好きな本の代表作に、宮沢章夫氏の『彼岸からの言葉』がある。
私が持っているのは、93年に文庫本化されてたものだ。
単行本としては90年に発売されているようだ。
私はこの本がきっかけで宮沢さんのファンになった。その後も宮沢さんの本はたくさん買って持っているし、宮沢さん脚本の舞台もたくさん観に行った。
私は宮沢さんの表現しようとするものに、なんだかわからないけれど強く惹かれるものがある。この「なんだかわからない」ということが私にとってはツボなのではないかな、と改めて気づいた。
「彼岸からの言葉」の目次の中からいくつか拾い上げてみると、
「部屋の中がカンガルーくさい」 「ぞんざいの思想」 「私はただ見ている」 「世界は凡庸に時間を刻む」 というような、なんだかわからないけれど、私にとっては興味深いものばかりだ。
それらは誰もがひと目見てすぐに馬鹿馬鹿しいと判断し笑えるものではなく、なんとも判断付きかねるような不合理なもの、不条理な世界観が漂う。客観的に見れば笑いではないし、笑わせようとするサービス精神も感じられないような気もするけれど、私にとっての笑いはそちらの方なのだ。
だからこそ作為的に笑いを作り出すことのない動物や自然現象、なんとなくそこにある物体などで笑ってしまうことが多いのかもしれない。
「彼岸からの言葉」の背表紙にはこのような簡潔な解説が記してある。「こうして大人もまた『変なもの、奇妙なもの』が好きだ。好きなくせして、誰もがそれを大人気ないものとして隠そうと努める。不合理なものとして排除しようと、それをどこか暗がりに押し込めようとする。その隠された『暗部』を私は『彼岸』と呼びたい気がするのだ。 日常に点在する微妙なズレのツボをおさえた42の緻密な掌篇(シーン)」
この本は読みやすいし、この曖昧な笑いのような感覚は、むしろ今の時代の方がより受け入れられやすいような気もするなぁ。