きんいろなみだ

大森静佳

吉川宏志『石蓮花』

2019年12月11日 | 短歌


吉川宏志さんの第8歌集『石蓮花』(2019年/書肆侃侃房)

バラの花渦(うず)ふかぶかと描(か)かれおり母の絵はみな母を喪う

生前に「母」が(おそらく趣味で)描いた絵の一枚一枚がみな、自分と同じように「母」を失ってしまった。バラの花びらの複雑な渦を、ふかぶかと奥ゆきをもって描いた、その「母」の手つきをなぞるような眼差し。いきいきとはしているものの、「母」を失った絵はどれも、「母」の手元に置かれていた頃とは異質な存在としてそこにあり、もうもとに戻らない。「母の絵はみな母を喪う」という言い方には直感的につかんできたような不思議な広がりがあって、その広がり自体が痛ましい。「母」は一人だし、自分が失ったのはそのたった一人の「母」なのだけれど、「母の絵はみな母を喪う」という言い方をしたときに、「母」を失ったかなしみが絵の枚数と同じ数にまで増幅されるというか、乱反射して増えるような感じがした。


遠くから見る方がよい絵の前に人のあらざる空間生まる

ゆうぐれの駅に立ちいるどの人も靴を支点にながき影ひく


もっといくらでも叙情的、感傷的に詠めそうな発見なのに、そうはしていないところに目がいく。


*そのほか好きだった歌

ドーナツの穴つながりて売られおり灯り濃くなる師走の街に

去年より紅葉が濃いなあ 布二つ重ねるごとく君に言いたり

今年より来年の手帳に書き写す こおろぎのころ母の誕生日

海の場面に変わる映画のひかりにて腕の時計の針を読みおり

金網は海辺に立てり少しだけ基地の中へと指を入れたり

分かりやすいところを引用してしまう鰭のように揺れていたのを切りて

紙のように裂ける心をわれは持たず持たねど白く透ける日がある

食べることのできない人に贈るため花はあるのか初めておもう

遺体のなかに母の死は無し母の死はわれのからだに残りているも

手の骨を鉄の板より剥がしおりもう母じゃないこれは違うから