きんいろなみだ

大森静佳

季節のエッセー2「橋から見えるもの」

2019年08月08日 | その他
橋から見えるもの    大森静佳


先日、東京から来た友人に「京都で一番好きな場所はどこ?」と聞かれて、とっさにひとこと「橋」と答えた。そうか、私は橋が好きだったのか。

学生時代は賀茂大橋の近くに、そして今は北山大橋の近くに住んでいる。鴨川にかかる大きな橋は、どれも好きだ。橋の途中で自転車をとめて、水の明るさをぼんやり眺める時間も。

今年は桜が早くに散ってしまって、川の両岸にはもう葉桜が涼しくそよいでいる。犬の散歩をする人、文庫本を顔に伏せて昼寝する人、楽器を吹く人、危なっかしく飛び石を渡る子ども。誰もが思い思いに午後を過ごしている。水面に反射する春の光をじっと見つめていると、泣いているときみたいに眼の奥が眩しくてたまらなくなる。ああ、ここには時間が流れている。そう確かに思えるのだ。

大学進学のために京都へ引っ越してきた日、手伝いに来た母が夕方の新幹線で帰ってしまうと、誰も知り合いのいない街で、生まれてはじめて本当の一人ぼっちになった気がした。新しい小さな部屋には、母と食べた宅配ピザの匂いがこもっている。手持ち無沙汰のままに外に出てみると、つんと水の匂いがした。

今出川通りを少し歩いたら、大きな橋があって、すぐそこに夜の鴨川が広がっていた。桜はまだだ。橋を踏みしめる足の裏に、車の振動が次々に伝わってくるのが怖いくらいになまなましい感触で、心細さに負けそうになりながら、自分がこれから暮らす街の灯りを私はじっと睨んでいた。

輪郭がまた痩せていた 水匂う出町柳に君が立ちいる  永田紅

それからしばらくして、こんな短歌に出会った。出町柳駅での待ち合わせの場面だろうか。この感じはよくわかるなあと思う。普段親しい相手を、ふとした拍子に遠くから見たとき、その横顔や輪郭の思いがけない鋭さに胸を突かれることがある。それは誰かに見られていることを意識していない、むきだしの無表情であり、むきだしの輪郭。どことなくいつもより痩せて見える「君」の、かすかな寂しさが浮きあがってくる。

記憶のなかにいつも川が流れていること、橋があること。私はもう水匂う出町柳を離れてしまったけれど、そこでは今日もたぶん誰かが誰かを待っている。


「京都新聞」朝刊2018年4月16日

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