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織内将男の日 光 讃 歌 

世界遺産の二社一寺などの歴史、文化を育んだ、日光の自然や地域を訪ねます。

高田松原の写真; ;被災地の記憶

2011年08月19日 13時54分43秒 | 東北紀行
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 被災地の記憶;高田松原の写真  
(クリック拡大)



日本周遊紀行」; http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005 
陸前高田」; http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-14-2.htm 

(「日本周遊紀行」より平成16 年10 月3日訪問)


三陸特有の凸凹の道・・ 、
峠からは遠くに海を臨むことができ、すぐ南に神奈川県民としては懐かしい「箱根山」というのが聳えていて三陸を代表するような松の緑も秀麗で目を潤す。
この通岡峠を境に「陸前高田」に入る。
峠直下では「三陸自動車道」のトンネルが掘削中のようでもある。

国道45のドライブで、そろそろ一息入れたいと思っていた時に「道の駅・高田松原」が現れた。 
ゆっくり休憩しながら案内板を見ると、このすぐ裏手に名勝「高田松原」があった。
小雨模様だった薄暗い様気も、今はすっかり晴上がっているし、そこまで脚を延ばしてみた。

日本周遊紀行」より抜粋

















(「日本周遊紀行」より平成16 年10 月3日訪問)




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高田松原; ;被災地の記憶

2011年08月18日 10時51分52秒 | 東北紀行
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 被災地の記憶;高田松原の写真  
(クリック拡大)



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陸前高田」; http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-14-2.htm 

(「日本周遊紀行」より平成16 年10 月3日訪問)




三陸特有の凸凹の道・・ 、

峠からは遠くに海を臨むことができ、すぐ南に神奈川県民としては懐かしい「箱根山」というのが聳えていて三陸を代表するような松の緑も秀麗で目を潤す。
この通岡峠を境に「陸前高田」に入る。
峠直下では「三陸自動車道」のトンネルが掘削中のようでもある。

国道45のドライブで、そろそろ一息入れたいと思っていた時に「道の駅・高田松原」が現れた。 
ゆっくり休憩しながら案内板を見ると、このすぐ裏手に名勝「高田松原」があった。
小雨模様だった薄暗い様気も、今はすっかり晴上がっているし、そこまで脚を延ばしてみた。

日本周遊紀行」より抜粋




takada1


takada3


takada2

在りし日の陸前高田の名勝「高田松原」の海岸(クリック拡大)






祝い・・!!  平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 
東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 



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山田湾; ;被災地の記憶

2011年08月17日 09時12分32秒 | 東北紀行
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 被災地の記憶;山田湾の写真  





震災前当時の山田湾(クリック拡大)





日本周遊紀行」; http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005 
山田町」; http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-14 

(「日本周遊紀行」より平成16 年10 月3日訪問)


三陸特有の凸凹の道・・ 、
国道45号・陸前浜海道は、宮古湾を見納めると再び山中となる。 
並行している三陸線も山間を曲がりくねって延びている。  

最高所の「石峠」を越えると山田町である。 
間もなくその山田湾に出た。

山田湾には無数の筏が浮かぶ、カキ、ホタテに代表される養殖漁業であろう。
又、ウニ、アワビなどの漁獲も多いらしい。
この街の活力源であり、観光資源でもある。
・・・、
(「日本周遊紀行」より抜粋)







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東北紀行(133) 陸奥の国(東北地方)が「世界文化遺産」

2011年06月29日 21時35分12秒 | 東北紀行
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 東北紀行(133) 陸奥の国(東北地方)が「世界文化遺産」  ,





平泉藤原文化の象徴・中尊寺金色堂



古代、律令制(大宝、養老律令)が実施されてから「日本」という国名が付けられた。 
併せて、国の形や境界、地域国名、往来道路の名称が付された。

其の中で北の地、東北地方には陸奥国、出羽国という二つの地方国が置かれ、これが江戸時代まで続くことになる。
陸奥国と出羽国の領域に相当する地域を、両国の奥と羽をとって「奥羽地方」とも言った。

陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野の酒田に置かれたが、ことでわかるように陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。

太平洋側(陸奥国)は、平野部がいわき市周辺、仙台平野、八戸周辺のみと乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通は関東地方との関わりが深く「内陸国」としての歴史が綴られているのである。

一方、日本海側(出羽国)は、沿岸に庄内平野、秋田平野、能代平野、津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野が、ほぼ均等な間隔で存在しとぃる。 
日本海の北前船に代表されるように古代から明治時代まで、海運による京阪、近畿地方との関わりが深く、「沿岸国」としての歴史が綴られている。


古代、「陸奥国」は大和朝廷の勢力圏の北端に位置していた。
そして時代によって、陸奥の国の範囲は平安時代に入るまで定かでなく、大和朝廷が実効支配していたのはほぼ現在の福島県、宮城県の一部の範囲であって、それ以北は蝦夷(えみし)の支配する豊穣の地であった。

9世紀初頭になって、「坂上田村麻呂」を指揮官とする朝廷軍の侵攻により、大和朝廷の勢力は現在の岩手県にまで到達し、802年になって鎮守府と称する胆沢城(現在の岩手県奥州市)に移される。
その後、大和朝廷の勢力は順次北上し、10世紀半ばに岩手郡が成立して奥六郡が完成したと考えられている。

11世紀には奥州・安倍氏が大和朝廷から「六箇郡の司」と呼ばれる地位を与えられて、この地域に大勢力を築いている。
しかし、安倍氏は河内源氏の源頼義、出羽清原氏との抗争である「前九年の役」の後に滅亡し、奥六郡は出羽清原氏に継承される。

ところがその20年後、今度は出羽清原氏に内紛が発生し、これに源義家が介入して「後三年の役」と呼ばれる戦乱が発生。 
最終的に奥六郡は安倍氏の惣領であった安倍頼時の孫で、藤原摂関家の末流を名乗る「藤原清衡」(藤原4代の初代)が支配するところとなった。

その後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの凡そ100年の間、陸奥・平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張ることになる。

長治2年(1105年)に清衡は本拠地の平泉に最初院(後の中尊寺)を建立する。
永久5年(1117年)には基衡が毛越寺(もうつうじ)を再興した。
その後、基衡が造営を続け、壮大な伽藍と庭園の規模は京のそれを凌いだと言われている。

更に、天治元年(1124年)に清衡によって中尊寺金色堂が建立された。
屋根・内部の壁・柱などすべてを金で覆い奥州藤原氏の権力と財力の象徴とも言われる。
奥州藤原氏は清衡、基衡、秀衡、泰衡と4代100年に渡って繁栄を極め、平泉は平安京に次ぐ日本第二の都市となったのである。



※ 2011年6月、この陸奥の国・平泉地方に快挙が報じられた・・!! ,


フランスのパリで開かれていた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は、日本が推薦した「平泉」(岩手県平泉町)を、世界文化遺産に登録することを決めた。

日本の世界文化遺産としては、07年の「石見(いわみ)銀山遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)に続き4年ぶり12カ所目になつという。

今年3月、陸奥の国は「東日本大震災」で大きい被害を受けただけに、「平泉」は被災地復興のシンボルとなりそうだ。

頑張ろう・・!、日本。
頑張ろう・・!、陸奥の国。



御拝読、有難うございました。






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東北紀行 「はじめに」

2011年01月14日 11時33分49秒 | 東北紀行
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 東北紀行 「はじめに」  .


過ぐる年に北海道、沖縄を含めた日本一周旅行を試みた。
一周なので主に沿岸部が主体であったが、今度は内陸部を主体に主なところを訪ねてみようということで、取敢えず小生の出身地でもある東北地方を試みることにした。
小生の現在の居住地は神奈川県(厚木市)である。 
出身地が福島の「いわき」なので、当地で先ず先祖の墓参りをいたし、其の後、福島県の中央部、宮城、岩手の中央部、更に秋田、山形の中央部を巡り、福島の会津へ到った。 
道中の第一の目的は「観光」なので、チョット著名な温泉などに浸かりながら土地々々の主な出来事や小史を併せて尋ねてみた。
尚、小生の「日本周遊紀行」をはじめ、併せて各地旅行記録、国内世界遺産、山紀行などホームページ、ブログを下記に載せておりますので参考にしていただければ幸いです。


東北地方・「序」

古代、律令制(大宝、養老律令)が実施されてから日本という国名が付けられた。 併せて、国の形や境界、地域国名、往来道路の名称が付された。
其の中で北の地、東北地方には陸奥国、出羽国という二つの地方国が置かれ、これが江戸時代まで続くことになる。
陸奥国と出羽国の領域に相当する地域を、両国の「奥と羽」をとって「奥羽地方」とも言った。

陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野の酒田に置かれたが、ことでわかるように、陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。
太平洋側(陸奥国)は、平野部がいわき市周辺、仙台平野、八戸周辺のみと乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通は関東地方との関わりが深く「内陸国」としての歴史が綴られている。
一方、日本海側(出羽国)は、沿岸に庄内平野、秋田平野、能代平野、津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野が、ほぼ均等な間隔で存在しとぃる。 日本海の北前船に代表されるように古代から明治時代まで、海運による京阪、近畿地方との関わりが深く、「沿岸国」としての歴史が綴られている。


陸奥の国は古代、国内で初めて「」が産出したとされる。 
この金を都(大和)に贈呈して大和の象徴とされる大仏殿(奈良の大仏)が出来上がったとも言われる。 これがきっかけで中央政府とされる大和王朝は、陸奥の国との関係を深めていく。
しかし、この奥州という国を分散支配していたのは各地の豪族たちで、蝦夷と呼ばれた人たちであった。 蝦夷(えみし、えびす、えぞ)とは普通、蝦夷地(えぞち)のアイヌ人を指すようだが、広い意味では北方に住み、畿内の大和王国によって異族視されていた人々に対する呼称でもあった。 俗に、蝦夷とは「勇敢な田舎の人々」を意味するともいう。

蝦夷は、日本国家が成立する以前、畿内のヤマト地方を中心とする大和王国(大王、後の天皇政権)との争いが、凡そ800年の間絶えなかったともいわれる。 それは西暦の年号が始まったあたりからともいわれる。 最終的に決着を着けたのが、平安京・桓武帝による坂上田村麻呂の征夷軍であった。
しかし、その後の奥州も蝦夷(この頃は俘囚:ふしゅうといった)による反乱や平泉文化が華開くも源頼朝による藤原氏征伐、秀吉による奥州仕置、果ては明治維新の戊辰戦争など、常に中央から虐げられ、戦乱が続いた。


岩手・盛岡出身の作家・高橋 克彦氏は・・、
『  古代から近代までの東北は敗者の暮らす土地であった。 縄文期の蝦夷から近代の官軍の東北侵攻まで、ことごとく侵害を受け、敗北を喫している。 その度に築き上げた豊かな文化は白紙に戻され、勝者によって歴史が改竄(かいざん)されてきた。 こんな国が他にあるだろうか  』とも述べている

これら、東北に流れる「歴史の川」を、「温泉」に浸かりながら探ってみたい。
次回、第1回は福島、「いわき」から



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