・削除、編集済み・3/24
さて、某ブログで笑いについて書かれておられたのがなかなか興味深く、俺もひとくさりしてみる。
俺のチャット姿勢の形成はバカチャから始まっている。今ではすっかり死語だが、バカチャとは馬鹿話で盛り上がる雑談の一種だ(一種なんてもんではなくただの雑談なのだが)。冗談・くだらない話・笑いが結構顕著で怒濤のごときレス量である。そんなことを一年くらいやっていたためキー打ちも雰囲気もすっかりそれ風になっていて、チャH(の部屋だった)、イメチャをするために相当苦労した。俺の場合昼にチャットしていたから夜の雰囲気を持ってないことが最大の原因だったのだが・・。
こうした経験ゆえに、チャットにおける笑いの濃度についてはいささか心得がある。
イメチャの中で笑いをもよおすシーンや相応の雰囲気はある。しかしそうした雰囲気作りには、提供する側だけでなく、受け取ってレスを返す側にもセンスが要求される。笑いとは大笑いだけでなく、艶笑や泣き笑い、苦笑など色々あるから、大笑いしている中で見方を変えればエロくなる言葉なんてのは見つける人間のセンスによる。すなわち雰囲気をどちらに転ばすかを選択することというのは、もう感性のはんちゅうといえるのだ。もちろん提供側がわざと引っかかりになる言葉を挿入しても良い。
だから雑談すると雑談に凝り固まって雰囲気をエロにできないという人は、俺からすれば甘えすぎなんである。女性とはなしていてたまにみかける。『雑談するとエロールできないんです』と声高に宣言する人が。頼む、自慢げにそういうことを言う前に雑談から艶を含ませチャットを転がして、遊べる人になろうぜい。俺も手伝うから(アメとムチで)。
当然提供する方だって馬鹿笑いだけを投げていては雰囲気は凝り固まる一方なので、いなしたりひっくり返したり、自在に笑いを引き出すことに注力すべきだろう。
要するに多様性をもっと会話レベルで内省するのが肝心ってことではないかと思う。
さて、某ブログで笑いについて書かれておられたのがなかなか興味深く、俺もひとくさりしてみる。
俺のチャット姿勢の形成はバカチャから始まっている。今ではすっかり死語だが、バカチャとは馬鹿話で盛り上がる雑談の一種だ(一種なんてもんではなくただの雑談なのだが)。冗談・くだらない話・笑いが結構顕著で怒濤のごときレス量である。そんなことを一年くらいやっていたためキー打ちも雰囲気もすっかりそれ風になっていて、チャH(の部屋だった)、イメチャをするために相当苦労した。俺の場合昼にチャットしていたから夜の雰囲気を持ってないことが最大の原因だったのだが・・。
こうした経験ゆえに、チャットにおける笑いの濃度についてはいささか心得がある。
イメチャの中で笑いをもよおすシーンや相応の雰囲気はある。しかしそうした雰囲気作りには、提供する側だけでなく、受け取ってレスを返す側にもセンスが要求される。笑いとは大笑いだけでなく、艶笑や泣き笑い、苦笑など色々あるから、大笑いしている中で見方を変えればエロくなる言葉なんてのは見つける人間のセンスによる。すなわち雰囲気をどちらに転ばすかを選択することというのは、もう感性のはんちゅうといえるのだ。もちろん提供側がわざと引っかかりになる言葉を挿入しても良い。
だから雑談すると雑談に凝り固まって雰囲気をエロにできないという人は、俺からすれば甘えすぎなんである。女性とはなしていてたまにみかける。『雑談するとエロールできないんです』と声高に宣言する人が。頼む、自慢げにそういうことを言う前に雑談から艶を含ませチャットを転がして、遊べる人になろうぜい。俺も手伝うから(アメとムチで)。
当然提供する方だって馬鹿笑いだけを投げていては雰囲気は凝り固まる一方なので、いなしたりひっくり返したり、自在に笑いを引き出すことに注力すべきだろう。
要するに多様性をもっと会話レベルで内省するのが肝心ってことではないかと思う。