最近カルチャーショックを受けつつあるのか「お家に帰りたーい!」です(笑)。
私は海外2回目なのにこのショック・・・うーん、異文化の壁は厚いですね。
ほんと、こちらの生活にウンザリするときがありますが、ウンザリし始めると
何がウンザリかって些細なことなのに、どんどん”すべて”が嫌になるのです。
小さいこと → 一事が万事 と思い始める・・・
■ 学生を放置して、リタイヤしてしまった先生の話
先日は、こちらで知り合いになった人から、こんな話を聞きました。
<話>
PhDを取りつつあり、その2年目で担当教官が休暇で訪れたニュージーランドを気に入って
しまい、二度と帰って来なかった。おかげで現在、引継ぎ教官を探しているが
半年経っても見つかっていない。
で、議論テーマはこの教官は○か×かというものです。友人と大激論になりました(^^;)
<オージー友人の意見>
その先生は自分の人生を生きただけであり、誰もがこうするべきである。
その教官は生徒にも、学校に大しても何の非もない。
<私の意見>
たしかに生徒が教育を契約しているのは大学との契約であり、先生個人との契約ではない。
しかし、常識的に考えて、ぷっつんといなくなることで、大学や指導生徒がこうむる迷惑は想定できる。
成熟した大人はそのような行動をするべきではない。個人は指導途中で職を離れても良いが
その迷惑を最小にする努力をするべきである。
また教官は指導を続けられないことに対してではなく、別の指導教官を見つけると
いう新たな負担を生徒に強いることに対して、Sorryと発言すべきである。
どうでしょうか? 私はこの議論は勝てませんでした。しかし譲りはしませんでした。
向こうも私を言い負かすことはできませんでした。なのでオアイコ。
この大激論では・・・(マジでつばが飛びました・・・笑)
知人はベテランセールスマネジャーなので、私などの語学力ではかなうはずも無く、とどめの一発
『それではオーストラリアでは生きていけないよ』 を喰らいました・・・(はぁ・・・)
しかし、それは議論に勝ったのではなくアンフェアな手を使ったのだと思います(笑)
こういう風にして議論に勝たれてしまうと良くないのは「じゃあ別にオーストラリアなんてどーでもよござんす!」
となってしまうことです・・・ 友人は私が異文化に溶け込むのを手助けしているつもりで
実際は溶け込みにくくしているわけなんですよね・・・(失笑)
■ 国際人への道・・・中道を行く
海外へ行く日本人の多くが、苦労するのは、この分野です。
日本人は 『人様に迷惑をかける生き方をしてはいけない』 と言われて育ちます。
ところが、オージーは『自己責任』と思って生きます。 どちらも正しい。
しかし、これらの資質を否定的な言葉でいうと、
人に迷惑をかけない人 → 自己責任意識が弱いという副作用
自己責任と思って生きている人 → コメイワクちゃんどころか大迷惑ちゃんになりうる副作用
今、私が大変苦しんでいるのは、もうオージーには迷惑かけられどうし、だからだと思います。
■ ”怒り”を内包せざるを得ない社会
だって、もう・・・私には理解できないのが自分だけ良ければいいという態度が強いのです。
例えば、返金。大学はほんとに怠惰です。
もう粘りに粘って大学のリファウンド(返金)は無理くり、手続きを早めてもらいました。
何しろ、自分がのんびり仕事したいという程度の理由で1ヶ月も待たされたのですから。
私は英語ができるので良いほうで、他の人ならこれはもう取り戻すのに何ヶ月もかかるかも
しれません。
日本人学生達に対策を聞くと、「怒ってみせる」ことだそうです。はぁ・・・。
子供相手じゃないのですから、イチイチ「怒って見せ」ないと相手の行動を期待できないのでは
大変困ります。それに怒るのにもエネルギーが要るんです・・・(疲)
つまり 「自分優先」生き方は、基本的に非常に社会的に「怒り」エネルギーを内包しているのです。
■ 衝突を避ける? いや”選ぶ”。
それが「衝突」「対決」をそもそも避け、避けるために合意が何かを見えにくくしてしまっている
社会から来た日本人にはまず持って、最大級の難関です。
日本人がエネルギーを注いでいるのは、衝突を避けることに対してであり、衝突した後勝つことでは
ないからです。
しかしどうでしょうかね・・・私は多くの人が目指さなくてはいけないのは、どちらでもないのではないかと思います。
① 必要な衝突を選ぶ。 例えば、バス代返金くらいはどうでもいいが、学費返金は重要
② 衝突不可避だと理解したら、徹底的に戦う。
③ 次回のケースで衝突が必要な事態に陥らない予防策を考える。
こちらでは、ほとんどのことが”力バランス”で決まるので、自分が弱い立場にある場合、
まずもって”被害”を避けるのは無理です。 つまり被害を選ぶ必要があります。
そういう意味では消費者保護など日本のほうが立場上の弱者保護意識は強いようです。
力学バランスは、日本のように年齢では決まらず、立場でのみ決まります。
力の弱い立場の人の足元を見ることを Take Advantage of だれそれ と言います。
■ 英語が話せない人の足元を見るのはトーゼンという文化です!
こちらのビジネスでは、英語が話せない非ネイティブの足元を見てことを有利に運ぶことは
上記のような文化的理由から、トーゼンのこと!と思われています(汗)。
つまり、英語力の不足 = 常にドアマットにされる (こちらでよく言う表現で人を利用すること、
ドアマットは常に踏まれているので・・・笑) です。
つまり、語学力の不足しているかぎり、常にドアマット状態です。
この状況をうまくやっているのが中国人ではありますが、4000年の歴史力がモノをいうのでしょうか?
日本人はどうも押しが足りないようで英語力もあいまってなかなかドアマットから抜け出せません。
私はこれが日本人が海外に出たがらない最大級の理由ではないかと思います。
世界の”ドアマット”に日本がならないよう祈るばかりですが
外務省ってあまりドアマットの盾にはなってくれていないような気がします。どれだけ辛辣になれるかが重要なんですよね、この分野。