ひとっ風呂浴びたので、これから、福沢諭吉の、「時事新報」の対外政策に関する論説紹介の続きを打ちます。何度もいいますが、福沢個人攻撃ではないし、彼の業績のすべてを否定するものではない。時代精神の代表として取り上げるものです。そして、それは現代となお、一続きです。
続き2。今なお日本が明治から始まる侵略的な帝国主義の尻尾を断ち切ることができないのは、なぜか。理由は様々あれども、満州事変以降の昭和の軍部の暴走だけを取り上げ、その土台をなした明治の時代精神を振り返らず、手つかずに残してきたからではないか。
続き7 翌日、1月7日付の社説は、「外国との戦争かならずしも危事・凶事ならず」。侵略戦争の煽動、連投である。ここで福沢は、徳川時代の鎖国の平和をこき下ろし、文明国の条件として戦争が必要なのだという主張を展開する。「時と場合によりては、戦争もまたはなはだ有益なるものにして……」
続き11 「人心の小康に安んずるを矯め」、つまり人々が平和で慎ましい幸せに安息している状態自体を変えるため、「…人心をして世界の広きを思うて大いに自ら奮起せしめんとするには、国に外国との戦争起こるをもって、最も効力の迅速なる方法を得るものとす」。つまり戦争は「手段」なのだ。
続き12 「…外国との戦争起こりたりとあらば、(中略)誰かゆうゆう花月を楽しまん、誰かゆうゆう歌舞を観ん。(中略)不安の思いに迫られて、奮起大いになすあらんとするや必定なり」。福沢において、戦争は、それ自体が国民を緊張させるための目的であり、手段である。だが、それだけではない。
続き13 驚くべきことに、福沢は戦争の勝敗すら、どちらでもよい、といったことを言い出す。「……開戦三、四ヶ月、やがて和睦・休戦にいたれば、戦争の当時、味方の勝敗いかんにかかわらず、戦後、人心の向かうところはもっぱら外国にあり(中略)……」
続き14 「…… もっぱら自国の富強を急ぐにありて、貿易に、兵備に、交際に、力の及ぶ限りを尽くして少しも油断することなく、初めてようやく当世の一文明国たる資格を備うるにいたるを得べし」。なんでも良いから、戦争してしまえ、その結果として、国内の緊張は否応なく高まる。
続き15 その結果として、文明国の仲間入りができる、というのだ。戦争の結果もかえりみることなく、何でもいいから、戦争のできる国家にしてしまえ、という安倍政権の姿勢の不可解さも、140年前の福沢の論説を重ねてみれば、なるほどそういう目論見なのか、と合点がいく。同意はしないが。
続き16 この論説を、福沢は次の一説で締めくくる。「…その戦争避くるの損害は、早くも戦争そのものの害に幾倍するところあらんことを、恐るるなり。戦争は、必ずしも百毒・百害の性質あるものにあらざるなり」。戦争が、まるで多少副作用のある薬草程度の扱いである。
そう、思い出すべきは徳川家康。RT @wanko2003: 日本は長く、島国の知恵で中国と共存し、むしろ利益を得てきた。ところが今や、安倍政権が振りまく対中包囲網の幻想に、国民が眩惑されている始末だ。中国と緩やかに繋がっていた江戸時代までの感覚を、日本人は忘れてしまった。
子煩悩兵長、可愛過ぎる\(//∇//)\これシリーズ化しないかな////
綿貫をUFOキャッチャーで2発取り! pic.twitter.com/Zy10VuiDW9