「陰謀論流れ出づるも凡人(なみびと)が見抜けらるるは猿芝居とよ(新作)」
昨今、ド素人も「ええかっこしぃ」で、安直に使いがちな言葉。低級な代物は、古来?「下衆の勘繰り」というのだがね、、。
さて、「論」ではなく一事象ではあるが、かの有名な平家のソレも、「鹿ヶ谷事件」と呼ばれる場合が珍しくはないらしい。
不尽
「戦友と上梓せし亡父(ちち)の戦記をば開かず四十余年経ちたり(新作)」
私自身は(もはや死語の)『戦争を知らない子供たち』に属するのだが、亡父は、外地に従軍していた。
場所は、マレー半島北部。シンゴラは、タイ南部のシンガポールとの国境辺りのようだ。広義では、「マレー作戦」と呼ばれた任務のためらしい。
幸い玉砕するような戦地・戦局ではなかったようで、終戦後帰還した。
そんな父は、戦後37年が経ってから、幹事となり、戦友向けに冊子(回想録)を2回にわたり印刷・発行した。2冊ともB6判だが、150ページ余でそこそこの厚みだ。
手に取れる場所には保管しているのだが、未だに開いて読むことができずに今日に至っている。
20代の頃には、「どうせ昔を懐かしがってるだけやろ。元帝国軍人が、、」と嫌悪していた。
今はさすがにそんな不埒な?考えは抱いて居ないが、これがなかなかどうして開けないのだ。
子の責務だとか、歴史の伝承とか通り一遍のことが頭をよぎる。でも、何故か怖じ気づいてしまうのだ。この気もちは一体何なのか。
死ぬまでに、読むことがあるのだろうか、との思いが巡る戦後80年だ。
(余談だが流行歌『戦争を知らない子供たち』の作詞者(北山修)は中高の同窓生だ。あまりに年齢が離れすぎている大先輩であるが、、。)
「マレーにて幾人(いくたり)殺めしと言放ちきただただ何も返さざり亡父(ちち)は(新作)」
20 歳は過ぎていた。母が病気で急逝してから、間もない頃だったはずだ。
何かの口論の際の弾みで父に言い放った一言。内心で「あぁ、言うてしもたな。」と咄嗟に気づいた。
父は一言も発しなかった。だが、父の顔を見てはいなかった。いや、見ることができなかった、というべきだろう。
果たして、父は、腸がにえくり返ったろうか、悔しかったろうか。悲しかったろうか。寂しかったろうか。
遺されたひとりきりの息子にこう言い放たれて、、。
これ以降、戦争のことを父と話すことは一切無くなった。
父は母に先立たれて2年後に回想録を出して、その3年後に亡くなった。
あの出来事を思い出すと、後悔というより、心臓が収縮するのがわかる。そんな戦後80年だ。
不尽
「地球儀を弾きつ彼等と地続きでなきを確かむディールディールディール(新作)」
「仏壇の母に証書の本物をチラリにあらでしかと見せにき(新作)」
賞味期限?3ヶ月程度!のクズ歌、、。
二首目・・四句は品下る表現だが、該当事象はもっとお下劣。母は二十歳で亡くした。
不尽
図書館の雑誌コーナーで「角川短歌」を偶々手にしてしまい!、歌人村木道彦の死去を知った。(2024年9月号)
村木道彦は、1942年11月生〜2024年3月没、享年81歳。
今頃知ったのか!感だが、それなりの理由はある。
というのも、2010年に一旦作歌を辞めた際に、短歌雑誌を読むことも辞めてしまった。
およそ6年後の2016年に作歌を再開したのだが、短歌雑誌は読まずに今日に至っている。併せて、NHK短歌も見なくなった。新聞への投稿も再開せずじまいだ。
従ってここ15年ばかりは、短歌界で何が起こっているかほぼ解らない状況で、無知無反省無目的のまま、無恥無闇に?歌を詠み見続けているのだけなのだ。
さて、当該号の特集記事では歌人柴田典昭による50首ベストの選歌があり、歌集『天唇(1974 年)』からは22首選ばれている。
「現代」口語短歌のパイオニアとも言われる村木だが『天唇』の収録歌の多くは文語であって、一首丸ごと(ほぼも含む)口語である歌は存外少ない。
その22首の中から、気に入りの歌を抜いてみる。
きみはきみばかりを愛しぼくはぼくばかりの思いに逢う星の夜
我前(まえ)に立つ すなわち赤いブラウスのそれでいてあなたはずかしがりや
するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら
三首目は村木作の歌として最も有名な五本の指に入るだろう。
それではと、手持の『現代歌人文庫 村木道彦歌集(国文社刊)』で『天唇(全篇)』を久しぶりに読み直す。
全て(ほぼも含む)口語の歌で心が動いた歌を抜く。
かんきりで切るきりぐちのぎざぎざは「恋人印」のもものかんづめ
スペアミント・ガムを噛みつつわかものがセックスというときのはやくち
ましろにはあらぬ繃帯 ひのくれを小指のかたちのままにころがる
三首目の喚起力は素晴らしい。つくづくそう思う。
歌を読み始めたのは、1993年終わり頃なので、『サラダ記念日』(俵万智、1987年)にタイムリーに触発されたわけではない。
今は文語で詠んでいるが、初めは口語だった。10年くらい経った頃かなぁ、文語に切り替えたのは、、。
文語で詠んでいる理由は、(一応)正統ということに加え、定型(57577)に嵌ったときの快感の感度?が口語より高いから、だ。
「重ならぬ鼓動が悔しい夜だから最小公倍数を求める(新作)」
、、と言いながら句跨り、(恥)
不尽