痛みの先延ばしは、さらに痛みを増すばかり

2013-03-07 12:44:49 | 幸せのコツ

■ヤル気

友人がパソコン関係の作業のやる気が起きないと言っています。

パソコン・・・、ここ10年くらいでITリテラシーと言う立派な名前がつきました。

苦手な人は苦手ですよねぇ… 20年ほど前はブランドタッチでキーボードが打てれば、ITスキルゼロの部長さんの秘書になれた…けれど、今はそういうITスキルがない部長さんは姿を消しました…

その理由は・・・不足していたスキルが実は本当に初歩的な、簡単なことだったんですよねぇ…だから今ではITスキルがない=出世できないです。今では、読み書きそろばんの地位にパソコンスキルがあるんです・・・悲しき哉。

今のサラリーマンの8割は会社に着くと同時にパソコン画面を眺めるのではないでしょうか…???

このような時勢になってしまったので、いくら「パソコンに向かっていること自体が苦痛」と訴えられても…その作業を肩代わりしてあげるわけにはいきません…困ったもんです。

例え多少の肩代わりをしても、その人しか知らない情報をUPすることはできないわけで…。

■ 肩代わりは思いやりではない

こういう場面に直面すると、「思いやり」って一体なんだろうか?と自問自答してしまいます。

たとえば、夫は自分の健康管理が苦手です。でも健康管理なんて本人以外わかりえません。

本人がやるしかないことを肩代わりしてやってあげる… それはまるで過保護な母親のようで、子供がやるべきこと、自立すべきことをやってあげる…のは本当の優しさなんだろうか?と思ってしまいます。

という私も、苦手なことはあります。苦手なことは誰だってなんとなくやる気が起きず後回しになるものです。

でも、苦手なことって、やってみたら大抵は「アレ?簡単・・・」と、結構、簡単なことが多い。苦手は意識が作るんだなぁと思います。

頑張っても背負えない荷なら誰だって代わりに持ってあげようかと声をかけますが、荷物自体がイヤって言われてもそれあなたのザックでしょ、と言われて終わりです。

■ITスキルは現代人に必須スキル

ある地域のボランティア冊子を見ていたら、昨今のネット社会が批判されていました。若者が携帯ばかりを見てろくに親と話もしないという内容。

ネットがなくても昔から若者は親とはろくに話もしないので、実はネットがどうこうと言う話ではない(^^;)。

人間関係が希薄になった…という指摘もネットを犯人とする説には当てはまらない。FBで生まれて初めてというほど多くの人に誕生日を祝福される、なんて感動はネット以外ではありえません。

ということは結局要するに、テクノロジーに乗り遅れた人たちが一定数いてその人たちはひどくみじめな思いをしている、ということなのです。誰からも声をかけてもらえず…

ただ昔は携帯もパソコンもなかったのでネットがやり玉にあがることはなかった。ただ誰にも気にかけてもらないで指をくわえていた人々はずっと一定数いたのです。

このボランティア冊子、後ろの方に募集されていたのは、パソコン教室…(笑) パソコン教室なんてぼられに行くようなものです。そう・・・結局はそういう人たちも今皆が身に着けている技術を身に着けたい、と思っているのです。

その歪んだ心理の向かう先がネット社会攻撃というだけなんだなぁ~と思った瞬間でした。

なので、すでに大衆に受け入れられている状況を批判する向きには、付き合うだけ時間の無駄です。

■ 変わることの痛み

そうした愚痴なのですが… 結局はどういう意味かと言うと、遠回しに

「肩代わりしてほしい」って意味なのですよねぇ・・・。 

肩代わりしてもらいたいけど、ストレートに頼めない。

そうなると、ネット社会そのものを中傷し始めるという屈折した行動になるわけなんですね。

どこにも感情の行き場がないんだろうなぁ…  なので、言葉にしないでわかってもらいたい。ひっそりと肩代わりしてもらいたい。

でも、こんな場合もやっぱり…結局は自分の殻を脱ぎ捨てるしかないんですよね。

殻を脱ぎ捨てる手伝いならしたいけど、殻に閉じこもる手伝いはできない…なぜなら、それは後退であって進化でないから。

いつもそう思う私です。 

勇気をもって変わることがその人にとって一番良いことだから。

過保護な母親は百害あって一利もないのです…痛みの先延ばしはさらに痛みが増すばかり。

人間、変身するのはいろいろな痛みが伴います。私も山好きに変身するまでには色々な痛みを通過しました。

でも人間の適応力と言うのはすごいなといつも思います。


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