佐渡オープンカー・オーナーズ倶楽部

佐渡は全国でもオープンの一番似合うところです。素晴らしい景勝地とライブな話題を提供します。

ソムリエ2次試験

2007-01-04 14:03:54 | Weblog
会場はまたも同じく長野駅前の「コスモポリタン長野」である。長野駅で降りたらすぐ左側に隣接したホテルである。ここの4階が試験会場。講習会、1次試験と、長野はすでに慣れた土地になっていた。

朝早く起きるのは宿屋主人の習性である。祈願をこめて、長野の善光寺にお参りをすません。徒歩で20分の距離は朝の軽い運動にはちょうどいい距離でもある。

1次試験までは傾向と対策である程度、どんな出題かは読める。もちろんそれだけでは無理なのであるけれど、こんな感じだなはつかめる。

しかし2次試験はまるで空をつかむようなものである。

口頭試験、テースイテング、抜栓の実技試験。

口頭試験は試験官が口頭で読み上げる問題を回答するのである。英語のヒアリングに似てる。これは経験したものでしかわからないが、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル、アメリカ~と勉強していくと、カタカナ読みでは理解しているものの、原語を読み慣れないと目で理解してるとこの口頭問題ではまさかの空白に陥ってしまう。

2次試験の会場は1次の時のむせ返るような人はいない。その中の3割くらいしか残っていない計算だ。ここからさらに合格するものは3割。200名の受験者とすれば20人くらいが合格といってもいいだろう。

選ばれたものだけが来るこの会場に、優越感に浸りながら、私は会場に入った。雑談をしていた新潟の連中もほとんど顔はなかった。

私の知った顔は彼女しかいない。私は彼女にお礼をいいに、近くに寄った。
「1次では助かりました、パスタの問題、見事に出ましたね」
「私もまさかと思いました。でもやったー!!って、嬉しくて」

(ここらは彼女のくだりは小説にします。実際はこれ以上の会話はなかったので)

「どちたからですか?」
「私は諏訪からです。前の日にホテルに泊まって」
「そうですか。私は新潟なんですよ。同じように近くのホテルで宿泊しました。ゲンをかついで同じホテルのしましたけど」
「わたしも同じなんですよ」

女性の年齢はわからない。20代後半?30代の頭なのだろうか?ソムリエの試験に時間をさくのは自営か、スチュワーデスか、会社から使命を受けたものでしかここにはこれないはずだ。

「お互い、すんなり合格できればいいですね」
「私は来年にかけます、1次が合格なら来年は1次は免除ですから」

しかし、この気の緩みが大敵だった。かりに1次が合格であっても、また講習会に来なければならないことはみんな知っていた。ソムリエの資格はとにかく金がものをいう。

「今日、うまく行ったら、飲みに行きませんか?」
「そうですね、うまくいったら考えときますね」

お互いそんな気分ではなかった。何を勉強したらいいのか、まるでわからないのだ。口頭試験さえパスできれば、後はヤマ勘だけ。抜栓など、現場でしかわからない。固いコルクにあたればさようなら。うまく、コルクを引き抜けばそれはバッチに一歩近づいたと思っても間違いはない。

同じ戦友の意識をしながらも、私はうまくいって、彼女と飲みにいけることしか頭にないのである。後でこの気楽さが幸いするのである。

「ではこれよりソムリエ資格試験2次を始めます。まずは口頭試験について説明いたします」

張り詰めた空気がさらに凝縮された。私は前列に、彼女はやや右後方の場所に座った。


ソムリエの試験の模様

2007-01-04 10:25:25 | Weblog
ソムリエの試験は100問で出題。70点を取れば1次が合格となります。だから試験が終ればたいがいは合否がわかるはずである。

ソムリエ協会から通信教育を受けて、教材を買って、添削を出してれば合格と思うのは浅はかである。


そのほかにまだまだいろんな教材があり、また傾向と対策はマーケットにもなっているくらいだ。

私は長野に講習会3日ほど長野に宿泊したけど、その間、新潟からはバスで20名くらいの受験者が乗り合わせて来ているくらいなのだ。
この方々と知り合うといろんな情報が得られる。今年のヤマはここだ!!とか、今回はここが出ると私設のワイン教室で学んだ方の情報はまさに的を得ていた。

私の知らない教材ではすでに試験問題と称して、受験対策をやっていた。見せてもらうとなるほど、ここがポイントなのかと思えるほどだ。でもどれも的は得ているけど、問題は違うのだ。そんなのはあくまで予想であって、試験は違っていた。

試験前に会った女性との話しでは、イタリアワインに合う料理が出題されると聞かされた。もちろんガセネタも多い。信じるか否かはその人次第。

試験当日にまで過去の試験問題など、完全に覚えるくらいにやってきている。でもその問題からはほとんど出題されないのがいいとこである。

彼女の読んでいるページをめくってみる。そこは私のヤマでは外れている箇所である。

あわててそこを念入りに目を通した。でもどこがでるなんてわかるはずはない。
「どこが出るんでしょうかね?」
「私はパスタだと思います、誰もがパスタなら白と思うでしょうけど、一つだけ赤でないとだめな素材があるんですよ」
「そうでしたか???」

パスタなら誰しも白だろう!!でもミートソースの「ポロネェーゼ」はサンジョベーゼの品種、キアンテイが代表的だ。しかもこれだけなのである。私はそこを覚えるようにした。

ソムリエの試験はまるで重箱の隅をつつくような出題である。たしかこれは?????こんな問題が多く出る。

たけちゃんの店で行く前に買ったワイン、「シャトーラツール カルネ」これが問題に出た。

メドックの格付けの上位から3番目のワインを記載しろとの問題。

シャトーラギュールと、シャトーラツール カルネのどちらが3級かわからなくなっていた。一級は3万クラスのシャトーマルゴーだ、3級なら安くとも8000円クラスだろう??
カルネはたしか、たけちゃんの店で3000円だった。そうだ4級だよ、きっと。答えはラギュールだ。こんな感じだった。

問題のパスタはしっかり主題されていた。イタリアの言語でだされるから、パスタだけはわかる。かすかにポロ~~が理解できた。さっそくキアンテイを探す。ない!!白以外のワインを探して自信をもって記載する。

そんな感じでなんと合格した。

2次試験、彼女にあったので御礼を言った。偶然か?ワインの抜栓では彼女と同じ組にはいった。

「緊張しますよね!!」

試験官3人の前でワインの銘柄を告げて抜栓を実践するのである。かなり緊張があるものだ。足だって震えるし、笑顔でいなければならない。
そういって笑っていた彼女ではあったけど、一足先に抜栓を始めた彼女はコルクを途中で折ってしまった。

再度そこからまた試みたけれど、また折ってしまったようだ。万事休す!!

彼女の夏はここで終った。

数学は苦手でした。

2007-01-04 09:38:02 | Weblog
数学は大の苦手。高校受験も国、英、社で点数を稼ぎ、数、理は問題しだい。これが私の傾向と対策だった。

昨年の暮れに、子供の数学の教科書をみて、因数分解、2次方程式、平方根など。どれどれこれはねと、問題用紙をみながら広告の裏で解き始めてからもう一度勉強をしている。当時の記憶などないに等しい。

受験の時に、やった~~~!!と心で叫んで、残りあと10分のコールに安堵して、机の下に手をやったら問題用紙があって、あわてて真っ青になりながらやったことは今でも夢の中でよく出てくるシーンだ。

そんな数学から逃げ回っていた人生をここらで立ち向かってみるかと思ったのかもしれない。証明問題など、今でも避けて通りたい問題である。

それから私が教科書をみながら、また再度やり始めている。一つ一つ、解きながら次の過程に向かうのは快感にちかい。こんな時間的に余裕のある勉強などしたことがなかった。

「問題でわからない場合は、どこまでが解けて。どこからがわからないとしたほうが先生もわかりやすいんだよ。全部わからないというのが先生も困るんだ。ここまでは解けたけど、ここらがわからないとしたほうが、先生もそこはね!!って教えやすいだろう??」

こんないい加減な親だから子供も困ってしまうだろう。

数学など興味以前も問題だったけど、こうやって素直に接してみるとそれはそれで面白い。高校時代、私は老いた元教師について、数学を学んだ。今を振りかってみても、老いた元教師とはいえ、数2Bなどわかるのだろうか?そんな予感は余計だった。的確な指導は私をかろうじて進級に導いてくれた。

授業=わからない=やらない=わからない=授業。

この繰り返しだった。不思議に試験の当日はなぜか学校に行くのがはやいのだ。7時くらいに席につく。この時間にかならず一人の生徒がいた。普段は絶対に口をきくことのない私達なのだが、試験前に不良少年の私は彼に今日の試験のヤマをきいていた。

顔も合わせない私に彼は40点分のヤマを教えてくれた。そしてうまい具合に彼のヤマで40点は取れたのである。後のプラスは私の独学によるものだけど。

試験の3日間は彼が親友?だった。それが終ればまたいつも知らない顔。私の人生の中で節目にこんなヤマを教えてくれる人に会うものである。

一昨年、ソムリエの試験の当時、長野の駅前で試験時間にはまだ早いのだけど、コーヒーでもと思い、ファーストフードへ。

そこで同じ教材を真剣に見つめるある女性に私は気軽に声をかけた。
「これから試験ですか?私もなんですよ。どこが出るかポイントあったら教えてくださいよ」

どこのおっさんだろう?気安く私にこえかけての表情でしたけど、当時チョイ悪オヤジ3段の柔らかさで彼女も心を開いてくれた。
「今回はイタリアワインが鍵じゃないかな?」
なるほど、でも彼女はイタリアワインを見てるのでなく、イタリアワインの合う料理を繰り返し見ていた。