リリコ雑記

徒然なるままに、思いつき日記。

あっという間に金曜日。

2012年03月09日 18時51分49秒 | Weblog

今日はとてもよい天気でした。

体感気温は寒かったですけど、一年前の金曜日は、大地震のあった日。

その日は、朝から曇り空のどんよりした空が、地震後、雪になって。


地震の最中に停電になって、暖房もなくて、本当に寒かった……。



その時、自分はちょっと休憩してた最中でした。

PCの打ち込み作業に疲れて、それで、ちょっと休憩だー。


ってな最中。


グラグラときたんですよ。


実は、その前日も地震があって、その時はそんなに大きい地震では無かったから、

その時もすぐに収まるだろうって、静観してました。



だけど、この日は違ってて、一向に収まる気配がない。


つか、ますます大きくなってる!?


って恐怖が襲ってきたもんだから、さくっと外に逃げました。


あんまり慌ててた所為か、携帯、机に置き忘れてるし。

だめじゃん、自分。


外はこれまた寒くて、凍えそうなくらい。

コートも着ないで外に飛び出したもんだから、本当に寒かったな。


で、そのうちわらわらと他の部署の人たちも出てきて、10人くらい、外にいたような。


だけど、地震はなかなか収まらないし、地面も建物も全部大きく波打つように揺れて、

建物のガラスがガシャガシャと大きな音を立てて、小刻みに揺れるもんだから、

いつか、ガラスが割れて落ちてくるんじゃないかと気が気じゃなくて。


いつになったらこの巨大な地震が収まるんだろう、ってくらい長くて、不安で心配で。


(後で思ったんだけど、携帯持ってきてたら、これ撮ってたのになー、って思った。

やっぱ、記録として残すべきだったな、と)


そうして、ようやく収まったと思っても、すぐに大きな余震が襲ってくる。


取り敢えず、落ち着いてから職場の建物に入ってみたら、停電してました。



ただ、ウチの建物はすぐに非常燈がつくんで、その時は少し明るかったですけどね。



地震発生から約一時間後、大きな余震も続くし、停電したままだし、

このままでは仕事にならないんで

職場では、全員その場で帰宅・解散となりました。


因みに、停電だから勿論のこと、テレビはつかないし、ラジオはなかったんで、

情報がまるで入らず、自分は携帯のワンセグTVで情報を得ることに。


そこで知ったのは、津波の情報。

震源地は何処か、とか、震度はどれくらいか、なんて一切なし。

とにかく、海岸の人たちは一刻も早く逃げてくれ、と報道されてました。



でも、まさか、こんな事態になってるなんて、まったく知らなくて。



取り敢えず、携帯のTVでは、宮古の海鮮市場が映ってて、

だけど、その建物の天井上まで津波が押し寄せているのだけは分かったんだけど、

それ以外の情報はまったくなし。


それだけでも、何かとてつもない事が起こってるようで、不安だけがあって。



そんな中、ウチの上司は結構のんびりしてて、この停電もすぐに復旧すると思ってたようで。

(ほぼ三日間は、岩手県全域で停電でしたけどね)



取り敢えず、私は盛岡駅まで、バスで直行。

その帰り道では、今まで見たことのない景色が広がってました。



行けども行けども、真っ暗な街があって。

灰色の街、って言葉がよく似合うくらいに不気味で静かで、暗くて。


そして、雪が降り積もって寒くて。


盛岡駅には、たくさんの人が溜まっていました。


全部客を外へ締め出し、安全の為、ということで、全部の建物を封鎖していたから、

外にいるしかない人たちで溜まってる状態。


運の悪いことに、学生さんたちの卒業式&謝恩会ってことも重なってて、

華やかだけど、薄着で軽装の女の子たちが一杯いて、寒さに震えていました。


停電&余震の所為で、勿論のこと、電車は全てストップ。


唯一、バスとタクシーは動いてたけど、タクシーは全部出払ってたので、

タクシーでしか帰れない子たちが駅前に溜まることに。


全域停電だから、駅前のホテルって言っても、泊めては貰えないし。

(つか、余震が恐い!)


何度も震度4~6の余震が繰り返され、雪の降り積もる寒い中、母と連絡の取れない私は

駅前(外)で一泊する覚悟を決めました。


毛布&カイロの差し入れを駅の方でしてたんで、後で貰おうと思って、その前にトイレだ。


と、駅のトイレに行ったら。



そこでバッタリと母と出会うことに!!



偶然にしてはあまりに偶然で、
マジで神様に感謝しましたよ!!





結局、母の職場の人に乗せて行ってもらうことになりまして。


私は無事、実家まで帰れました。


が。


実家に近づくほどに真っ暗になってゆく道。

しかも、どこに行っても真っ暗で、全域停電ってのがよーっく分かるくらい。


その最中、一度だけワンセグTVを確認。

すると、炎に埋まる海岸が映ってたんだけど、一体どこなのか分からない。

ってゆーか、何事!?

炎が海岸線埋め尽くすって、何が起こってんの!?


……という心配は、大きな余震で振り出しに。



そんで、家に辿り着いた時は、すでに8時を過ぎてまして。


外は停電で明りが無いために、真っ暗で何も見えない状態。

(雪が降っているので、星明りも月明かりもナシ)


唯一、車の行き交う明りでぼんやりと見えるんですけど、街そのものは真っ暗で何も見えない。


雪道はとても危険で転びやすいからどうしよう、ってことになりましたが、

偶然ですが、自分、LEDの懐中電灯(携帯用)を持っていたので、

それで道を照らして家まで帰り着きました。

備えあれば憂いなし、ってこのことですねー。



家に帰ってみたら、当然ですが、家の中は真っ暗でしたが、

父がロウソクの明りを用意していたので、その中で夕食を取ることに。


何度も余震がくるし、真っ暗だし、ラジオ聞いてもイマイチ状況が分からないし。


ってことで、さっさと寝ることに。


ガスと水道は使えたので、湯たんぽを作って就寝しました。


因みに、漫画本&雑誌まみれの自分の部屋は、とんでもない有様に……。

ちゃんと片付けようと思いました。(当たり前だ)


そして、やっぱ寝付けなかったんで、ラジオを聴きながら寝ることにしたんだけど、

その最中にも東北地方の各地で大きな地震が起こってて。


ああ、もう、東北はダメだなあ、って、半ば絶望にも近い思いで寝ていました。



ところで、我が家のにゃんこさんたちはというと。

地震があった直後から、大騒ぎをして、外に出ていったまま、帰らないとのこと。


まあ、仕方ないかなー。

って思ってたんだけど、私たちが帰ってきた事を知って、どちらも帰ってきました。


でも、余震がくると、また外へ逃げてしまう始末。

どうやら、建物が揺れてガタガタ音を立てるのがダメみたい。


物騒だから、本当はしちゃいけないんだろうけど。

可哀想だから、彼らの為に、一晩中カギを掛けないで寝ることにしました。


案の定、私の安全を確かめに、茶々と桃がかわりばんこに来るんですけど、

余震のたびに逃げて……。

の繰り返し。



殆ど眠れない夜を過ごした次の日は、寒かったけど、

嫌みなくらいに天気だったのでした……。


(つづく)


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