チャーリーの青空トーク

60を過ぎた頑固ジジイが、ライフワークの「姓名判断」と「幸福に生きるには」を勝手に語るブログ。

血と金に飢えたアメリカから日本を取り戻せ!

2017-07-21 18:26:48 | これでいいの?
総ての始まりはアメリカ合衆国からの離脱と完全独立からです。
今現在日本が抱えている総ての問題はそこを起点としないと永
遠に解決しません。 

なぜならば日本の問題は日本の国益を第一に考え、日本人が日
本人の手で処理しその結果は当然ながら日本人に益しなくては
ならない事は当たり前の話です。 


ところが現在の日本はどうでしょう? すべて、アメリカ合衆
国の思惑の下で支配され、総ての問題が解消する方向に向かっ
ていないばかりか、問題解決の益はアメリカ合衆国とユダヤ金
融・ロックフェラー・ロスチャイルド軍産複合体組織へ流れて
おり、全く日本の国益・財産になっていないのが現状です。 

アメリカの属国状態がいつから始まったのかというと、1945年
8月14日鈴木内閣がポツダム宣言受諾をに伴う天皇詔勅の発布
をスイス・スウェーデンを通じて米・英・中連合国側へ通達。
この時から1931年満州事変から始まった15年戦争の停戦と敗戦
処理が開始され同時に連合国側の占領下に置かれることになり
ます。 


ここで単純な疑問が出るのですが、ポツダム宣言受諾後の極東
際軍事裁判「東京裁判」においてなぜ昭和天皇が戦争責任に問
われなかったのか?ということです。

戦時下当時の大日本帝国憲法下では天皇が統帥権を持ち、陸海
軍の最高指揮官である大元帥となっています。旧帝国国内法で
は、陸海軍の動員は天皇の裁可が必要なハズです。

天皇の統帥権がある限りそうでなければなりません。

つまり昭和の初期から始まった15年戦争の責任は陸海軍の最高指揮
権者ある昭和天皇にあったと見るべきですが、不思議な事に極東際
軍事裁判では一切その事に触れられませんでした。 

理由としては占領政策を進めるにあたって天皇とその権威を利用し
たわけです。これは連合国側から見た話し。 

では国内的な責任は?
「生きて虜囚の辱めを受けず。」って文句がありますよネ。
東條内閣が1941年に示達した訓令だそうです。

それによって多くの兵士・民間人に生きる事を放棄させられ自ら命
を断たせて、それを「玉砕」という美辞にすり替えた、軍官僚の国
策の失策の責任の所在を隠すために用いた巧妙な政府の訓示です。 

この事からすれば、当然天皇自らが「生きて虜囚の辱めをうけず。」
として、命を断つとまではしなくとも、天皇自らその進退をハッキリ
せることは出来たハズですしそうでなくてはならなかったのでは?

特に、15年に及ぶ戦争の中どれだけの人々が命を落とし財産を失っ
たか? 連合国が天皇を占領政策に利用するしないは別にし、国民
に対する潔さ・配慮に欠けている判断でした。

関連した話で、1975年10月に行われた記者会見でヒロシマ・ナガサ
キの原子爆弾攻撃に対する思いを質問された際には、

「投下された事に対しては遺憾な事だと思うが、戦争中での出来事
でありヒロシマ市民には気の毒なことではあるが止むお得ない事だ
ったのではないか、と思う」

とのお言葉でした。

まぁ、戦争という相手の在る事だから天皇とは言え自らの手ではど
うする事も出来なかった。というお考えの様です。 でもね。 そ
こまでに至る過程でヒロシマ・ナガサキの悲劇を止める事が可能な
お立場だったことも事実でしょう。 

この状況で継戦は不可能という大元帥としての判断が出来なかった
わけではないとおもいます。 天皇は15年戦争中おおきな作戦には
必ず状況を確認されていたとか・・・それならば、なおの事その判
断が出来る立場にあった者としてはヒロシマ・ナガサキの原爆攻撃
に対するお言葉はあまりにも無責任すぎると思います。 

さらに言うなら、少なくとも責任ある立場の日本人なら「ヒロシマ
市民には気の毒なことではあるが止むお得ない事だったのではない
か、と思う。」

まるで、外国人がヒロシマ・ナガサキに対し行われた核攻撃に対し
ての感想を語っている様な冷たい印象を受けるのはなぜでしょう?
自国民が虐殺を受け、長い間途方もない苦労を強いられた現実は昭
和天皇にはお感じなられていないようです。

こんな話があります。 日米戦争が始まる1年前の昭和15年の木戸
日記(内大臣木戸幸一の日記)には昭和天皇のお言葉で、「もう戦
が始まる。そして最後に勝つのはソ連とアメリカで他の国は全部潰
される、日本も潰されるが日本人は10年後(昭和26年サンフランシ
スコ講和条約)には復活する。」これは見事に予言が的中し手いま
す。 

また、こんな不思議な話もあります。 太平洋戦争が始まる1ヶ月前、
1941年11月、内閣総理大臣を辞した直後の近衛文麿元首相が昭和天皇
に拝謁を求めますが断られ、自身の言葉を天皇に伝えるべく側近の内
大臣木戸幸一に託します。
「海軍は2年分しか石油の備蓄が無い、戦争すれば1年もしくは1年半
で尽きる。陸軍はたったの1年分しかない。という現状を天皇にお伝
えし最後のご聖断を求めるしか戦争回避の道は無い。」

ところが戦争は陸軍の石油の備蓄量の4倍、海軍の備蓄量の2倍にも渡
り続きます。 これは、日本の商社が第三国を通じてアメリカから石
油を買っていたそうです。 

さらには、広島への原爆攻撃の2ヶ月前には昭和天皇は原爆投下の情
報を入手し手いたという事です。 当時のアメリカの陸軍長官スティ
ムソンから元駐日アメリカ大使グルーを経由し手日本側親米組織ヨハ
ンセングループに情報がもたらされたとうことです。 

おかしいですね? 

アメリカが交戦国である日本に核攻撃の情報を2ヶ月も前に流してい
た?

これは、天皇が終戦に持ち込むためにアメリカからの情報を利用した
という事らしいです。 つまり、天皇は終戦時に考えられる陸軍のク
ーデターを大変苦慮していた。 天皇自身の保身とスイスに或る皇室
財産の確保がその主な理由だそうです。 

そして天皇自身が考える終戦の流れをより確実にする為に、陸軍の西
半分第二総軍の総司令部のある広島への原爆投下を見過ごし陸軍の中
枢の半分を壊滅させクーデターの決起を不可能にさせるという手段を
とったようです。 

和平のために市民の命を犠牲にする。 バカな話です。

その後の天皇は対外的には戦争責任を問われることもなく、対国内的
には皇室を保ち300万人もの犠牲を強いた15年戦争の総括もしないまま
平成となっている。 

つまり、15年戦争はしっかりとユダヤ金融ロスチャイルド配下のアメ
リカとのシナリオが在り、国民を犠牲にして皇室を保ち続けている。 

ポツダム宣言受諾と天皇の責任回避の大きな要因はユダヤ金融ロスチ
ャイルド配下・アメリカの属国支配を続けるためという、大きな役割
があるようです。

ちなみに、昭和天皇は1921年皇太子時にに連合国であるイギリス陸軍
大将の位を、また1930年には元帥の称号を与えられている。
これじゃ、国のトップが連合国とツーカーで国民はただ踊らされただけ。 
ならば、アメリカを含めた連合国がわとの太平洋戦争のシナリオが存
在しそれに沿って天皇自身も振舞ったとしても納得。

でもその為に死んで行った人は浮かばれないネ。

ユダ金・ロックフェラー・ロスチャイルド軍産複合体組織+アメリカの
為の皇室ならばイラネーっ!ってなもんですよ。

話は大きく横道にそれてしまいましたが、要はアメリカからの離脱・
日米安保条約の破棄を真剣に考える時が来ているのではないか? 

その時には、これまでの経緯を権力側の都合の良い歴史出はなく、本
当にどうしまい、日本がいつまでたってもアメリカの幇間のままで骨抜
きにされてしまいます。 

そんな日本は嫌です。 

大自然と共に生きる、ヤマト民族の豊かな国を取り戻したいですね。





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