今年は、最高傑作を書こうと秘かに誓った。
何度も書いているが、これまでの私の最高傑作は、学陽書房から出した『自治体政策づくりの道具箱』である。ショートショートのような本で、最後にはクスッと笑うオチつきである。市役所にいるときに書いたが、もう二度と書けないと思う。ただ、一度、大学のテキストに使ってしまったために、中古市場に出回り、アマゾンでは一時、1円というときがあった。悔しいので、買い占めたことがあったが(1円なので全部でいくらでもなかった)、次から次に出てきて、今ではあきらめている。ちなみは本日は359円だった。
それでも横浜市を退職して、10年経つので、それなりのストックもできたので、再度書いてみようと思い立ったのである。
正月から書き始めているが、実態は難航の極みである。それは方向性が決まっていないこともあるが(つまり「はじめに」が書けていないということである)、文章を書く稼業を10年やってくるなかで、おそらく初心を忘れてきたためだと思う。短時間で、それなりの文章を書くようになり、ゆっくりと、熟成しながら文章を書くことができなくなってしまった。あせらず、ゆっくりと、初心忘れずべからずで書いてみよう。一年の計にはちょうどよい誓いである。したがって、完成予定は、時の流れにままにということにしておこう。
今年は、『現代自治体論の入門書』を書いてみようと思う。これまでの地方自治のテキストは、ちょっと違うと思っているからである。協働論からの組み立てになると思う。
大阪の人たちとやっている『熟議の市民参加』は何とか目途がついた。自治体職員の常で、彼らはきちんと時間通りに原稿を出しているが、私のほうで遅れてしまったためである。こちらは市民力ライブラリー(萌書房)から出すことになるだろう。
法務の入門書も書いてみたいと思っている。これはわがゼミ生が市役所に入ったのを契機に、「そうか、市役所には、こういう職員もいるのだと気がつき、あらためて、法務の基礎からやっていかないといけないのだ」と実感したからである(ここ学生は、とてもいい学生で市役所職員としてはぴったりだと思っている)。それにふさわしいテキストとなると、帯に短したすきに長しなので、自分で書いてしまおうと考えた次第である。問題は、こうした本を出版する出版社があるのかである。ぎょうせいは、立て続けになってしまうし、ユコリンの第一法規では軟派すぎるだろう。学陽書房は、私の第二の傑作本がもしできたら出してもらおう。萌書房は、なんと言っても哲学書なので、あまり私に付き合っていると、ブランド価値が下がることになる。最後は、やや暴走気味にあったが、正月ということで、お許しいただきたい。
何度も書いているが、これまでの私の最高傑作は、学陽書房から出した『自治体政策づくりの道具箱』である。ショートショートのような本で、最後にはクスッと笑うオチつきである。市役所にいるときに書いたが、もう二度と書けないと思う。ただ、一度、大学のテキストに使ってしまったために、中古市場に出回り、アマゾンでは一時、1円というときがあった。悔しいので、買い占めたことがあったが(1円なので全部でいくらでもなかった)、次から次に出てきて、今ではあきらめている。ちなみは本日は359円だった。
それでも横浜市を退職して、10年経つので、それなりのストックもできたので、再度書いてみようと思い立ったのである。
正月から書き始めているが、実態は難航の極みである。それは方向性が決まっていないこともあるが(つまり「はじめに」が書けていないということである)、文章を書く稼業を10年やってくるなかで、おそらく初心を忘れてきたためだと思う。短時間で、それなりの文章を書くようになり、ゆっくりと、熟成しながら文章を書くことができなくなってしまった。あせらず、ゆっくりと、初心忘れずべからずで書いてみよう。一年の計にはちょうどよい誓いである。したがって、完成予定は、時の流れにままにということにしておこう。
今年は、『現代自治体論の入門書』を書いてみようと思う。これまでの地方自治のテキストは、ちょっと違うと思っているからである。協働論からの組み立てになると思う。
大阪の人たちとやっている『熟議の市民参加』は何とか目途がついた。自治体職員の常で、彼らはきちんと時間通りに原稿を出しているが、私のほうで遅れてしまったためである。こちらは市民力ライブラリー(萌書房)から出すことになるだろう。
法務の入門書も書いてみたいと思っている。これはわがゼミ生が市役所に入ったのを契機に、「そうか、市役所には、こういう職員もいるのだと気がつき、あらためて、法務の基礎からやっていかないといけないのだ」と実感したからである(ここ学生は、とてもいい学生で市役所職員としてはぴったりだと思っている)。それにふさわしいテキストとなると、帯に短したすきに長しなので、自分で書いてしまおうと考えた次第である。問題は、こうした本を出版する出版社があるのかである。ぎょうせいは、立て続けになってしまうし、ユコリンの第一法規では軟派すぎるだろう。学陽書房は、私の第二の傑作本がもしできたら出してもらおう。萌書房は、なんと言っても哲学書なので、あまり私に付き合っていると、ブランド価値が下がることになる。最後は、やや暴走気味にあったが、正月ということで、お許しいただきたい。
最高傑作は、ハードルが高いですが、私らしいものを書こうと思います。
八代も出てくる予定です。