がある。憲法96条は現行憲法の本質にかかわることであるがゆえに「硬性憲法」にした、と説明できないかどうか考察した。

▽マッカーサー草案は、憲法改正は全議員の三分の二の賛成で発議

 まず現行憲法制定の経緯について検証する。憲法の原案はGHQ(連合国総司令部)が作成した。
マッカーサー草案で憲法改正は第九章の第八十九条に規定されている。
Article 89 Amendments to this Constitution shall be initiated by the Diet,through a concurring vote of two-thirds of all its members, and shall thereupon be submitted to the people for ratification, which shall require the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon at such election as the Diet shall specify.
Amendments when so ratified shall immediately by proclaimed by the Emperor,in the name of the People, as an integral part of this Constitution.

外務省の仮訳は次の通り。
第九章  改正
第八十九條 此ノ憲法ノ改正ハ議員全員ノ三分ノ二ノ贊成ヲ以テ國會之ヲ發議シ人民ニ提出シテ承認ヲ求ムヘシ 人民ノ承認ハ國會ノ指定スル選擧ニ於テ贊成投票ノ多數決ヲ以テ之ヲ爲スへシ
右ノ承認ヲ經タル改正ハ直ニ此ノ憲法ノ要素トシテ人民ノ名ニ於テ皇帝之ヲ公布スヘシ
▽第一次政府案は、国会の発議は両議院各々その総員三分の二以上の多数 
マッカーサー草案を受けて松本烝治国務大臣と佐藤達夫法制局第一部長が昭和21年3月2日に司令部に日本政府の憲法原案を提出し、これを基に佐藤氏が2日間徹夜で司令部と交渉してまとめた第一次政府案(いわゆる3月4日案)では、憲法改正は第9章総則の105条に規定されている。
第一次政府案(3月4日案)
第九章 総則
第百五条   この憲法の改正は国会これを発議し、国民に提案してその承認を求むべし。
 国会の発議は両議院各々その総員三分の二以上の多数を得るに非ざれば、その議決を為すことを得ず。
 国民の承認は法律の定むる所に依り、国民投票の多数をもってこれを決す。
 憲法改正案は国民の承認あるとき、憲法改正として成立す。
 憲法改正は天皇第七條の規定に従いこれを公布す。

憲法改正草案要綱(3月6日発表)(第二次政府案)
 第九章 改正
第九十二条  この憲法の改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成をもって国会これを発議し、国民に提案してその承認を経べきこととし、国民の承認は国会の定むるところに依り行わるる投票においてその多数の賛成あることを要すること。
 憲法改正につき前項の承認を経たるときは、天皇は国民の名において憲法の一部を成すものとして直ちにこれを公布すべきこと。


憲法改正草案(第三次政府案)
政府は4月17日、発表。枢密院に提出。
 第九章 改正
第九十二条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体をなすものとして、直ちにこれを公布する。

帝国憲法改正案(第四次政府案)
6月20日衆議院に提出。
  憲法改正条項については第三次政府案と同じ内容。


衆議院修正(8月29日)
憲法九十二条にあった条文を第九十六条に移行する修正が行われた。条文自体は無修正。


貴族院修正(10月6日)
 衆議院で修正されたものと同じ内容。無修正。

日本国憲法(確定成文)(11月3日公布)
 「憲法改正」は憲法第九十六条に規定され、公布。


▽マッカーサー草案が硬性憲法

憲法改正の条文が形成される過程を見ると、マッカーサー草案が出来た段階で硬性憲法という性格が決まっていた。松本国務大臣と佐藤法制局第一部長は硬性憲法を当然のように受け止めて、政府の帝国憲法改正草案を起草した。日本側の申し出により二院制がとられることになり、「改正」についても、「国会の発議は両議院各々その総員三分の二以上の多数を得るに非ざれば、その議決を為すことを得ず」と規定、一院制をとるマッカーサー草案(此ノ憲法ノ改正ハ議員全員ノ三分ノ二ノ贊成ヲ以テ國會之ヲ發議シ)よりも一段と厳重なものとなった。
その理由について分析する前にGHQ内部で、憲法改正条項をめぐりどのような論争があったのか、調べてみた。
香川大学の高橋正俊氏の論文「日本国憲法改正規定の背景――マッカーサー草案における形成過程とそのBackground――」と、高柳賢三氏らがまとめた「日本国憲法制定の過程  原文と翻訳」によると、憲法改正条項を起案したのは総司令部民政局の天皇・条約・授権規定に関する委員会に所属するネルスン陸軍中尉とプール海軍少尉で、この原案を基に運営委員会のメンバーであるケイディス陸軍大佐、ハッシ海軍中佐、ラウエル陸軍中佐と協議し、最終的にはマッカーサーの裁断でマッカーサー草案第八十九条が出来上がった。
 高橋氏によると、ネルスン中尉らが作成した原案は見つかっていないが、1946年2月6日のネルスンら起案者とケイディスら運営委らとの協議の内容から、次のように推論されるという。①10年後の1955年までは改正を禁止する②以後、10年ごとに憲法改正のために特別会が開かれる(レビュー条項)③憲法改正は、国会の三分の二以上の多数決で発議され、四分の三以上の多数決で承認される――というものだ。

▽多数派の勢力の気まぐれで憲法の変更がなされるということを不可能にする

 ネルスン中尉らは「日本国民にはまだ民主主義運用の用意が出来ていない」ことから、①改正を10年間禁止することにすれば、日本国民が新たに獲得した民主主義を自治の技術を修行中に失ってしまうことを防ぎうる②憲法改正案の提案と承認に三分の二、四分の三というかなり高い率の賛成を要求していることは、単に多数派だというだけの勢力の気まぐれによって憲法の変更がなされるということを不可能にする――と主張。
 これに対して、ケイディス大佐ら運営委員会側は、「自由主義的な憲法の起草は、
責任感のある選挙民を前提にせねばならず、また、どの世代にせよ、一つの世代に次の世代が憲法を改正する自由を制約する権利があるということはない」との考えを表明。
 ケイディス大佐は「10年ごとに憲法を再検討しなければならぬという規定は削除したほうがよい」と述べ、ハッシ―海軍中佐は「憲法改正は国会が総議員の三分の二以上の賛成を得て発議し、選挙民の過半数以上の賛成によって承認されるものとしてはどうか」と述べた。
 
▽マッカーサーが裁定する形でマッカーサー草案第八十九条が形成

高橋氏によると、憲法改正の制限条項は、人権に関する委員会の作成した第一次案にも盛り込まれており、2月8日の運営委員会と人権委員会との間で論争があったという。
 人権委の第一次案には「四 この憲法のいかなる将来の改正も、またいかなる将来の法律又は命令も、ここに国民に対して保障する絶対の平等及び正義の権利を決して制約し、又は撤回してはならない。また、いかなる将来の立法も公共の福祉、民主主義、自由又は正義を他のいかなる考慮に従属させることがあってもならない」と人権規定の改正を禁止する条項が含まれていた。
 これに対して、ケーディス大佐は「これでは権利章典の改正は無効となり、その変更は革命によってのみ成就されることになる」と反対した。
 ハッシ海軍中佐も「第四条は、政治についての意見と理論とを憲法という高次の存在としようとするものだ」「第四条を憲法に挿入しても、その趣旨が実現されるかは最高裁判所の解釈にかかっているのだから、非実際的である」と反対。
 その後、運営委員会と天皇委、人権委の協議が行われる中で、マッカーサーが裁定する形でマッカーサー草案第八十九条が形成された、と高橋氏は指摘する。

▽GHQ,米国憲法第五条の成立過程を踏まえる

 さらに高橋氏は、マッカーサー草案第八十九条を起草した人たちは、米国憲法第五条(注1)の改正規定の成立過程や問題点を踏まえたうえで、こうした作業に取りかかったことを深く認識すべきだ、と説いている。
 高橋氏は、米国でも憲法改正の規定をめぐり長い間論争が繰り広げられたが、1939年のColeman v. Miller判決で1930年のオ―フィールドの論文を強化する内容で決着がついた。 
 オ―フィールドは、憲法改正について黙示的な内容制限は存在しない、としてその理由として①黙示的内容制限が第五条但書として置かれたことは、憲法制定会議において、内容的制約が真剣に考えられた結果であるから、改正は広く認められ、黙示的制約を認める理由がない②改正規定は、憲法の不完全性を十分認識したうえでのものであるから、改正は広く認められ、黙示的制約を含意するとは考えられない③改正規定は主権の表現であり、他の憲法条項の影響を受けない特別の性格を持つ――などを挙げている。
 1939年のColeman v. Miller判決は、オ―フィールドの論考を踏まえて、第五条の改正には、その但書による州の投票権平等以外に内容的制限は認められない、との判断を下している。
 高橋氏はこうした米国憲法の改正条項をめぐる論争が「マッカーサー草案を作成した民政局員たちの背景知識としてあった」と強調する。つまり基本的人権を尊重する条項といえども憲法改正の禁止条項とはならないが、憲法改正は国民主権の表現、言葉を換えれば国民の主権行為であることから、改正手続きは極めて慎重であるべきだ、というものである。

(注1) 米国憲法第5条 憲法修正
連邦議会は、両議院の三分の二が必要と認める時は、この憲法に対する修正を発議し、または全州の三分の二の議会の請求がある時は、修正発議のための憲法会議を招集しなくてはならない。いずれの場合でも、修正は、全州の四分の三の議会によって承認されるか、または四分の三の州における憲法会議によって承認される時は、あらゆる意味において、この憲法の一部として効力を有する。いずれの承認方法を採るかは、連邦議会が提案することができる。ただし、一八○八年以前に行われる修正によって、第一条第九節第一項および第四項の規定に変更を及ぼすことはできない。また、いずれの州もその同意なくして、上院における平等の投票権を奪われることはない。

▽松本大臣、佐藤法制局第一部長は八十九条に違和感なし

 マッカーサー草案第八十九条がGHQ内部で激しい論争の結果生まれたものであることは、当時の日本政府側は知る由もないが、松本国務大臣も佐藤法制局第一部長も第八十九条を当然のように受け止めた。
 松本大臣らは大日本国帝国憲法改正を同第73条(注2)の改正手続に基づいて実施する考えでいた。第73条は、上杉愼吉・東京帝国大学教授の「帝国憲法逐条講義」が説くように「不磨の大典であり」「これ(憲法)を改正し、統治の條規を変更するは、天皇みずから発案せられざれば、なしうべからざるものとし、わが立憲の根本主義たる、大権中心の主義を、ここに最も徹底したのである」。この帝国憲法第73条に慣れ親しんでいた松本大臣らにとって、マッカーサー草案第八十九条は違和感がなかったのだろう。GHQと激しくやりあったような証拠はない。
(注2)大日本帝国憲法73条  将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
1. 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス
▽国会の発議自体は、明確化した憲法改正の世論実現のための単なる手続き
佐藤氏ら法制局が帝国憲法改正案の第九十二条について、どのような考えを持って制憲国会(第九〇回帝国議会)に臨んだのか推量する材料が、佐藤達男の著書「日本国憲法成立史」第三巻の四四八頁に記されている。佐藤氏は国会での論戦に際して次のような想定問答を試みている。

 問  憲法改正案の発案権は国会の各議院にのみ存するか。
答  否。国会各院とともに政府もまたこれを有する。そのいずれから提案せられたるにせよ衆議院、参議院の各々において総議員の三分の二以上の多数の賛成を得て可決せられたるとき、初めて国会の発議として国民に提案されることとなる。
問  憲法改正の発議につき、何故参議院に対し衆議院と対等の立場を認めたか。
答  憲法改正は、日本国の根本法の改正であるから、その改正はすこぶる重大であり単なる法律案、予算案と異なり一層慎重なることを要する。
・・・・これらの点を考えると、憲法改正は万人の十分な納得の下に行わなければならない。改正の権限の本体が国民自体の承認権にあるとしたことは、この要求の充足を保障する結果になるが、さらにその発議権についても両院の意見一致を必要としたことは、かような万人の納得を図る考慮に出たものと考え得る。
この場合参議院が、国民の一部の特権の代表ならば、この制度は反動的だと言えようが、この憲法においては参議院は衆議院とともに国民の代表の機関であり、……健全な民意反映の機関たるため支障ないと考えられる。
事の実際においては憲法改正の手続きのとられる前に、澎湃(ほうはい)として改正の世論が起こりそれが成熟し、したがって国会の発議はかように明確化した世論の実現のための単なる手続きにすぎぬこととなるべきであるから、両院の歩調はそろうものと思われる。

以上は想定問答の一部であるが、なおこの章について、いわば確定版として、
一枚刷りにしたものに次の問答がある。
問   改正憲法案第九十二条(帝国憲法改正案では九十二条、衆院修正で九十六条)による将来の改正につき限界ありや。本案の改正手続きによって国体の変更可能なりや。
答   国体を否定するような改正は第九十二条は予想していない。
   (かくのごときことは革命であって憲法改正の問題ではない)  

 この想定問答から、佐藤氏ら法制局は憲法改正問題については、まず国民の側から「この問題の解決のためには是が非でも憲法改正が必要だ」という声が澎湃(ほうはい)として起こり、それが一つの世論として成熟したとき、国会は成熟した世論の反映としての衆参両院における三分の二以上の多数決で改正案の発議を行う。その発議自体は、明確化した憲法改正の世論実現のための単なる手続きにすぎないことから、三分の二の特別多数決についても佐藤氏らは違和感なく受け止めていることが分かる。佐藤氏は国民主権原理を変える憲法改正は行えない、と考えていたことが分かる。
▽先議権を衆議院に与えなかったのはなぜか
 制憲国会では、国会が発議する場合の先議権の問題、国民の投票権(レフェレンダム)をめぐる問題が論議の対象となったが、三分の二の特別多数決に関しては議論されることはなかった。
 衆議院帝国憲法改正案委員会は昭和21年7月22日、帝国憲法改正案に関する逐条審議を行った。この中で、山崎岩男氏は「第九十二條の『この憲法の改正は、各議院の總議員の三分の二以上の贊成で、國會が、これを發議し』とありますが、國會が發議する以上は、先議權をどうして衆議院に與へなかつたか」と政府の考え方を質した。
 
▽憲法改正は急ぐことよりも愼重と云ふことに重きを置かなければ、と金森大臣

これに対して、金森國務大臣は「此の憲法の改正は他の法律と違ひまして、重點は國民が作ると云ふ所に重點を置いて居ります。普通の法律は唯一最高の立法機關である國會が作ると云ふ建前を採つて居ります。併し憲法は更にそれ以上のものでありまして、根本的には所謂主權が存在して居ると云ふ風に御説明を申上げて居りました所の國民全體が憲法の改正を決めるのであります、斯う云ふ趣旨を持つて居りまして、手續と致しましては國會が發案を致しますけれども、之を決定致しまする本體は、國民投票又は選擧の際行はるる投票に於て、過半數で決める斯う云ふやうな建前になつて居ります」と述べ、憲法改正は国民自身の主権行為であるとの考えを強調。
さらに「國會が發議すると云ふ時の方法はどうしたら宜いか。衆議院に主たる立場を認めるか、或は參議院に主たる立場を認めるかと云ふ問題になつて來るのであります。此の憲法は衆議院を主たる立場に置いて居る譯であります。併しながら憲法改正と云ふ立場に於きましては、衆議院と參議院とを全然同じ立場に置いて居るのでありまして、法律の場合のやうに一方が他方の意思を抑制し得るやうな途は初めから認めて居りませぬ。双方共同じ立場に於て之をすると云ふ風になつて居ります」「なぜ兩院を同じにしたかと云ふと、御承知の如く憲法の安定性を圖りまする爲に、出來るだけ大事を取らなければならぬ。外の法律は固より急ぐ、早く執行に付したいと云ふ立場から衆議院に重點を置きますけれども、憲法は急ぐと云ふことよりも寧ろ愼重と云ふことに重きを置かなければならぬと云ふので、是だけは議院を同じ形にした譯であります」と述べ、国会の発議権の行使は慎重でなければならないとした。

▽総選挙と同時に「レファレンダム」の実行も

山崎(岩)氏「『國會の定める選擧の際行はれる投票』とありますが、『國會の定める選擧の際』と云ふのは、如何なる選擧でございませうか」
金森國務大臣「國民投票を致しまする時に、特別の國民投票をする、何月何日に此の憲法改正の爲に國民投票をする、斯う云ふ考へ方もありますが、いちいちそれが爲に特別な投票をやらなくても、衆議院議員の總選擧が現に行はれまするやうな場合に、其の總選擧の手續と同じ組合せで、同じやうな投票のとき、投票の場所を利用して同時に『レフェレンダム』を實行するならば、一層簡便であらうと豫想して、國會の定める選擧の際、行はれる投票に於て『レフェレンダム』する、其の色々な手續を序でに利用すると云ふやうなことであります」

▽「天皇は国民の名で交付する」の意味は

山崎氏「第七條に憲法の改正法律、政令及び條約を公布することは天皇の國務を行ふ所の權限の中に明記されて居るのでありますが、本條の末項には『前項の承認を經たときは、天皇は、國民の名で、この憲法と一體を成すものとして、直ちにこれを公布する』とある。七條に依つて既に天皇の國務上の大權が認められた以上は、ここに『國民の名で』と書く必要がない、と考へるのでありますが、どうか」

▽國民が決めた憲法であるとはっきり言うために「國民の名で」と書いた

金森國務大臣「『國民の名で』と云ふ言葉がなくつても左樣な同じ結果の生ずることは申すまでもありませぬ。併し初めからの建前が國民は主權を持つて居る、さうして其の主權を持つて居る國民が一番働くものは何か、それは憲法の制定である。斯う云ふ風に考へて居りますから、教科書風に申しますと、憲法制定權なら制定權と云ふものを分けまして、區別して居ります。其の考へで憲法制定權は國民に在るのだ。斯う云ふことを前提として居りますから、其の國民が決めた所の憲法であるぞと云ふことをはつきり言ふ爲に、念を押して重からしむる意味に於きまして、是は國民が決めた憲法であると云ふので、『國民の名で』と云ふのでありまして要らないと言へば、法律的にはなくつても十分目的を達する譯であります」

▽レファレンダムを採用した理由は何か

昭和21年9月25日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会でも憲法96条をめぐり論戦が繰り広げられた。この中で、金森国務大臣は「憲法の制定は結局國民の意思を直接なる方法で表明する」という国民の主権行為であり、「レファレンダム」を実施しても「國會の兩院に於きまして、三分の二の多數決を經たと云ふやうなことでありまするので、大凡問題がはつきりして來るのでありまして、『レフェレンダム』を行ひました爲に、特別な國民の中に紛雜が起ると云ふことも先づ無いと考へます」と述べ、特別多数決で国会議員という国民の「半代表」が発議した改正案を国民投票で決することになるのだから、大きな混乱はない、とした。
澤田牛麿氏「『レフェレンダム』と云ふものは、『スイス』の如き、若しくは昔の『ギリシヤ』の如き小さな範圍、所謂『シテイ・ステート』に屬するやうなものであれば、是も效果があると思ひますが、八千萬もの人口の大きな國で『レフェレンダム』と云ふことは、事實は甚だ適切でないと思ひます。國民全體で決めるのだから宜いと云ふ、理想的の觀念としては結構かも知れませぬが、實際に於ては『レフェレンダム』と云ふものは、私は餘り效果の無いことであると思ひます。此の『レフェレンダム』を採用になつた理由を一つ伺ひたい」

▽憲法の制定は國民の意思を直接なる方法で表明する、と金森大臣

金森徳次郎国務大臣「此の憲法の改正案の前文にありますやうに、國の一番基本的なる問題を解決致しまするのは、國民が最後の鍵を握つて居る斯う云ふ形で今後の憲法の建前が出來る譯であります。從つて所謂憲法制定權と云ふものと立法權と云ふものは、觀念的に區別をされまして、憲法の制定は結局國民の意思を直接なる方法で表明する。立法權はさうではなくして、國民が選擧致しましたる所の國會に依つて表明せられる。斯う云ふ基本の建前を執つて居る譯であります。
此の考へ方が良いか惡いかと云ふことは、固より批判の目的になりまするけれども、是から此の民主政治を徹底致しまする結果として、國の制度の一番基本的なものは、一番基本的な方法、即ち國民の直接なる意思の表示に依つて決することが、先づ妥當なりと考へられる次第であります。
其の前提に依りまして、一應は國會に於て改正案を發案をして、其の發案したものを決めるのは、國民の投票であると云ふ風に致したのであります。斯樣なことを致しますると、今仰せになりましたやうに、それは實際に於て實行することの困難であると同時に、國民の多數に判斷を直接に行はしむると云ふことが妥當を失するのではないか、と云ふことに一應疑が置かるるのでありますが、形式的に國民が現實に投票をして、其の數で決ると云ふ實行の方面は、さ程むづかしいことではないと考へて居ります。
どうせ總選擧と云ふものは議會の民意に付いてあることでありまして、それと同じやうなことを、若しくは同時にやるだけのことでありますが故に、大したことはないのではないか。全體の投票を計算致しまするのに、凡そ全國で十五日乃至二十日を必要とするかも知れませぬけれども、併し十五日、二十日を必要とすると云ふことは、大きい問題の爲には、大した支障はないのではないか」

▽国会の特別多数決で発議した後の国民投票は混乱起こさず、と金森大臣

金森大臣「次に『レフェレンダム』と云ふものは煩雜で困ると云ふことは、或種の法律案を發案を致しまするとか、或は箇々の法律を批評します時、或は衆議院の解散を要請する、斯う云ふ『レフェレンダム』は可なり警戒しなければならぬと思ふのであります。政治上の一時の勢力で『レフェレンダム』を寧ろ濫用さるる虞もありまして、政治の安定を害すると云ふ見地から懸念をしなければなりませぬが、此の憲法改正の如き、容易に起らないことであります。而も國會の兩院に於きまして、三分の二の多數決を經たと云ふやうなことでありまするので、大凡問題がはつきりして來るのでありまして、『レフェレンダム』を行ひました爲に、特別な國民の中に紛雜が起ると云ふことも先づ無いと考へます。
次に國民は、斯樣な『レフェレンダム』をやつて、本當に眞實に或結論を現せるものかどうかと云ふことになりますと、是は確かに一つの問題とならうと存じます。箇々の國民が、若しも其の修正の目的物が非常にむづかしい問題でありまするならば、特別なる素養を持つて居ない所の國民に、直接判斷せしむることは、なかなか困難であると云ふことは言はれ得ると思ひますけれども、併し國民は、色々な態度を執り得るのでありまして、一人々々が、内容を審査する人もありませう。
又然らずして、自分達が信頼した所の國會議員が決めたと言ふことに、先づ大部分の安心を置いて投票せらる、人もあるのでありませうから、國民の文化とか、或は斯樣な方向に於ける特殊なる知識の發達が漸次充實して來まするならば、それに應じて適切なる判斷を下し得ると思ひます。
又左樣な適切なる判斷を下し得ることを、我々は國民に期待しても宜いのであります。其處を理想としない限りは、此の新らしい憲法政治は、以て揚がることを得ない譯と思つて居ります。
『フランス』では先頃憲法改正案に付きまして、國民投票で否決をして居りまするが、其の道程等を仔細に考へて見ますると、矢張り輕擧妄動するやうなことに、國民はなかなか同ずるものではございませぬ。此の『レフェレンダム』の制度を持ちましたならば、落附いた國民の氣持が、憲法修正の上に現れて來るのでありまして、種々なる角度から見まして、懸念すべき何物もない。而して信頼すべき多くのものが含まれて居る、斯樣に考へて居る次第であります」

▽この憲法改正案自体を国民投票に附したらどうか

澤田牛麿氏「只今の御話に依ると、國民に判斷をさせると云ふことはむづかしいことでもないし、理想的なことだと云ふ御話でございますが、さうすると、此の草案が議會を通過した後に直ぐ御始めになるのでありますか、此の次の改正からでなければ始めないと云ふのでありますか、若し此の次の改正からでなければ始めないと云ふならば、何故にそれ程宜いものを此の次でなければいかぬと言つて制限するのでありますか、直ぐにおやりになつては如何ですか、其の邊はどう御考になつて居りますか」

▽欽定憲法の73条に基づき改正、レファレンダムを実施ない、と金森国務大臣

國務大臣(金森徳次郎君)「此の憲法は、現行憲法七十三條に據つて居りまして、外の言葉で申しますれば、欽定憲法の延長の線に於て變更せらるるものでありまするが故に、『レフェレンダム』に依ると云ふことは致しませぬ。それは此の法と言ふものの變つて行く手續の段階に於て、其の時其の時の制度に基くのでありまするが故に、輕々しく之を變改することは決して適當ではないと信じ、又なかなか手續上も、法律上の考へ方に於きまして容認出來ることではないと考へて居ります。
今仰せになりましたやうに、良いことなら直ぐやつたらどうかと云ふ御話でありましたが、それは現行憲法七十三條に基き、憲法の一貫性と云ふことを尊重して、極く落附いた氣分で此の憲法の改正を取運んで行きまする考から、それはしない方が宜い、さう云ふ手續の方向に制度を考へて行かない方が宜い、斯う信じて居るのであります。併し實際に於て、國民が此の憲法に果して如何なる考を持つて居るだらうかと云ふことを能く採入れて置くと云ふことは必要でありまして、是は度々申上げて居りまするやうに、三月の初めに此の草案の要綱が出來上りました時に、之を世の中に發表し、更に其の後、衆議院の總選擧が行はれると云ふやうな道行き、それから可なり色々な方法に依りまして、國民の衆智を求めて居りまする見地から、大體に於て『レフェレンダム』ではありませぬけれども、それに近き實際上の結果を得て居るやうに思ふ譯であります」

▽憲法改正の要件を緩和した国もある

制憲国会の議論を踏まえ、現行憲法が硬性憲法と言われるゆえんは、憲法改正案は衆参両院議員の三分の二以上の特別多数で発議された後、最終的には国民投票で国民自身が判断する制度が導入されたことだと、との見方が一般的だ。それは国民主権原理からいって当然であり、その基本にかかわるような憲法96条改正案は「憲法改正の限界説に含まれるものだ」と言っても過言でないように思われる。
しかし、憲法改正の要件を緩和した事例が外国にないか、と言えば、タイ、デンマーク、フランス、インドネシアでこうした改正が行われている。
 例えばタイの1991年憲法は憲法改正問題に関する第一読会が「上下両院の三分の二の賛成」で可決することを要件にしていたのに、1997年憲法は「上下両院の総議員の過半数の賛成」に改めている。
 デンマークでは、1915年憲法が総選挙をはさんだ2回の上下両院の過半数の賛成に加えて国民投票における過半数の賛成――その賛成票も全有権者の45%を超える必要――があるとしていたが、1953年憲法は(現行憲法)88条で、上下両院で憲法改正案を可決した後、総選挙を行い、選挙後に召集された国会において、無修正で改正案を可決する。6か月以内に国民投票に付し、投票者の過半数かつ全有権者の40パーセント以上の賛成が必要――として、国民投票の賛成票の要件を緩和している。

▽何故憲法9条改正が必要か、真正面から論争すべき

 三宅祐一郎氏は、憲法改正権は憲法制定権によって憲法に書きこまれた法的な権力(制度化された制憲権)である以上、「自己の根拠たる現憲法の基本原理を否定することは論理的に矛盾する」とする芹沢斉氏の見解を引用して、「憲法96条も憲法改正の限界に当たり」、憲法改正権者が憲法96条の「三分の二以上」を「過半数」に改正するなどはやってはならないことだ、と主張する。しかし、国会発議の要件緩和まで憲法改正限界説に含めることは憲法96条誕生の経緯を検証すると難しいように思われる。
 とはいえ、憲法改正問題は国民の主権行為の顕現であり、国会の発議権も国民世論の成熟を受けての手続きであることから、96条改正議連の行動は軽はずみのそしりを免れない。憲法改正論者の狙いが憲法9条改正であることが明確であることから、国会議員たるものは姑息な形で発議要件の変更に執念を燃やすことをやめて、真正面から「何故憲法9条の改正が必要なのか国民に率直に訴えるべきだ」と呼びかけたらいい、というのが私の結論だ。