期待のアウトプット

2012-10-01 12:06:06 | 魂と心の成長
■ 期待 vs 支援

誰かから期待されるとどんな風に思いますか?

「やるぞ!」と思うか、「うっとおしいな」と思うか?

期待の内容にもよるかもしれませんね。やれそうなことなら「よし」と思っても
やれそうもないようなことなら「重荷」、あるいはこちらがやりたくもないことだったら「うぜー」(笑)

期待の内容と、自分自身の答えたい度合いによって、反応は色々だと思います。

一般的に言って親の期待は基本的には親の欲目というほうが多いです。

親も人間なので子供に期待するのは仕方ありませんが、期待はしても支援しない親が多いのは問題。大概の場合、子供に必要なのは、期待ではなく支援です。

■ 期待の根拠

期待というのは、期待を裏切られた場合は期待した側に幻滅を作り出す。

逆に期待を受けた側には何を作り出すか?というと、挫折、ですね。

その期待が根拠あるものであればいいですが、期待と言うのは大概において根拠がないものなので、作り出された挫折も、虚構です

でも、そもそも考えてみれば、そうした虚構が支配しているのが人間の人生…
虚構であっても個人的真実になってしまえば、その真実が支配します。

■ 今までで一番素晴らしいメッセージ

Thank you for being you. You should be proud of who you are.

これは私自身が受けたBlessingの中でもっとも素晴らしいメッセージです。

カンザスへの長期出張中に陰湿な社会人イジメに屈さない姿勢を指して言われました。

つまり私が言いたいのは…社会への貢献などと言うものは、その人がその人らしい、というだけでも達成されるということです。

社会貢献というと、誰もがマザーテレサやキング牧師を思い浮かべます。しかし
あのような奉仕は誰にでもできることではありません。誰にでもできないからこそ価値があるのですし、人は自分にできることをやればよろしい。

自分の取り分をめぐって争うのは醜いですが、自分自身が満たされていないのに人に分け与えよといっても無理と言うものです。

むしろ一人ひとりが自分自身を愛せれば、そして自分であることに感謝の念をもてれば、今あるものに感謝できれば、それで奪い合いの8割は終わるでしょう。

なぜなら、ほとんどの人が奪い合いをやめない理由、というのが、

「自分は満たされていない」という思いだからです。

日本は豊かな国です。だから他の国から金銭を武器に食料を奪ってくる必要はありません。(この暴力は資本主義の名の下に正当化されています)

日本は世界でも有数に豊かな国なので、他の豊かな国同様、老後までの社会福祉と無料の高速道路、無料の公共教育が実現できるはずです。他の国に出来て日本にできない理由があるでしょうか?

日本人は既に豊かなのです。満たされているのです。困っていたり、閉塞していたりするのは幻想です。 今はいいけど将来は、というのなら、将来を憂いいるよりも将来に向けて準備したほうがどれほど安全でしょう?

■ 期待

私の場合、期待に大しては理不尽さを感じていました。

親の期待「おねえちゃんでしょ」 なぜお姉ちゃんは常に与える側なのでしょうか?良く分かりません。ついでにいうと、皿を洗うのは年上なのに、オヤツは均等分配? そこのところを誠実に説明することなく、大人は行動を強います。

私なら、「やってもやらなくてもいいけど、大きい子は小さい子の面倒をみてあげたら、小さい子は助かるよ」と教えます。

学校の期待、 あるいは入社採用官の期待…・考えてみると私は、期待という期待には、理不尽を感じるため、ネガティブな反応しかしたことがありません(笑)。

あえてぶっ壊す期待(^^)。

漠然とした期待は実現不可能です。期待の内容が分からないのですから。

今の政治にも人々の期待はとても漠然としています…野田さんは脱原発を宣言した。

それだけでもすごい前進ではありませんかね? 評価をしないで荒探しに終始するのは単なる足の引っ張り合いに見えます。誰もどこにもたどり着かない。

もしかして、日本はリーダーシップがない国なのではなく、メンバーシップが著しく劣る国なのではないでしょうか?その可能性もありますよね。

■ 虚像ではなく等身大を生きる

私は人生の早い時期、様々な大人の憶測や期待を背負わさせられていたなと思います。

色々な 面で優秀だったのは本当らしいですが・・・その(優秀さが他の人に期待させる人物像)と(本来の私)はまったく違います。

本来の私は、本の虫で人嫌い、難しい文章題は解けても簡単な計算式で間違うというような、どこか間抜けで無邪気な人です。

実際リーダーシップを発揮させられるような立場、あるい は秘書的に誰かの支えとなるような立場は、スキルはありますが、ぜんぜんやりたいことではないのです。やるなら相当な報酬をもらわないとやりたいと言う気になりません。

私に最後に来たオファーはある中堅企業での秘書職。孤立してしまった頑固で物分りの悪い引退間際の社長をうまく会社にとって良いように、引退にしろ、口を出すにしろ、ソフトランディングさせるという難しい職務で年収は5百万円でした。

これまで色々な仕事をしましたが、ぶっちゃけ、自分より判断力のないリーダーに
ついていくのがバカバカしいと感じました。就社という猿芝居に人生を費やす気は
なかったので。仕事しないなら楽でしょうが。

私自身は、社会運動などの外に働きかける運動というのは間違った方法論だと思っています。

なぜなら、ピラミッド型の構造論、それは古い世界の枠組みだから。

ネットの世界では世界規模の合議が可能です。なので私は1人の人間の決断の重みが
多くの人の 決断の重みより重くならないような世界が今後出てくると思うので
す。

■ 働きかけに応じるよりも内的な主体性を優先させよう

ちょっと話題がそれましたが、私を飛躍させるのは振り返って考えてみると、期待ではなく、面白い!という思いです。誰だってそうではないでしょうか?アメと鞭ならアメですね。

前に行っていたビジネススクールでは初めて出たクラスで最終的な卒論(リポート)がトップでした。それも初級クラスを受けないでイキナリ中級クラスで。

そういうまぐれ当たりがどうしてマグレにあたったのか?を考えるとまぐれと言うより、期待がなく、ただワクワク面白がっていたため、集中できていたのだと思います。

何にしても達成するには、準備という名の努力と、本番での集中力が必要です。

周到に準備したら後は集中して何も考えない。期待も。そこのどんなことにしろ、成功のキーがあるのでは?

まとめると 

努力 → 準備 
期待 → 集中 

努力と期待の世界(ん?根性論…笑)から 準備と集中(合理的だな~!)の世界へ。

日本人はリスクをとらないといわれますが、リスクをとるベストの方法は目の前に集中することです。昨日のイモトだって目の前の岩に集中してましたよね(笑)

期待と言うのはまぁ実体がないのですから、無視するに限ります(笑)

このことは世の中の子供には声を大にして言って上げたいです。


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