松下啓一 自治・政策・まちづくり

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▽面接練習(相模女子大)

2016-11-17 | ゼミや大学のようすなど

 C市役所を受けるゼミ生の面接練習を行った。市役所にいたときに、面接官はやったことがないので、本当のところはわからないが、受験生の面接や実際に自分が受けた面接を思い出し、ゼミ生の頼まれると面接練習をやっている。

 企業の面接は、一度だけ受けたことがある。私が大学を出るときは、就職がたくさんあった学生優位の時期だった。就職試験に行くと、交通費が支給された。その交通費を目的に、就職を受けるのである。「就職ゲリラ」といって、ある種のブームだった。

 私の一度の経験は、当時、大和古寺を訪ね歩いていた私は、交通費が出るというので、関西のO銀行を受けに行ったときである。交通費と旅館代が出て、奈良の旅館に泊まったことを覚えている。

 ただ、これは、一度でやめた。当時は、就職ゲリラは、ある種のブームであったが、自分が何かみじめで、いなや気分になったためである。若気の至りである。

 数年たって、結婚することになり、仕事を探す段になって、今度は一転、不況になった。その当時、放浪の旅しかしてない既卒者を受け入れるところは、市役所しかなく、横浜市を受けることになった。

 この時の面接も、赤面の至りである。面接官に、「なぜ横浜市を受けるのか」を問われ、最初は、福祉面で魅力があるからと答えていた(後から気がついたが、当時は横浜市の福祉は遅れていた)。具体的に問われていくうちに、良く調べもしないで答えているいることが露見してしまい、答えに窮した私は、思わず「横浜市が村雨橋で戦車を止めたから」と答えてしまった。

 村雨橋の事件とは、横浜市が、1972年、ベトナム戦争の末期、ベトナムに運ぶ戦車をノースドックの手前の村雨橋で止めた事件である。当時の飛鳥田市長が道路交通法(車両制限令)を使って、通行を阻止した。

 慌てたのは、面接官の方々である。面接では、思想信条、宗教にわたることは聞いてはいけないことになっているが、受験生が、思想信条にわたることを話し始めてしまったのである。慌てた面接官は、急いで話題を変え、私がなぜ横浜市を受けるのかの質疑は、うやむやになってしまった。

 赤面の至り、まったく準備不足の面接であるが、もし横浜市に落ちていたら、その後、私の人生は、違ったものになっていたかもしれない。今とは違う仕事をしていたかもしれないし、連れ合いとの結婚もなくなっていたかもしれない。

 さてゼミ生の面接練習であるが、彼女は、まちづくり活動の実績は豊富で、地味な仕事を嫌な顔もせずに引き受けてくれる頼りになる人柄なので、その人となりをそのまま伝えられば合格である。そんな点を重点にアドバイスした。面接準備不足者の私がアドバイスするのも、おかしな話であるが、失敗者ゆえの説得力もあるかもしれない。がんばれ。

 

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