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織内将男の日 光 讃 歌 

世界遺産の二社一寺などの歴史、文化を育んだ、日光の自然や地域を訪ねます。

世界遺産・知床(9-2)  「知床五湖の入場制限」

2012年06月16日 09時41分17秒 | 世界遺産・知床
.



世界遺産・知床(9-2)  「知床五湖の入場制限」 .



 【 知床五湖の入場制限 】 (北海道朝日新聞参照)






  
  一湖のそばに設置された高架木道(手前)。向こう岸の地上遊歩道は、来年はルートが変わる=6月、



  




  【知床五湖の来場者制限

北海道の知床がブームを起こしたのは、御存知、「知床旅情」が大ヒットして以来の一時期であった。
その頃はマイカー時代の到来した時期でもあり、人々は波のように押し寄せたと言われる。

その後、鉄道や観光会社などの宣伝、PRで知床の人気が続き、そして近年の平成17年、知床が「世界自然遺産」に登録されるに及んで、爆発的に観光客が増えたと言う。
知床には、年間約50万人もの方が訪れているのである。

従って、夏場の繁忙期、お盆の時期やシルバーウィークには、五湖へ向かうマイカーで数キロも渋滞し、知床五湖へ向かう遊歩道内でも人々が列を成し渋滞が起きるなど、知床の自然をゆっくりと楽しむことさえ出来なくなっているという。


その知床の中でも最大の観光地、景勝地が「知床五湖」であろう。
ところで、テレビなどでもお馴染みであろうが、知床は世界的に見ても、ヒグマの生息密度が非常に高い地域である。 
その中で、知床五湖も例外なくヒグマの生息地なのである。

このような状態において、知床五湖を利用する人々の安心、安全をどう守るかが課題となっている。



元より、知床五湖は山間部でありヒグマの生息地の中にあるため、当然ながら遊歩道付近でもヒグマが頻繁に出没する。
観光客が増加するにつれてヒグマに遭遇することもあり、又、環境への影響、遊歩道周辺の踏み荒らしや食べ歩き等自然への悪影響や事故の危険性が懸念されるようになった。

2004年には、遊歩道に出没したヒグマに観光客がフラッシュを浴びせる事件(襲撃されても不思議ではない行為)が発生しており。

そんな訳で、世界遺産に認可された平成17年からは、地上遊歩道とは別に高架木道が作られ始め、平成22年には1湖の湖畔までの全長800mが開通した。
高架木道脇には電気柵が設置されており、ヒグマの影響を受けることなく、安全に知床の雄大な自然を楽しむことができるようになったという。


更に、せっかく知床まで来られた人々に、知床五湖を体験してもらうためにはどうしたらいいか。
その問題を解決するために、この制度の導入することになったという。

前述のとおり、ヒグマが遊歩道周辺に出没した場合には遊歩道が閉鎖されるが、春から夏にかけては閉鎖の頻度が高く、安定した利用ができない状況ともなっており、有識者の中では、遊歩道の閉鎖期間の設定についても意見の相違が表面化しており、自然保護と観光をいかに共存させていくかが問題となっている。

そこで平成23年からは、「利用調整地区制度」が知床五湖に適用されるようになった。


こうした状況を踏まえ、安全で環境負荷の少ない利用を図るため、ヒグマ対策のための電気柵を設けた高架木道・展望台を整備し、観光客は主にそちらを利用してもらうこととする一方で、従来の五湖を巡る遊歩道については、2011年度から入場者の人数制限、レクチャーの義務づけ、有料化等が導入された。


先ず、ヒグマへの対処の技術を持った登録引率者のツアーに参加することで、ヒグマがよく出没する時期(ヒグマ活動期:5月10日~7月31日)でも、知床五湖を楽しんもらえるようになった。

又、8月1日~10月20日は植生保護期間としている。
植生への踏みつけなどの防止、ヒグマに対する基礎知識の普及のために、事前レクチャー(約10分)の受講を義務付けている。
同様に一度に入る人数を制限することで、静寂な知床五湖をゆっくりと楽しむことができるようになっている。




  【自然保護と観光の調和

世界自然遺産「知床」の代表的な景勝地、知床五湖の歩き方が来年5月から変わる。

年間約50万人に上る観光客の影響を極力抑え、より質の高い野生環境を守ることを目指し、環境省が入場者を制限する「利用調整地区制度」を導入したことによって、国立公園の自然環境を維持しながら適正利用を図ることを目的に、環境相が地区を指定し、入域期間や人数を制限する。

従来の自然公園法では開発行為の制限は可能だったが、観光客の集中などによる自然荒廃への対応が困難で、人の動きのコントロールが課題だった。


そこで、知床五湖においては・・、

五湖の遊歩道は、ルート規制と立ち入り認定手数料の徴収により人々の入場をコントロールする。
ヒグマ活動期(5月10日~7月31日)は1周約2・5キロ、上図の①のコースを利用し、500円(12歳未満250円)の入場料を徴収する。

又、植生保護期(8月1日~10月20日)は、上図の②、③を利用し、250円(同100円)の入場料を徴収する。

更に、利用者はヒグマ対策や植物保全について約10分のレクチャー(事前講習)を受けることが義務づけられ、ヒグマが多い時期はガイド同行となる。
ただし、今年整備された高さ2~5メートルの高架木道は常時無料。


尚、環境省は現地では少人数の出先機関しかないため、現場で事務を代行する「指定認定機関」を選定し、入場手数料はその人件費や講習経費に充てる。


ところで今夏、利用者3万人なら450~500円との試算を示したが、地元観光業者らは「200円が上限」と主張し、「利用者の増減で金額が毎年変わりかねない。理解が得られるのか」と批判も出た。

結局、同省側は人件費を絞り込むなど、ヒグマ活動期と植生保護期で料金差をつけるなどして合意にこぎつけたという。


次回、「カムイワッカの湯 」





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世界遺産・知床(9) 「知床五湖」(3)

2012年06月15日 14時47分39秒 | 世界遺産・知床
.




 世界遺産・知床(9) 「知床五湖」(3)


  




  
   知床第一ホテル





更に、「知床五湖」について、


この大自然の作り出した大いなる芸術作品には誰もが驚かされる。
不思議なことに、この湖には流れ込む川も流れ出る川もないという。

それなのに四季を通じてなみなみと澄んだ水を湛え続けているのは、実は知床連山の水源とする地下水がこの五つの湖の下に湧き出していて、湖の水はすべてその地下水で満たされているという。
この水は再び地下を通って、断崖から染み出し、海に流れ落ちているのである。知床連山の噴火や造山活動で所々に窪地が出来、そこに次第に地下水が沁みこむようになって五湖が形成されたものであろう。
尚、雪解けの冠水期になると、更に、森の中に数個の沼、湖沼が出現するという。



ところで、名所「知床五湖」の名前を付けたのが、ウトロ地区で最大規模の施設を誇る「知床第一ホテル」の創業者、上野茂樹さんであったという。

先般、お上さん(妻)とお世話になったホテルでもあった。
元々、地元で畜産業を営んでいたが、斜里町役場の時代、通算20年間の間に陳情その他の仕事でよく東京へ出張し、
その時、新橋第一ホテルに泊まったのが心に残り、「あんな立派なホテルをつくってみたい。」と、将来に夢を託し実現したのが、その名も「知床第一ホテル」であったという。 


宿屋の経営は素人だったが、お客様の立場からいえばプロだ、との意識で経営を始めたいう。 
斜里町役場の時代、特に、産業課長となった上野氏は、斜里・知床の町起こし・発展に力を注ぎ、観光に意力を尽くしたという。

上野氏は、ウトロ奥地の開拓地近くに名前のない五つの沼があるのに目を付けた。 
観光のため名前を付けて地図を整備しようということになり、「五沼じゃ格好悪いから、知床五湖でどうだ」と、しかし、どう見ても大きさからして「湖」という規模ではないという異論もあったが、上野さんのその一言で決まっという。



近年になって、五湖の遊歩道がヒグマ出没で、時折全面閉鎖になっている状況に、上野を氏はじめ観光関連業者はいら立ちを強め、解決策として「高架木道」の設置を提案していた。
五湖のうち入り口に近い「一湖」、または「一湖」と「二湖」双方の周りにヒグマの登れない高い木道を造り、一般観光客はそこを歩いて見学する。 
それより奥は、猟銃を扱う許可を持つ知床財団のガイドが同伴することを条件に、一部見学を許すという案であったといわれる。



北海道の「ヒグマとイオマンテ(熊祭り)」について、

古来、アイヌの人々は「ヒグマ」をキムンカムイ(山の神)として崇めた。
「イオマンテ」とはアイヌの送り儀礼のことである。 

言葉としては「イ(ものを)」+「オマンテ(送る)」という意味であり、単にイオマンテという場合、熊のイオマンテを指すことが多い。 
冬の終わりに、まだ穴で冬眠している熊を狩る猟を行うが、そこに冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが、小熊は集落に連れ帰って育てる。 

最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。 
大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移す、やはり上等の食事を与える。 

1年か2年育て、ある程度大きくなった後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行う。 
熊の姿を借りてアイヌコタン(人間界)にやってきたカムイをカムイコタンに送り返す儀式である。 
その際、小熊を森へ返すのではなく、殺し解体して、その肉をふるまうということなのである。


類似の熊送り儀礼は、サハリン周辺の北方民族など、ユーラシア・タイガ(シベリア地方に発達する、針葉樹から成る大森林)の内陸狩猟民族に広く見られており、イオマンテもその一種でもある。 

このことからイオマンテは、オホーツク文化の一端でもあるといえる。



次回、「五湖の入場規制」





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世界遺産・知床(8) 「五湖とヒグマ」

2012年06月14日 11時44分15秒 | 世界遺産・知床
.





世界遺産・知床(8) 「五湖とヒグマ」 .




  




  
  明るい一湖と鬱蒼とした二湖






神が五本の指を大地について五湖の湖が出来た・・!!、


『神が五本の指を大地について五湖の湖が出来た 』という、アイヌの古くからの伝説がある。



知床の観光地は、カムイワッカの湯滝と知床五湖という感じなのであるが、その五湖をすべてを歩いても3km・1時間半程度である。
昨今、五湖周辺はヒグマの出没が多いようで、特に奥の方に位置する三~五湖の間で頻繁に出没するらしく、看板にもある通り時折、遊覧・通行禁止の処置が出るらしい。


帰路の途中、レストハウスを覗いてみるとヒグマの情報がそれとなく記載されていて、ヒグマとソーセージにまつわる話が案内板に書かれていた。 

以前、山から下りてきたメスのヒグマに観光客がソーセージを投げ与えてしまい、それ以後このヒグマは度々人前に姿を現すようになり、直接人に危害を加えなかったものの、結局は射殺すること破目になってしまったという。 


クマに餌をあげることで、クマは人は食べ物を持っているということを覚え、人を恐れなくなり、最終的には危険に晒される恐れがあり、射殺しなければならない結果になると。
人々の軽率な行動によって危険が迫り、結局、ヒグマの命が失われるという逆目で皮肉なことが起きてしまうのである、心せねばなるまい。


最近、観光バスが斜里町ウトロから「知床五湖」に向かう途中、車窓からヒグマの親子三頭が見えたというニュースもあった。 
自然センターの監視員が嘆くには、最近は湖畔遊覧中に、アイスクリームやお菓子を食べなが遊歩道を歩く観光客が特に多く見かけられ、ヒグマの接近をまねきかねないし、危険を自ら行っている行為であると。 


ある時、観光客の歓声に驚いたヒグマが突進してきて立ち止まり、威嚇行動(ブラフ・チャージという)をとったということもあり、無神経な「ヒグマ見物」の危険さが現実になったともいう。
この時は当然、五湖の遊歩道は全面的に閉鎖されてしまう。よく熊除けには「鈴の音」、「熊除けスプレー」等がいいと言われ、確かなことではあるがヒグマが暮らす知床五湖を観光で散策することは「掟や決まりさえ守れば、大丈夫で安全」という。 
あくまでも「知床五湖はヒグマの良好な生息地であって、我々人間はそこにお邪魔させてもらっている」という意識を先ず知らねばならないと。


今年、世界自然遺産になり、観光客が激増する中、これまでの知床五湖にクマが出現すると、立入禁止になることがしばしばあったため、ヒグマの活動が活発な時期(通常6~7月)は一部は電気柵を設置し、一方は閉鎖して対策を講じているという。 

2006年の4月から知床五湖では高架木道が設置され、周囲に電気柵を設けてヒグマ出没時にも観光客を受け入れられるよう配慮するそうである。
又、この高架木道はこれまでの湖をまわるコースとはまったく別のコースに設置され、しかも車椅子使用者や高齢者にも配慮した仕様となっていて、新たな知床五湖の探索の場ができるらしいと。


次回は、更に「知床五湖」




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世界遺産・知床(7) 「知床五胡」

2012年06月13日 14時25分04秒 | 世界遺産・知床
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 世界遺産・知床(7) 「知床五胡」


  


  知床峠の途中、国道に沿ってある知床自然センタ-



  
  上空からの「知床五湖」(資料)



  
  知床五湖展望台より知床連山、右は羅臼岳


  
  知床五湖展望台より知床連山



  
  知床五湖の内の「一湖」




  
  三湖と五湖
 




ウトロ温泉を抜けると次第に山中へ入り込むようで、高台から眺めるウトロの温泉街や港の風景が一服の絵のように輝いている。
国道に沿った「知床自然センタ-」から左折すると、いよいよ知床の奥深い懐へ向かっていることが実感する。

知床自然センタ-は、ちょうど知床峠と知床五湖への分岐点に位置し、知床に関するインフォメーション基地でもある。 知床の自然を知るには先ずこちらを訪問するのも良いであろう。


すぐ、巨大なヒグマが玄関先で迎えてくれる。 
見どころは巨大映像による案内で、断崖絶壁を舞うオジロワシや羅臼岳山頂から知床岬突端までの空撮、流氷の訪れなど四季すべての美しさをダイナミックに映し出される。又、知床五湖やフレペの滝などのネイチャーウオッチング、夜の動物ウオッチング、オジロワシ・オオワシ観察会などの四季の催しや自然体験なども実施しているようである。



岩尾別の渓流を眼下に見ながら、先ず名所である「知床五湖」へ立寄った。
大駐車場へ車を置いて早速歩を進める、「望岳台」より眺める知床の大景観は素晴らしい。 

特に夕刻迫る知床連山は一服の絵である。 ほぼ正面に知床の最高峰・羅臼岳(1661m)を筆頭に、左へ山並みが連らなり硫黄岳(1563m)で切れている。 活火山・硫黄岳の山腹にカムイワッカの温泉が湧き出し落下しているのである。


徒歩で「五湖」へ向かう。

全ての湖に遊歩道が整備され連なっていて、五湖の其々の神秘的な自然の景観をできる。 
先刻、上さんと(妻)と訪れた時はゆっくりと散策できたが、今回は時間的余裕が無くなってきたので、一湖、二湖のみの見物とした。

湿性部分は木道が敷かれて徒歩に良い、一湖、二湖とも、湖面は鏡面状態で周りの樹林や知床の連峰を写しながら静寂している、その姿はまさに原始の中の楽園にふさわしい。

この五湖は、いずれも流れ込む川も流れ出す川も無く、水は湖底から湧きだし、湖底の岩を伝わって知床半島の西側断崖に浸みだしオホーツク海に流出しているという。 
凡そ30分の所要時間であった。
知床五湖は、湖(秘湖、沼)の観光地として五湖とあるが、湿地帯にあるため融雪期には数が増えるという。



五湖はヒグマに注意・・!!、

周辺では一湖を見下ろす展望台や湖を巡る遊歩道が整備されて、知床連山や原生林を水面に映す素晴らしく、遊歩道ではエゾリスやエゾシカなどが観察できる。

一方、特にヒグマが目撃されることもあり注意を要する。という 
ヒグマの出没状況によっては、五湖のうち二湖までしか回れなくなる年、時もあるので、周辺観光地での情報収集が必要だという。

五湖は、そもそもは無名の「沼」であったが、1980年代から1990年代にかけて、地元の営林署の職員などが積極的な歩道の整備に乗り出したことから、核となる観光地がなかった知床半島の名所として、たちまち脚光を浴びることとなった。


知床半島は 「日本最後の秘境」言われ元々、蝦夷・北海道の中でもヒグマが多数生息することで知られていた。 
従って当然、五湖近辺もヒグマの生息地の中にあるため、遊歩道を設置したとはいえ、付近ではヒグマが頻繁に出没するのは必定であり、ヒグマが遊歩道に現れた際には安全が確認されるまでの期間は立ち入りが禁止となる。

最近では遊歩道に出没したヒグマに観光客が寄っていってフラッシュを浴びせる事件(襲撃されても不思議ではない行為)も発生しているという。



次回、「五湖とヒグマ」




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世界遺産・知床(6) 「ウトロ温泉」

2012年06月12日 14時19分24秒 | 世界遺産・知床
.





世界遺産・知床(6) 「ウトロ温泉」



  
  ウトロ温泉街とウトロ漁港


  


  
  ウトロ遠景;プユニ岬からウトロ市街、オホーツク海を見渡す絶景ポイント(2枚)






一走りで「ウトロ」へ着いた。

北海道の東海岸巡る国道を「オホーツクライン」又は「流氷ライン」ともいい、国道238号の宗谷岬から国道244号、そして、ここ知床の玄関口であるウトロの国道334号で終わっている。 
総延長は、延々430kmであった。   (日本周遊紀行より 下記参照)



ウトロの港付近は奇岩怪石が多い、巨大な岩が海から突き出ている。
オホーツクラインとしてははじめて見る光景である、やはり、知床連山が背後に迫る山地特有の海岸風景である。 

ウトロ温泉は、知床観光船乗り場があり、温泉街が広がる。 
昨年秋、カミさんと訪れた時、この港から半島の西側を船で遊覧した、この時の印象は海岸線は殆どが断崖絶壁で、未だ人を寄せ付けないところと見聞したが、この荒々しい岸壁は流氷の成せる技で、流氷のもすごい圧力で岩肌を削りとったとされている。



ウトロは、知床北部側の温泉場である。 

近年、ボーリングによって湧出した新しい温泉街であり、知床岬めぐりの遊覧船が着く港付近と、オホーツク海の眺めを望む高台に設備の整った大小さまざまな宿が点在する。 
あの時は、たしか高台でウトロ港が一望できる「知床第一ホテル」に泊まった記憶が甦った。

泉質は塩化物泉で切り傷、やけど、慢性皮膚病、神経痛などに良いとされ、温泉宿は港付近と景色の良い丘の上にある。 
オホーツクに沈む夕日を眺めながら温泉は素晴らしいとか。
日帰り入浴できる宿は、知床第一ホテル、知床夕陽のあたる家などが有るようです。

知床が「世界遺産」に登録されたことで更に観光収益が期待されているが、同時に観光客の増加による環境破壊も懸念されているという現状があるという。


【ウトロ温泉概要】

泉 質  ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉
所 見  無色透明・無味・無臭
効 能  リュウマチ、神経痛、関節痛 など
問合せ  斜里町商工観光課 TEL(01522-3-3131)
       知床斜里町観光協会 TEL (01522-2-2125)



ところで今、ウトロの温泉街で厄介な問題が生じているという。

特に近年、エゾシカの集落進出が著しく、シカが温泉街を歩く姿をよく見ることがあり、TVや新聞でもニュースに取り上げられるほどである。 
エゾシカによって農産物や家庭の観葉植物が食い荒らされる被害も出ているらしく、糞や尿の垂れ流しによる害、シカの道路飛び出しによる交通事故も懸念材料であるという。 

銃器による駆除は、集落に接近しすぎている上、知床半島から流れ込む無数のシカには無力として断念、抜本的対策として、集落全てをフェンスで囲むことを2006年に決定したという。 

フェンスは高さ3m、距離は3.6kmもあり、対策費用は3600万円で、2006年9月に建設を開始して12月に完成する見込みだという。


次回、「知床五胡」





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【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」