きんいろなみだ

大森静佳

季節のエッセー1「火の記憶」

2019年08月06日 | その他
火の記憶      大森静佳


春を告げるものはいくつもあるけれど、関西のひとびとにとっては奈良東大寺二月堂のお水取りもその一つだろう。お水取りにはまだ行ったことがないが、福井県小浜市に住んでいた数年前にお水送りを見る機会があった。毎年三月二日、小浜の遠敷川(おにゅうがわ)に流される「お香水(こうずい)」はおよそ十日間かけて奈良まで届き、十二日、二月堂の若狭井(わかさい)で汲み上げられる。今日がちょうどその十二日なのだ。

三月の若狭はまだ雪がちらつくほどに寒い。空気の凛と引き締まった夕暮れの神宮寺(じんぐうじ)で、神事は始まった。赤装束の僧たちが巨大な松明を振り回す「達陀(だったん)」の儀の後、大護摩に火が焚かれる。その年はちょうど満月にあたっていたのか、大護摩の火の穂先はるかにまるく青白い月が滲んでいたのを覚えている。

私たちはそれぞれ松明を買い求め、大護摩の火をもらう。二キロあまり上流の「鵜(う)の瀬(せ)」という淵まで、遠敷川に沿って歩くのだ。こっくりと深まった夜の闇を進む、約三千人の松明の列。手袋をした手に松明はずしりと重く、右手から左手へ、左手から右手へ持ち替えながら歩いた。不思議と誰も喋らない。誰もが、小さな火のゆらめきそのものとなって歩いている。振り返ると、ひとすじの灯りの帯が蛇行していてとても綺麗だった。

子どもの頃は、毎日のように焚き火の炎を見つめていた気がする。仕事に追われる父の唯一の娯楽が焚き火だったのだ。家のすぐ裏が山だったから、枯れ葉や枝など燃やすものはたくさんあって、家の周りはいつも火の匂いがしていた。父は無口で気難しく、ほとんど笑わないようなひとで、幼い私にとっては近寄りがたい存在だった。ただ、焚き火をしているときの父は普段よりほんの少し、輪郭が柔らかかった。私はその脇にしゃがんで、火のゆらめきをいつまでも飽きることなく見つめていた。

いま住んでいるマンションにはガスコンロがないし、京都の街で焚き火は制限されているから、暮らしのなかで火というものをまったく見ない。夜、ときどき布団のなかで、これまでに見てきた火のいくつかをそっと記憶の箱から取り出してみると、ゆらめく火に吸いこまれるように、私は深い眠りに落ちる。


「京都新聞」朝刊2018年3月12日

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