附属機関と行政職員の関係である。
(1)附属機関の委員として、行政職員が入ることはできるのか
行政とは別に第三者機関として、審議会を作るのだから、行政職員は原則として入ることができない。ここがスタートである。
私が最初に審議会に関与したのは、行政区審議会で、行政区を再編成する委員会だった。横浜市では、行政区が選挙区になり,また、様々なことで、どう線を引くのかは、難しい仕事だった。これを審議会を作ってやることになる。ここでは、誰に入ってもらったかは忘れたが、役所の然るべき人に入ってもらった。議論をコントロールする意味である。
議論をコントロールすること,例えば「適切な情報提供、充実した議論」のために、行政職員が参加し、実際、そのように運用されれば、行政職員が参加すること自体は意味があるが、附属機関を隠れ蓑に、行政の意向を実現するという悪用が頻発したため、「附属機関は第三者の意見を聞く場だ」ということになって、行政職員が参加するのは原則として、いけないという取扱になった。
原則なので、例外がある。例えば、そのテーマに知見を持っている行政職員(行政職員である医師でその分野の専門家が、そのテーマの審議会の委員になる)などは、例外とされる、
要するに、これも、「適切な情報提供、充実した議論」に資するからである。この人は、自治体職員として参加しているのではなく、「知見、知識を持つが、たまたま行政職員として仕事をしている専門家」として参加していることになる。
(2)会議全体のなかで(例えばグループワークのとき)、自治体職員に入っもらうことはどうか。
これも(1)と同じである。しかし、その持っている「知識、経験、情報」を提供した方がスムーズな議論、充実した議論になるときは、入ってもらった方が得である。そこで私は、ここは入ってもらった方がいいと思うときは、グループワークに行政職員にも入ってもらうことにしている。
実際、私は、これはたくさんやってきた。南区区民会議では、区ビジョンをつくるときに、グループワークのなかに一緒に入って検討してきた。それ以前にも、自治基本条例や市民参加条例などの市民会議など、枚挙のいとまがない。この場合、行政職員だから出るのではなく、「行政職員という仕事をしている専門的な知見を持った人」という位置づけである。
理由は簡単である。もったいないからである。「知識、経験、情報」を出してもらった方が、ずっと議論が良くなる。充実したものになるからである。
(3)グループワークに参加するまでの手続きースムーズに入るには
市民委員会に行政職員がいきなり入ると、「市民の委員会になぜ入るのだ。市民をコントロールしようとするのか」という批判を受けるだろう。
回数を重ねると、気心が知れるというか、市民委員の方から、「周りにいないで、グループワークに入ってもらって、一緒に入ってやらないか」という声になる。私が委員長の場合は、どこでもそうなる。同じ船に乗っている乗組員なのだという、一体感ができると、そうなるのだろう。
南区区民会議も同じだった。一番、最初の会議のとき、ある委員さんが、後に控える行政職員に向かって、「これはどうなんだ」と詰問調に質問したことがある。私はすかさず、「委員さん、どっち向いて発言してるのですか、私が委員長ですよ。私の方を向かって発言してください」という。
委員は、それなりの人が選ばれて出てきている。きっと恥ずかしかったのだろう。「あ、失礼しました」と私の方を向いて、話を始める。委員が、「どうなんだ」というと、「あなたは、どう思うんですか」と聞く。「どうなんだ」ではなく、「私はこう思う」が、会議である。議論し、提案していく会議になると、適切な情報が必要になる。適切な情報を持っている人をうまく使わないと損だということになる。そんなことで、気心の知れた行政職員もグループワークに入って、喧々諤々、始めることになる。
行政職員をグループワークに入れることに抵抗がある場合は、私は、最初は「書記」として入ってもらうことにしている。役所の人は、まとめるのがうまい。まとめてくれれば、委員も助かる。win.winではないか。書記でも、グループに入っていると、「これ、どうなんだっけ」と聞かれる→自然に話をするようになる。
(4)質問から
・行政職員が入るのは、第三者機関という位置づけと矛盾しないか
→行政職員も専門的知見があるような場合、附属機関に参加できる。行政職員だからだめというわけではない。第三者機関にとって有為かどうかである。
・行政職員として出ると、あの職員が、こう言ったなどと言われないか。
→参加する自治体職員は、物議をかもすような発言をしますか。役所の人は自制的です。むしろ慎重すぎて、もっと本音で、言いすぎるくらい言ってほしいと市民は思っている。
・参加するといろいろ聞かれる。知らないこともある。
→知らないことは知らないと言えばいい。勉強しておくわで十分いい。
・行政職員が参加すると市民の議論をリードしてしまって、第三者機関という趣旨を逸脱するのでは。
→観念的には、そういう恐れもないわけではないが、行政職員は、市民の議論を無理やり引っ張るような発言をしますか。ちょっと距離を置いて発言するでしょう。観念的な心配だと思う。むしろ、適切な情報を出せば、充実した議論になる。
・なんで、行政職員が入っているのだという批判にきちんと答えられるようにする必要がある。
→私の答えはいくつかあって、「行政職員という仕事をしている市民」、「書記」、「適切な情報提供」などである。最初は「書記」から始めたほうがいいように思う。
→会議の設置規則のなかに、根拠条文がある(「会議は、参加を求め、意見を聞くことができる」)。これを根拠に手続きをすればよい。この条文を根拠に、会議に諮って、議事録を残しておけばよい。「グループワークに行政職員も入ってもらいたいと考えているけど、いいですか」、「意義なし」になる。
この条文がない場合も、会議の進行は「会長が会議に諮って決める」という規定がある。これを根拠にすればよい。
(1)附属機関の委員として、行政職員が入ることはできるのか
行政とは別に第三者機関として、審議会を作るのだから、行政職員は原則として入ることができない。ここがスタートである。
私が最初に審議会に関与したのは、行政区審議会で、行政区を再編成する委員会だった。横浜市では、行政区が選挙区になり,また、様々なことで、どう線を引くのかは、難しい仕事だった。これを審議会を作ってやることになる。ここでは、誰に入ってもらったかは忘れたが、役所の然るべき人に入ってもらった。議論をコントロールする意味である。
議論をコントロールすること,例えば「適切な情報提供、充実した議論」のために、行政職員が参加し、実際、そのように運用されれば、行政職員が参加すること自体は意味があるが、附属機関を隠れ蓑に、行政の意向を実現するという悪用が頻発したため、「附属機関は第三者の意見を聞く場だ」ということになって、行政職員が参加するのは原則として、いけないという取扱になった。
原則なので、例外がある。例えば、そのテーマに知見を持っている行政職員(行政職員である医師でその分野の専門家が、そのテーマの審議会の委員になる)などは、例外とされる、
要するに、これも、「適切な情報提供、充実した議論」に資するからである。この人は、自治体職員として参加しているのではなく、「知見、知識を持つが、たまたま行政職員として仕事をしている専門家」として参加していることになる。
(2)会議全体のなかで(例えばグループワークのとき)、自治体職員に入っもらうことはどうか。
これも(1)と同じである。しかし、その持っている「知識、経験、情報」を提供した方がスムーズな議論、充実した議論になるときは、入ってもらった方が得である。そこで私は、ここは入ってもらった方がいいと思うときは、グループワークに行政職員にも入ってもらうことにしている。
実際、私は、これはたくさんやってきた。南区区民会議では、区ビジョンをつくるときに、グループワークのなかに一緒に入って検討してきた。それ以前にも、自治基本条例や市民参加条例などの市民会議など、枚挙のいとまがない。この場合、行政職員だから出るのではなく、「行政職員という仕事をしている専門的な知見を持った人」という位置づけである。
理由は簡単である。もったいないからである。「知識、経験、情報」を出してもらった方が、ずっと議論が良くなる。充実したものになるからである。
(3)グループワークに参加するまでの手続きースムーズに入るには
市民委員会に行政職員がいきなり入ると、「市民の委員会になぜ入るのだ。市民をコントロールしようとするのか」という批判を受けるだろう。
回数を重ねると、気心が知れるというか、市民委員の方から、「周りにいないで、グループワークに入ってもらって、一緒に入ってやらないか」という声になる。私が委員長の場合は、どこでもそうなる。同じ船に乗っている乗組員なのだという、一体感ができると、そうなるのだろう。
南区区民会議も同じだった。一番、最初の会議のとき、ある委員さんが、後に控える行政職員に向かって、「これはどうなんだ」と詰問調に質問したことがある。私はすかさず、「委員さん、どっち向いて発言してるのですか、私が委員長ですよ。私の方を向かって発言してください」という。
委員は、それなりの人が選ばれて出てきている。きっと恥ずかしかったのだろう。「あ、失礼しました」と私の方を向いて、話を始める。委員が、「どうなんだ」というと、「あなたは、どう思うんですか」と聞く。「どうなんだ」ではなく、「私はこう思う」が、会議である。議論し、提案していく会議になると、適切な情報が必要になる。適切な情報を持っている人をうまく使わないと損だということになる。そんなことで、気心の知れた行政職員もグループワークに入って、喧々諤々、始めることになる。
行政職員をグループワークに入れることに抵抗がある場合は、私は、最初は「書記」として入ってもらうことにしている。役所の人は、まとめるのがうまい。まとめてくれれば、委員も助かる。win.winではないか。書記でも、グループに入っていると、「これ、どうなんだっけ」と聞かれる→自然に話をするようになる。
(4)質問から
・行政職員が入るのは、第三者機関という位置づけと矛盾しないか
→行政職員も専門的知見があるような場合、附属機関に参加できる。行政職員だからだめというわけではない。第三者機関にとって有為かどうかである。
・行政職員として出ると、あの職員が、こう言ったなどと言われないか。
→参加する自治体職員は、物議をかもすような発言をしますか。役所の人は自制的です。むしろ慎重すぎて、もっと本音で、言いすぎるくらい言ってほしいと市民は思っている。
・参加するといろいろ聞かれる。知らないこともある。
→知らないことは知らないと言えばいい。勉強しておくわで十分いい。
・行政職員が参加すると市民の議論をリードしてしまって、第三者機関という趣旨を逸脱するのでは。
→観念的には、そういう恐れもないわけではないが、行政職員は、市民の議論を無理やり引っ張るような発言をしますか。ちょっと距離を置いて発言するでしょう。観念的な心配だと思う。むしろ、適切な情報を出せば、充実した議論になる。
・なんで、行政職員が入っているのだという批判にきちんと答えられるようにする必要がある。
→私の答えはいくつかあって、「行政職員という仕事をしている市民」、「書記」、「適切な情報提供」などである。最初は「書記」から始めたほうがいいように思う。
→会議の設置規則のなかに、根拠条文がある(「会議は、参加を求め、意見を聞くことができる」)。これを根拠に手続きをすればよい。この条文を根拠に、会議に諮って、議事録を残しておけばよい。「グループワークに行政職員も入ってもらいたいと考えているけど、いいですか」、「意義なし」になる。
この条文がない場合も、会議の進行は「会長が会議に諮って決める」という規定がある。これを根拠にすればよい。