すごいよね、わずか2ヶ月足らずの選挙でくまなく支持をいただくなんて。こうなると、政党の公認や各省庁からのキャリア組もかなわない。
でもそこで議会やこれまでの体制からの猛反発など、考えただけでも大変を通り越してしまう。
政治を志すものはこの一連の反発を受けてたつことになるのだけれど、並の神経ではまいってしまうだろうな。
質問する側は楽に思えてならない。政策立案とそれに対する質問では立案は大変な作業である。結果が物を言うこの世界ではすべてに流れがあるように思える。
うまくいく可能性はあるだろうけど、それまでの仕組みを変えて新しい流れを作るのは相当な力量が必要だ。期待する側は新しい流れを、それを阻止するものは、旧来の仕組みに慣れた方々だ。
祭りもそうだ。今回、獅子が城から佐渡の盆へと変更した。それは名前の変更だけをとらえたら実に陳腐は話しである。
中央支部として、国仲の祭りを一つの輪として考えたい。そのために佐渡の盆は必要なネーミングだ。
光の国へようこそ!
私はこれが主題で、躍るがサブタイトルと考える。祭りがどれだけ地域活性化に加担するかはこれからだ。
365分の1としたカウントでいけば、祭りの一過性のイベントはそれほどのものは期待できない。
しかし、今回は「灯りの街へ」を前面に押し出し、街並みを変えていくのは私たちの一つの行動なのだと意識していただければその道筋は明るい。
行政がこうしてくれと言うから、そのように動くのだ。この考えは次年度からはなくなっていく。
同じ町内でもある市会議員の広瀬さんにこう質問したことがる。
「広瀬さん、明るい材料もないように思える佐渡に、どこにそんな明るい未来の切り口などあるのですか?」
後退する考えで佐渡を見つめれば当然こんな質問もしたくなる。
「浅野君、君たちがそんなことでどうするんだよ。机に座って街を見ていれば確かにそう思えるだろうけど、歩いてごらん、いろんな人と話しをしてごらん。まだまだその原石は佐渡に沢山転がっているよ」
私と17歳も年上の広瀬さんは実に明るい。うらやましいくらいだ。
もしかしたら、私のいつも見ている佐渡はこのパソコンを触っている、ウインドから見える佐渡なのかも知れない。
小田氏が私に教えてくれた、「遠くを眺めて足元を見つめる」。
ふと、足元ばかりを見つめて嘆いてる私が鏡に映った。
でもそこで議会やこれまでの体制からの猛反発など、考えただけでも大変を通り越してしまう。
政治を志すものはこの一連の反発を受けてたつことになるのだけれど、並の神経ではまいってしまうだろうな。
質問する側は楽に思えてならない。政策立案とそれに対する質問では立案は大変な作業である。結果が物を言うこの世界ではすべてに流れがあるように思える。
うまくいく可能性はあるだろうけど、それまでの仕組みを変えて新しい流れを作るのは相当な力量が必要だ。期待する側は新しい流れを、それを阻止するものは、旧来の仕組みに慣れた方々だ。
祭りもそうだ。今回、獅子が城から佐渡の盆へと変更した。それは名前の変更だけをとらえたら実に陳腐は話しである。
中央支部として、国仲の祭りを一つの輪として考えたい。そのために佐渡の盆は必要なネーミングだ。
光の国へようこそ!
私はこれが主題で、躍るがサブタイトルと考える。祭りがどれだけ地域活性化に加担するかはこれからだ。
365分の1としたカウントでいけば、祭りの一過性のイベントはそれほどのものは期待できない。
しかし、今回は「灯りの街へ」を前面に押し出し、街並みを変えていくのは私たちの一つの行動なのだと意識していただければその道筋は明るい。
行政がこうしてくれと言うから、そのように動くのだ。この考えは次年度からはなくなっていく。
同じ町内でもある市会議員の広瀬さんにこう質問したことがる。
「広瀬さん、明るい材料もないように思える佐渡に、どこにそんな明るい未来の切り口などあるのですか?」
後退する考えで佐渡を見つめれば当然こんな質問もしたくなる。
「浅野君、君たちがそんなことでどうするんだよ。机に座って街を見ていれば確かにそう思えるだろうけど、歩いてごらん、いろんな人と話しをしてごらん。まだまだその原石は佐渡に沢山転がっているよ」
私と17歳も年上の広瀬さんは実に明るい。うらやましいくらいだ。
もしかしたら、私のいつも見ている佐渡はこのパソコンを触っている、ウインドから見える佐渡なのかも知れない。
小田氏が私に教えてくれた、「遠くを眺めて足元を見つめる」。
ふと、足元ばかりを見つめて嘆いてる私が鏡に映った。