玖波 大歳神社

神社の豆知識

神道の葬儀

2012-01-23 20:48:40 | うんちく・小ネタ

■不幸にして人が亡くなることを神道では帰幽(きゆう)といいます。神道の考え方では人は神々と祖先の恵によって現世(うつしよ)に生まれ生活をして、死しての後の御霊(みたま)は、幽世(かくりよ)に帰り、やがて祖先の御許(みもと)に帰りつくとされています。

■ 神道の葬儀は、「枕直しの儀」・「帰幽奉告の儀」・「遷霊の儀」・「通夜祭」・翌日の「葬場祭」・「発柩祭」・「火葬場祭」・「帰家祭」となっています。

  通夜

夜を徹して故人の蘇生を願って行った古代の殯(もがり)の遺風とも言われる鎮魂の儀礼です。

  枕直しの儀

まず、北枕で寝かせます。
枕元には、白無地の屏風を逆さに立てて刃物を台や盆の上にのせ、刃を遺体の方に向けないように置きます。
供物は、小机か八足台(案)の上に、次のようなものを置きます。
 米(洗米でもご飯でもそのままでもかまいません。)・御神酒・塩・水・常饌(故人が生前好んだ食べ物。)・榊
神棚と霊舎に家人の帰幽を喪主が奉告し、お供え物を撤して五十日祭までの間は神棚の全面に白紙を貼り、霊舎を閉じます。
出来ない事は省略しても宜しいので、無理をしないようにしましょう。

  帰幽奉告の儀

神職により産土の神様と幽世の神様へ、故人の帰幽を奉告します。神社によっては、「枕直しの儀」の際に行われることもあります。

  遷霊の儀

通夜の時、室内を消灯して故人の御霊を霊璽(れいじ)に遷し留める「遷霊の儀」が行われます。

 通夜祭

故人の死を確認し、葬場祭への、心の準備をし、故人に死を受け入れて貰う為の儀式です。

  葬場祭

神職が奏上する祭詞には故人の経歴や功績人柄が読み込まれ、会葬者と共に故人の遺徳を讃え、在りし日の姿を偲ぶ、人の世の終焉に際しての最も厳粛な儀式です。

  発柩祭

通夜祭を終えた翌朝、葬場に向かう際に行う儀式ですが、近年は省略されています。

  野辺送りの火葬場祭

火葬場での最後の別れの儀式になります。

  清めの塩

通夜及び葬場祭に参列した場合や火葬場から戻った遺族は「清めの塩」を使います。これは宗教的な儀礼というより、お弔いに関しての日本人の民族的な思想の概念によって行われて来た風習ともいえるものです。

  帰家祭

喪家もしくは斎場にて、安置された御霊に対して葬儀が無事終了した旨を奉告します。

  旬日祭

仮霊舎の霊璽を中心に「旬日祭」として十日毎(十日祭 ・ 二十日祭 ・ 三十日祭 ・ 四十日祭)に斎行し、五十日祭は特に「忌明け」とも呼ばれる重儀となります。
五十日祭の折りには特に「忌明け後清祓の儀」が行われ、納骨並びに仮霊舎の霊璽が霊舎に合祀されます。
この日から、神棚と霊舎の白紙をはずし、おまつりを再開します。新年を迎えるための氏神様の神札もこの五十日が過ぎていればお受けできます。

この後「百日祭」を経て「一年祭」更に「三年祭」「五年祭」「十年祭」と以下おもに十年毎に霊祭が各々周年祭として斎行されます。(旬日祭・年祭はその時の都合等により省略される場合があります。)

ご参考までに

◇安置
末期の水、湯灌、死に化粧、など基本的に仏式と一緒です。
死に装束は、経かたびらではなく、小そでになります。
白い木綿の小そで(きもの)に、白たびを履かせるのが正式です。
現在では、故人が好んで着ていた衣服を着用させその上に小そでを掛けるのが一般的のようです。

◇納棺の儀
枕直しの儀が済んだ後、納棺の儀に移ります。
通夜に先立って遺体を棺に納める儀式で、正式には神職を招きますが、近年では葬儀社の人に手伝ってもらい、遺族の手でするようになっています。
出棺までの間は、朝夕の2回、米、水、塩などを供え、遺族が礼拝する「柩前日供(きゅうぜんにっく)の儀」を行います。

◇霊璽(れいじ)
仏式の位牌に当たる物 鏡または、柾目(まさめ)を通った白木に故人の名前と生年月日を書き入れたものです。

◇通夜振る舞い
基本的に仏式と同じですが、神式ではなまぐさ物は禁じていません。
日本では、古来より死後の世界を黄泉の国と言って、穢れた世界としています。
神道では、死のけがれを忌む習慣が強く、家の火がけがれないようにというので、通夜振る舞いでは、他の家で煮炊きしたものか、外から取り寄せたもので接待します。
また、神前に供えた饌を皆で食し供養したと言うところから、通夜振る舞いに発展したと言う説もあります。

◇葬場祭
神前に通夜祭の時に供えた常饌をすべて新しい物にかえます。
棺は部屋の中央、一番奥に安置し、故人の姓名と位階、勲功など社会的地位があればそれらも記した銘旗(仏式の位牌に当たります)を立て、棺を囲む三方に壁代をめぐらし、その外側に、不浄を防ぐ意味を持つしめ縄つきのいみ竹をたてます。(昔行っていました。)

◇忍び手にて二礼二拍手一礼
神式の拝礼では、二礼二拍手一礼と言って、二回深くおじぎをしてから、忍び手と言って音を立てないように二回柏手(かしわで)を打ち、最後にもう一度礼をします。

{ちょっと考えたこと}

1 通夜祭と通夜について

 広辞苑によると、通夜とは、① 神社仏閣に参籠し、終夜祈願すること。② 死者を葬る前に家族・縁者・知人などが遺体の側で終夜守っていること。となっています。
 今回は、死者を葬る前に家族・縁者・知人などが遺体に側で終夜守っている通夜について考えたいと思います。
 通夜は、一般に、夜を徹して故人の蘇生を願って行った古代の殯(もがり)の遺風とも言われる鎮魂の儀礼とも言われています。古代では呼吸停止をもって直ちに死とはみなされず、蘇生しないことを確認したあと、喪に入ったとされていました。またその間は生前のように棺に朝夕供饌し、歌舞音曲や飲食などの遊びをして魂呼びを行ったそうです。 長期間にわたることもあり、天武天皇の殯の場合は二年余にわたったことが「日本書紀」に記されています。それが中世以後になると、もっばら読経供養に変わりますが、魂呼びの儀礼は今日なお慣習として残っているところもあるそうです。
天皇の殯宮儀礼は、六世紀頃より唐の殯の影響を受けて、遊部の奉仕による儀礼とともに、誄(しのびごと)の奏上や諡を奉るなどの大陸にならった儀礼が行われるようになったそうです。
 これらのことから、通夜とは「古代の殯(もがり)の遺風で、蘇生を願い、生前のように棺に朝夕供饌し、歌舞音曲や飲食などの遊びをして魂呼びを行うことで、長期間にわたることもあるもの」と定義できます。つまり、通夜の期間はまだ生きていると見なす期間を指すことになります。
 通夜祭について考えてみると、蘇生しないことを確認したあと、喪に入って行う儀式と考えるべきではないでしょうか。なぜなら、「誄(しのびごと)の奏上や諡を奉る」儀式である点で、誄(しのびごと)とは、死者に述べられ哀悼の言葉・悲しみを表明するとともに、生前の功績や善行を讃えたりする行為であり、明らかに死者を対象に為されるものです(まだ生きていると見なす期間に行う儀式ではない)。 忍手についても、神葬祭において、祭壇の前で死者に向かって打つ無音の拍手と定義されており、あくまでも死者が対象であることが原則であることを読み違えてはならないと思います。重ねて申しますが、通夜の時点と通夜祭を行う時点とを混同しがちですので気を付けるべきです。そう考えると、死亡確認書が発行された時点で、帰幽報告祭を行うのは当然のことです。遷霊の儀も通夜祭の前であろうと通夜祭の後であろうと構わないことになります。

2 神葬祭における修祓について

 忍手とは、「音がしないように打つ拍手のこと。短手とも表記し、神宮祭式作法のなかで八開手ののち、最後に音がしないように打つもの。また、神葬祭において、祭壇の前で死者に向かって打つ無音の拍手。」と定義されています。
 一般には、音を立てなければならないのだけれども、故人や故人の家族・縁者・知人のことを思うと音が出せない感情を表した所作ではないかと思っています。この感情によって、祓戸神に対して忍手になることは不敬なことになるのでしょうか。その場を少しでも清らかな状態にしたいと思う気持ちで修祓を行う事が不敬なことになるのでしょうか。 祓戸神の立場で皆さんはどう考えるのか、私は感情・気持ちを理解して頂けるものと信じます。

3 奉幣行事について

 幣が依り代・装飾・供物のいずれでも必要であるならば、最初から奉っておけば宜しいのではないでしょうか、その行事の必要性を感じません。また、心中年祈念は何を祈念するのか、所役の中に何々所役とか何々後取とかあるべきなのに、なぜ所役としか言わないのか、所役が正中に座す司の斜め前から受け渡しを行う事や反命の際、揖も無く着座するなど理解できないことが多いのは私だけでしょうか。 

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