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日々の中で想うこと
ひとつの出来事から想起する
異なるいくつかのイメージ

震災の日のこと

2011年04月04日 | 想うこと

震災の日、
私は出張で東京にいました。

東京の本社で会議中に地震が発生し、
社長や副社長とともに非難することになりました。


東京では被害自体は大きくはありませんでしたが
街がパニックになっていて、大きい六車線の道路にも
人が溢れて車が通れなくなるほどでした。



地震が起こった時、
私は本社ビルの7階にいたので揺れが激しく、
とても椅子にも座っていられる状況ではありませんでした。



なかなか揺れがおさまらなくて、
地震の揺れの大きさからもう、大惨事になることがわかりました。



人間の遺伝子からくるのでしょうか。
たくさんの人が亡くなるのが漠然とわかって、
非難する前からもう涙が止まりませんでした。





阪神大震災のときのことを思い出しました。

一番揺れが激しいときに
一階から階段をどたばた鳴らしておとうさんが駆け上がってきました。


二階で寝ていたわたしたち兄弟は
初めての大きな地震に恐怖しましたが、
おとうさんが絶対だいじょうぶや!!って言ってくれて
そのすがたに安堵したこと。




今回の地震を通して



みんながもれなくだれかのたいせつなひと



ということを本当に強く感じました。

そんなことはもちろん前から知っていましたが、
なんて言えばいいんでしょう。


本当に、それがわかったのです。

漠然とではなく、はっきりと。


もちろんみんなが当たり前にわかっていることですが、
それをこんなにも色濃く、明確に理解しました。




そうやって

だれもがだれかのたいせつなひとで

そのひとがまただれかのたいせつなひとで

それがずっとずっとずーっと続いていくから

だれもがみんな、だれかのたいせつなひと。




だれもがかけがえのない、唯一のたいせつなひと。


だれも代わりになんてなれない、ひとりひとりがほんとにたいせつなひとなんです。





地震が起きた時、
副社長は父親である社長のいすを押さえて
だいじょうぶ、すぐにおさまるから!と、
母親である専務の腕をしっかり掴みながら言いました。


専務は社長の膝の上にもたれかかって
家族が家族としてそれぞれを守っていました。



それを見て、私は涙が止まらなくなりました。



たいせつなひとから、はなれちゃいけない。
そばにいないといけない。

そばにいないと守れない、だいじょうぶよって言い合えない、
とにかく、たいせつなひとのそばにいないとって思いました。



それから何時間も電話がつながらなくて、
思うのは家族と友達と、自分のお店のスタッフのこと。



とにかく帰りたくなりました。



奇跡的に新幹線が動き、それに乗れることになりました。


東京駅の長い長いホームに
のぞみが神妙な面持ちで入ってきました。


そのとき、初めて電話が鳴りました。
おかあさんからでした。

うちのおかあさんはあまり感情を表に出すタイプではありません。
でもこのときは、

わーつながった!!
何十回かけてもつながらへんからどうしよか思たわー!!
気ーつけて帰りや!!
帰ったら電話して~じゃーね~。



おかあさん、何十回も電話してたんや。

そう思うとまた涙が出て、胸がいっぱいでした。


ゆかちゃんから着信があったことを知らせるメールが
何度も届きました。
おねえちゃんからゆかちゃんが心配してるから
とにかく帰ったらすぐに連絡して!と急かされていました。



たくさんのひとからたくさんの気持ちで想ってもらえて
本当にしあわせです。



翌日、震災以来まったく眠れない私に電話をくれたひろくんは
不謹慎ながらも冗談連発でたくさん笑わせてくれました。

無事に日常を過ごせてるあたしたちががんばらなどうすんねん!
って思わせてくれました。



スタッフから心配そうなメールがじゃんじゃん届き、
本社の社員から電話が鳴りっぱなしでした。


震災後、手紙をくれたてんちゃん。
便せんにえんぴつで書かれたその手紙には
てんちゃんのエネルギーがつまっていました。





私たちが震災前と同じように
家があり、おいしいものを食べれて、あったかいお風呂に入れる、
ゆっくり眠れて、すきなひとに会える、たいせつなひとと電話ができる、
そんな豊かな生活を送っていることは
決して不謹慎なことなんかじゃないと今は思います。



自分にできることやすべきことをきちんと行うことしかできなくても
心や想いは被災地のみなさんと共にあります。



今年は今まで以上にがんばります!!
自分史上最大のがんばりを見せます!


いっしょにがんばっていきましょう!



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