啓蒙や箴言のつもりで向かい合うのは、稲森さんの言質源泉の意図に反してると思うのです。いい言葉を聞きに行く、手っ取り早く失敗しにくそうなのを選んどくというスタート、ことごとくが言ってみれば卑怯であって、そこ由来で始めたものには、卑怯も結果に含まれることになってしまう。元も子もない。
謙虚さは「魔除け」になるんだ「謙虚さが本当に大事なんだ。少しぐらい仕事がうまくいっても、けっして自分の成果だと思ってはいけない。つねに周囲の人に気を配って、謙虚でいる。結局、そういう人に、人は集まってくるんだ」楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に行動する幸福になるには「人生を長期的な視点で見ること」何を始めるにしても、まずは現状に感謝しなければならないんだ「新規事業というのは、たとえ規模が小さくても、ワクワクして始めるものだ。しかし、肝心のリーダーが、うまくいかないかもしれないと、否定的な言葉を口にしていては、ワクワクするどころか、暗くなるだけだ。それではうまくいくものも、うまくいかなくなる」リーダーは怖くても、怖いそぶりを見せたらダメなんだ「JALの皆さんは、経営計画という約束を守れなかったのではありませんか?人間として正しいこと、約束を守るということができなかった。だからこそ、JALは倒産したのではないのですか?」「人から嫌われたくない人間では、部下を育てることも、強い組織を作ることもできない」「たとえば、部下に新しい仕事を指示するとき、部署を代表して新たな可能性に挑戦してもらうわけだから、感謝の気持ちを持って話しているか、どうか――。また、部下を叱責するとき、部下に成長してほしいという、思いやりを持って話しているか、どうか――。結局、そういうことが大事なんだ」完成品が見えてくるまで考える
虚心坦懐に耳を傾けるだけ、で終始あらねば、いっそ触れないでいたほうがいい言葉だと思います。今のこの世はとかく手っ取り早さというコンビニエンスとコスパの発想が土着過ぎててしみったれてます。
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