敬愛する祖父が旅立ちました。
101歳の大往生でした。
ここ1年ほどは、この日が来ることがそう遠くはないことを知ってはいました。
知ってはいたのですけれど…いざそのときが来てしまうと、やっぱり淋しいものですね。
私にとって祖父は、この世で最も尊敬する人物でした。
決して「おじいちゃんっ子」だったわけではありません。
果てしなく温かいけれどどこか近づきがたくて、こどもの頃は「おじいちゃ~ん♡」なんて気安く駈け寄れる対象ではありませんでした。
(頑固じいさんを絵に描いたような顔もちょっと怖かった・笑)
けれどずっとずっと、祖父が私の人生の指針でした。
今になって思えば、ずっと「おじいちゃんみたいな人になりたい」と思って生きてきたように思います。
私が油絵を描くようになったのも、大学で美術を学び引退後も趣味で描き続けていた祖父が、あるとき自分が描きつぶしたベニヤ板を1枚私にくれて、「描いてみるか?」とパレットを差し出してくれたのが始まりでした。
本好きになったのも、そう。
読書家の祖父が、私たち孫が会いに行くたびに本屋さんへ連れて行ってくれて、「漫画以外の好きなものを選べ」と、1人に1冊必ず買い与えてくれたのがきっかけです。
あれで『本を読む』ということが習慣づけられた気がします。
植物好きになったのなんて、まるっきり祖父の影響です。
山が好きな人だったので、夏になるたびに中国山地のいろんな山へハイキングに連れて行ってくれて、歩く道々、さりげなく植物の名前や性質を教えてくれました。
植物を育てるのも大好きで。
祖父宅には小さな庭がありましたが、それでは飽き足らず敷地内の駐車場までいつしか庭の一部となり、果ては畑まで借りて、たくさんの花や野菜や果物を作っていました。
(…そうそう、おじいちゃん、大株に育てたフウチソウを私にくれるって言ってたのに、そのままになってるよ。 あれどうしたのかなぁ)
元教師という職業柄か、探求心がとても強くて凝り性。
ぼうっとしている時間など少しもなくて、いつも必ず何かしらやっている。
昼寝をしている姿すら、90歳を過ぎるまで見たことがありませんでした。
けれど、お茶目なところもたくさんあって。
『甘党』という言葉では足りないくらいの大の甘党で、朝食のパンにはちみつをたっぷり塗った上に、更にグラニュー糖をふりかけて、それをジャリジャリ言わせながら満足げに咀嚼しているのを目撃したときには、開いた口が塞がりませんでした(笑)
…ちなみに、それを流し込むコーヒー牛乳にも、砂糖をたっぷり。
ミルクキャラメルが大好物で、亡くなる間際に食事が摂れなくなってからもそれだけは食べていました。
これで101歳まで病気知らずなのだから、驚きです。
ほんとうにほんとうに大好きでした。
個人としてのおじいちゃんも、家庭人としてのおじいちゃんも、心の底から尊敬しています。
おじいちゃんのようなスーパーマンには、到底なれそうもないけれど。
それでも、教えてもらった多くのことや、与えてもらった深い愛情を忘れずに、おじいちゃんみたいに人生をかけて自分の『好き』を極める作業をしていきたいと思います。
それでは、お別れに行ってきます。
おじいちゃん、またね。
おばあちゃんにもよろしくね!