(水戸駅、水戸黄門助さん格さん像)
烈公とは、水戸藩第九代藩主徳川斉昭こと。
(偕楽園、表門)
(東西梅林)
(好文亭楼閣よりの千波湖)
「学びし場されど蟄居の身となりて至善はもはや瞑目にのみ(新作)」
(弘道館正庁)
(要石歌碑)
行く末も 踏みなたがへそ あきつ島 大和の道ぞ 要なりける 斉昭自詠。
(至善堂御座の間)
徳川慶喜は、大政奉還後、駿府に送還されるまでの間、至善堂に蟄居していた。
「濠跡を貫く鉄路定府(じょうふ)をば強いられし水戸軽きを思ふ(新作)」
二の丸と本丸を隔てる大堀切に敷かれた水郡線。
水戸市はあまりにも徳川一色なので、私にとっては詩情がたいして動く街ではなかった。散歩もまさに逍遙だった。
(050308-09)