こんにちは。気がついたらgooブログのシステムが色々変わっていてびっくりの月香です。
最近はmixiとかでうろうろしています。あっち見てると普通に遊んでることがばれるような気がしてなりません。
最近、どうして自分は本を読むんだろうなーとか色々考えています。だらだら何か書いていたら、明らかに色んな人に怒られそうなものになってしまいました。
芥川龍之介の「蜜柑」は好きですが、梶井基次郎の「檸檬」はあんまり好きじゃありません。
「蜜柑」はぱっと読んでほのぼのするけど、「檸檬」はほのぼのしないし。
「蟹工船」も嫌いだ。後味が何とも言えない。
後味が悪い小説は嫌いです。理解できない小説も好きじゃありません。それはあくまで私の嗜好であって、小説の良し悪しとは無関係です。「理解できない」の基準なんて酷いもんです。もう本当に読解力がないので、解説されて「あ、そういう作品だったのか!」って初めて感動しちゃったりとかよくします。ダメダメです。
バッドエンドはいかなるジャンルであっても嫌いです。たとえライトノベルでも、「慟哭の城XXX」とか、「私の優しくない先輩」とか、バッドエンド調なのは好きじゃありません(両作品とも、バッドエンドかどうかは意見が分かれると思いますが、でも前者は彼女も主人公もかわいそうだし後者は先輩がかわいそうだ!)。
あと「ライトノベルなんて漫画の延長線上にあるんだから低俗だ」「あんなものしか読まないから今の子供は云々」とかいうのもおかしいと思う。じゃあ文学読んでれば偉いのかっつうの。漫画の延長で小説読んで何が悪いんだ。日本で儲けてる作家は軒並み推理作家じゃないか。エンターテイメントとしての小説を切り捨てるのはおかしいと思う(ライトノベルとエンターテイメントを一括りにすることについては意見が分かれると思いますが、少なくとも一昔前にはエンターテイメントに分類されていた作品がライトノベルの範疇に入れられていることはあると思います)。
私はエンターテイメントが書きたいのであって、文学が書きたいわけじゃありません。ていうか私ははやみねかおるの本を読んで作家になりたいと思ったんだ。間違っても川端康成じゃない。
いや、ほら、私の文学観に偏りがあるのは重々承知してます。文学はあんまり読んでないし。(ひょっとして、そもそもはやみねかおるをどこに分類するかも意見が分かれるところですか? 私はあの人は推理小説家だと認識しています。この際、推理要素のない児童文学を書いてようが関係ありません。方向性は一緒だし)
でもやっぱり、「オチのある文章など作家としての品位を落とす」とか吉行淳之介だかに言われようと、私はサラッと読んで面白い文章が書きたいです。サラッとと言えば星新一も好きですが、あの人の作品は後味がいいかというと疑問。泣けて笑える文章が理想ですけど、ウェイトは「笑える」の方に置きたい。笑えて泣けても後味が悪ければそんなのは良くないと思う。あと大きく感情を揺り動かせばいいってもんでもないと思うんですけど。だ、ダメかなあ。あと爽やかに泣けるのと嫌な泣け方をするのってありませんか。嫌な泣け方をするのは嫌い。法律系番組の再現ビデオを見て嫌な姑とか店員とかにムカつくのと同じ感覚があります。最後にその苛々が晴らされるかどうかの問題なのかな。
でもキレイなだけでそもそも笑いも苛つきも何にもない小説は詩に近いんじゃないかと思ったりもします。物語を楽しむか、言葉を楽しむか。両方楽しめるものもあると思うけど、どっちにウェイトを置くかの問題で。
で、これだけぐだぐだ書いてきて、結論は「何でもいいから面白いもの書きたいよね!」なんだから始末に負えない。なあ、こんな駄文で原稿用紙5枚分だぞ。
しかも全然書く作品に生かされてないあたりがダメダメです。だから読解力のない人間が小説書くなって話か?
しかし「野ブタ。をプロデュース」がドラマ化し、「ブレイブストーリー」はアニメ映画化し。確か昔の映画「ジュブナイル」はライトノベルなレーベルからノベライズが出ていたような。
もう純文とかエンタメとか勝手に括るのが間違いな気がしてきました。だからといって権威あるのかもしれない銀杏並木文学賞にエセ文学を送った自分がアホだという自覚はある。
最近はmixiとかでうろうろしています。あっち見てると普通に遊んでることがばれるような気がしてなりません。
最近、どうして自分は本を読むんだろうなーとか色々考えています。だらだら何か書いていたら、明らかに色んな人に怒られそうなものになってしまいました。
芥川龍之介の「蜜柑」は好きですが、梶井基次郎の「檸檬」はあんまり好きじゃありません。
「蜜柑」はぱっと読んでほのぼのするけど、「檸檬」はほのぼのしないし。
「蟹工船」も嫌いだ。後味が何とも言えない。
後味が悪い小説は嫌いです。理解できない小説も好きじゃありません。それはあくまで私の嗜好であって、小説の良し悪しとは無関係です。「理解できない」の基準なんて酷いもんです。もう本当に読解力がないので、解説されて「あ、そういう作品だったのか!」って初めて感動しちゃったりとかよくします。ダメダメです。
バッドエンドはいかなるジャンルであっても嫌いです。たとえライトノベルでも、「慟哭の城XXX」とか、「私の優しくない先輩」とか、バッドエンド調なのは好きじゃありません(両作品とも、バッドエンドかどうかは意見が分かれると思いますが、でも前者は彼女も主人公もかわいそうだし後者は先輩がかわいそうだ!)。
あと「ライトノベルなんて漫画の延長線上にあるんだから低俗だ」「あんなものしか読まないから今の子供は云々」とかいうのもおかしいと思う。じゃあ文学読んでれば偉いのかっつうの。漫画の延長で小説読んで何が悪いんだ。日本で儲けてる作家は軒並み推理作家じゃないか。エンターテイメントとしての小説を切り捨てるのはおかしいと思う(ライトノベルとエンターテイメントを一括りにすることについては意見が分かれると思いますが、少なくとも一昔前にはエンターテイメントに分類されていた作品がライトノベルの範疇に入れられていることはあると思います)。
私はエンターテイメントが書きたいのであって、文学が書きたいわけじゃありません。ていうか私ははやみねかおるの本を読んで作家になりたいと思ったんだ。間違っても川端康成じゃない。
いや、ほら、私の文学観に偏りがあるのは重々承知してます。文学はあんまり読んでないし。(ひょっとして、そもそもはやみねかおるをどこに分類するかも意見が分かれるところですか? 私はあの人は推理小説家だと認識しています。この際、推理要素のない児童文学を書いてようが関係ありません。方向性は一緒だし)
でもやっぱり、「オチのある文章など作家としての品位を落とす」とか吉行淳之介だかに言われようと、私はサラッと読んで面白い文章が書きたいです。サラッとと言えば星新一も好きですが、あの人の作品は後味がいいかというと疑問。泣けて笑える文章が理想ですけど、ウェイトは「笑える」の方に置きたい。笑えて泣けても後味が悪ければそんなのは良くないと思う。あと大きく感情を揺り動かせばいいってもんでもないと思うんですけど。だ、ダメかなあ。あと爽やかに泣けるのと嫌な泣け方をするのってありませんか。嫌な泣け方をするのは嫌い。法律系番組の再現ビデオを見て嫌な姑とか店員とかにムカつくのと同じ感覚があります。最後にその苛々が晴らされるかどうかの問題なのかな。
でもキレイなだけでそもそも笑いも苛つきも何にもない小説は詩に近いんじゃないかと思ったりもします。物語を楽しむか、言葉を楽しむか。両方楽しめるものもあると思うけど、どっちにウェイトを置くかの問題で。
で、これだけぐだぐだ書いてきて、結論は「何でもいいから面白いもの書きたいよね!」なんだから始末に負えない。なあ、こんな駄文で原稿用紙5枚分だぞ。
しかも全然書く作品に生かされてないあたりがダメダメです。だから読解力のない人間が小説書くなって話か?
しかし「野ブタ。をプロデュース」がドラマ化し、「ブレイブストーリー」はアニメ映画化し。確か昔の映画「ジュブナイル」はライトノベルなレーベルからノベライズが出ていたような。
もう純文とかエンタメとか勝手に括るのが間違いな気がしてきました。だからといって権威あるのかもしれない銀杏並木文学賞にエセ文学を送った自分がアホだという自覚はある。