佐渡オープンカー・オーナーズ倶楽部

佐渡は全国でもオープンの一番似合うところです。素晴らしい景勝地とライブな話題を提供します。

今年も職人魂体験に来ます。

2007-01-25 15:33:45 | Weblog
地元の小学生が2月1日の私の店に体験学習として、7名の児童がやってきます。

今日は3時に事前の質問を持ってやってきました。

もう受け入れを始めて何年になるでしょうか???





小学生や中学生、養護学校の生徒さんを受け入れております。実社会でも仕事を通じて児童が社会勉強の一環として取り組んでいるのです。

皆さん、立派になってますので、こちらが恥ずかしいくらいです。


ギターがきたぜ!!

2007-01-25 12:06:48 | Weblog
カラオケ宴会用のギターを落札。

いよいよ布袋あきら君デビュー間もないぜ。

ろくにギターも弾けないのに、かっこばかりでどうもすいません。

宅配のナカソウ君が「これギターですか?」って不思議なまなざしで荷物を見ておりました。




そうでしょう???私はギター担当じゃないからね。

「カラオケで使うんだよ!!いいでしょう??」

「お客さん、喜びますね!!」

「?????」

どうやら店のカラオケでギターを貸せると思ったみたい。実はそうじゃないんだよね。

梱包を紐といたら写メしますね。

観光協会長の

2007-01-24 13:53:24 | Weblog
木村さんも会場にいらしてまして、

「いつ来たんだ??いなかったじゃないのか」
と、笑って迎えてくれました。

協会の会議ではいつも一緒ですので、自称「会長の息子」になってる私です、ついつい会長には甘えております。




いろんな相談や悩みごとを父のように会長は聞いてくれますので、私は助かっております。内容につきましては伏せます。秘密です。

あまり記憶に残っていませんので、女性の顔しか見ていなかった。

そうそう、野田君のお母さんにお酒をつぎにいきまして、早くお嫁さんをと願うおかあさんに、私はいいました。

「心配いりませんよ、私に任せてくださいよ」

ほとんどいい加減な私でした。でも野田君は素敵な男ですから、彼女もすぐにみつかりますよ。

彼の本町グループ加入もしっかりお願いしておきました。

後ろからですが、この男性はだれでしょうか??





昨夜は

2007-01-24 11:58:10 | Weblog
板長とたけちゃんと落ち合うはずが、はぐれてしまった。

昨夜は北越銀行の新年会でした。浦島さんで沢山のお客さまがきていました。

私は新洋舎の後藤君、「まるよし」の誠司さんと萩原さんの席で遅れていきました。

新洋舎の後藤君とは台湾に一緒に行った仲で、取引業者でもあり、また友人でもあります。彼にも男に美学を話しながら、自分に投資しなさいと檄を飛ばしていました。




経営者が一同にそろう宴席は楽しい。なにか新しい話題が持ち込まれるからだ。


どうやら

2007-01-23 19:14:03 | Weblog
おとなしくしていた板長が佐和田を飲み歩いていることをキャッチ。

すでに昼からかすけ~伊藤邸~フィッツ~しまちゃん~やじま東大通り店~青空~花音~八幡沼へのロングライドをやってるそうです。


現地にたけちゃんが行ってるようです。

わたしも応援にどこかで折り合うでしょう。

たけちゃん、板長を頼むぞ~~~~~!!!


今夜、板長は10オー愛二ーを使う予定でいるようです。

そんな板長が大好き~~~~~!!!



DJ OZMA

2007-01-23 16:20:22 | Weblog
この歌手はたけちゃんによってわかりました。そしてあの噂の紅白も見ていました。
「これやべ~~~よ。もしかして裸体なの????」

興奮した私は確認を急いだくらいですから。

たけちゃんは彼の歌を良く歌います。ノリがあっていいんだけど、どうしても自分ではあの歌は歌えない。

「ネグレスコホテル」って知ってますか??

意外にボロって声のトーンが似てたりする。「大阪で生まれた女」の萩原健一版より、ボロ版のほうがうまかったりして。


最近、佐和ジャニだの何だのと言ってるからカラオケに興味を持つようになったけど、そうでもなければいつも同じ曲。

覚えようとしないの。

あの労力は大変なものです。字余りの歌なんてどうやってみなさん、練習するんだろう???

私の親友古川君も実は歌が大好き。以前にカラオケで尾崎豊の「アイラブユー」を歌った時にはびっくりしたもの。

なんでこんな歌を歌えるのって。

「きしむベッドの~~~」あのあたりのフレーズは絶品ですよ。

では私は、
「大阪で生まれた女」「タカコ」「ア デイ」「時間よとまれ」「マイウエイ」。

古いな!!!

ジッタリンジンでいくか。無理するなよ。

てな訳で最近はボウイですね。最上先生との一緒のプレイがいいよ。明日ギターもくるしね。

そうそう、「ニルバーナ」をはじめて歌いました。
話しになりませんでした。やめました。

歌いたいのはラップ。「デフテック」じゃなくて、もっと過激なの。

スターリンや、アナーキーみたいな吠えるのもやりたいの。

でも「ロンリーチャプリン」になってしまうんだよね。

今度はマイクスタンド似を買いましたから、歌いたいのは、ジャ~~~~~ン!!

「クイーン」「マリリンマンソン」「U2」「ストーンズ」「グランドファンク」などなど

なんでもいいぜ!!乗っていくぜ、たけちゃん。筋肉のT-シャツ貸してね。



故堀田岩男 真野中学校校長をしのんで。

2007-01-23 12:13:40 | Weblog
今朝の新潟日報の佐渡版に掲載されています記事を紹介したい。

仕事柄、学校の先生方、とりわけ、校長先生や教頭先生にはお世話になっています。

私は先生の大フアンの一人である。年に何回かは顔を合わす機会がありまして、先生は私の顔を見つけると、いつも、
「お母さんは元気か??大事にしろよ」
と、いつも私の母を気遣ってくれます。

スポーツが好きで、前任の新穂中学校でもその功績は記された。

恥ずかしい話しだが、昨年に先生が亡くなったことを私たちは知らなかった。真野中学校にお弁当を配達した際に先生の偲ぶ会が催され、そこで初めて知ったのである。

かなりな衝撃でした。

先生がなくなる2日前に、店の宴席で顔を見せてくれていましたから、まさか??冗談でしょ!!と疑ったものです。

先生のお子様はすでに巣立たれ、奥様とお二人のようでして、私の店にいるインコを見るたび、「可愛いね」と言ってくれていまして、

「先生、なんならこの子をもらってくださいよ」

そのように話しが進んで、年明けにでももらいにくるよと約束?を交わしておりました。

大好きなバスケの試合途中、ハーフタイムで急性心筋梗塞でコート上でなくなったと聞きました。

いつも先生とは世間話しからいろんなことを教えていただきました。スポーツで育んだ教育の素晴らしさを何度となく聞いておりました。

58才、これからの人生をどのようにしようか考える時期でもあったでしょう。惜しい方を亡くされたものです。

先生に渡すはずのインコも、年明けに突然に亡くなってしまいました。堀田先生の訃報を知らない私たちは、
「先生にどういったらいいんだろう?まずは先生に謝らないとね」

こんな話しを家族で交わしていました。

店に来るとインコに話しかける先生の姿が思い浮かばれます。

心よりご冥福を申し上げます。先生から沢山、学ばせていただきました。ありがとうございました。

気ままなな人生だ!!

2007-01-23 08:38:37 | Weblog
ブログをみた、高校時代の友人がHPを通じて、「お前はきままでいいよな!!」のメールが届いた。

あせくせと都会でがんばっている友人からすると、どうやら私はきままな人生を送ってるように思えるみたいだ。



「そんなことないよ、毎日、悩みも多いよ」

と、返信すれば、すかさず、

「どこにそんな悩みがあるんだよ。毎日飲み歩いて、楽しい事ばかりじゃないか」

気ままを通り超えて、明日のこと考えてるのか?と説教したいようである。

私らの世代で頭をよぎるのは、定年まであと12年、50歳までもうすぐ。そんな圧迫感に悩まさせる年齢でもある。




あるものは課長に、あるものは社長に、そしてあるものは独立をかけてさらなる人生を模索する。

そしてあるものは気ままなスローライフを楽しむ。

同じ一日でもその生き方用意でどこまでも差がついてくる。

「高校時代、お前は変わっていたからな!!」

「お前は優秀だったからな!!」

成績の上位であった彼と、どう足掻いても後方支援?の私では勝負は決まっていた。

でもそれが時間をかけて、離れた環境に身を置くとどうだろう???
彼は都心から離れた場所に居を構え、子供を成長させ、ふと、一人になって考えると、もう50歳の声が近づいてきた。

現役とすればもう10年、彼からすれば、私の毎日が自分にはなかった気ままな時間がうらやましく思えるようだ。

高校時代、ロングヘアーが素敵なクラスでももてる男だった彼も今はその面影を探すのが一苦労だ。

「お前は若いな~~!!佐渡にいると成長が止るんだな?!」

「馬鹿いってんじゃないよ。若さを保つために金をつかってるんだよ」

他愛もない会話が嬉しい。友人であり、馬鹿な話しをする仲間も子供を持ち、中には孫までいる世代になった。

家族が増え、一家の柱となった私たちも一人の仲間となると、自分を見つめなおす時期である。

これからをどう生きるか?そんな話題が最近は私たちの共通の意識となった。

「お前は定年過ぎたらどうするんだよ??」
「佐渡に帰ろうかな??農業でもやろうかと考えてるよ」

自己投資はこれからの人生にとって必要な教材である。会社勤めの彼にしたらもっとも怖く感じるのは定年後の人生である。一日をどう生きるか??

これからの10年で、私は彼よりは少しは前を歩きたいと考えてる。

「お前にはかなわないよ」
「若さは負けないよ。こっちに来たらオープンカー買いなよ」
「雪が降るのに乗れるかよ!!」

彼にはまだ若さでは負けないなと私は思った。




今日のピアノは最低だった!!

2007-01-22 16:42:10 | Weblog
何が最低かといえば、あまりに練習しなさすぎで、イントロだけしかやってなくて、あげくの果てにはこの音では違うななど、先生の怒りに触れた?かもしれない。

なんせ私は自分の耳で心地良くないと嫌なタイプ。そのためには譜面も変えてしまう、モーツアルトみたいな人なんですよ。



最近、臨床心理がメキメキ興味を持ち始めて、いよいよ2年かけて勉強にはいる気合が入りました。

いわゆるカウンセラーは以前から興味があって、絶対に勉強したい分野だったので、そのチャンスはいまだと思っています。

自分への投資をさらにヒートアップしてみようと思っています。


宮崎県知事選、そのまんま東氏当選!!!

2007-01-22 08:09:36 | Weblog
すごいよね、わずか2ヶ月足らずの選挙でくまなく支持をいただくなんて。こうなると、政党の公認や各省庁からのキャリア組もかなわない。

でもそこで議会やこれまでの体制からの猛反発など、考えただけでも大変を通り越してしまう。



政治を志すものはこの一連の反発を受けてたつことになるのだけれど、並の神経ではまいってしまうだろうな。

質問する側は楽に思えてならない。政策立案とそれに対する質問では立案は大変な作業である。結果が物を言うこの世界ではすべてに流れがあるように思える。

うまくいく可能性はあるだろうけど、それまでの仕組みを変えて新しい流れを作るのは相当な力量が必要だ。期待する側は新しい流れを、それを阻止するものは、旧来の仕組みに慣れた方々だ。

祭りもそうだ。今回、獅子が城から佐渡の盆へと変更した。それは名前の変更だけをとらえたら実に陳腐は話しである。

中央支部として、国仲の祭りを一つの輪として考えたい。そのために佐渡の盆は必要なネーミングだ。

光の国へようこそ!

私はこれが主題で、躍るがサブタイトルと考える。祭りがどれだけ地域活性化に加担するかはこれからだ。

365分の1としたカウントでいけば、祭りの一過性のイベントはそれほどのものは期待できない。

しかし、今回は「灯りの街へ」を前面に押し出し、街並みを変えていくのは私たちの一つの行動なのだと意識していただければその道筋は明るい。

行政がこうしてくれと言うから、そのように動くのだ。この考えは次年度からはなくなっていく。

同じ町内でもある市会議員の広瀬さんにこう質問したことがる。

「広瀬さん、明るい材料もないように思える佐渡に、どこにそんな明るい未来の切り口などあるのですか?」
後退する考えで佐渡を見つめれば当然こんな質問もしたくなる。

「浅野君、君たちがそんなことでどうするんだよ。机に座って街を見ていれば確かにそう思えるだろうけど、歩いてごらん、いろんな人と話しをしてごらん。まだまだその原石は佐渡に沢山転がっているよ」

私と17歳も年上の広瀬さんは実に明るい。うらやましいくらいだ。

もしかしたら、私のいつも見ている佐渡はこのパソコンを触っている、ウインドから見える佐渡なのかも知れない。

小田氏が私に教えてくれた、「遠くを眺めて足元を見つめる」。

ふと、足元ばかりを見つめて嘆いてる私が鏡に映った。