野ざらしの狼

旅や身近な事を綴る雑ブログ

日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編3/5

2024-07-27 21:00:00 | 日記

 7月21日 朝4時に起床し、身支度と朝食を済ませ稚内駅へ向かう。 

 早朝の無人改札を通り抜け、5:21発の名寄行き始発に乗車。

 春、枕崎駅から地元駅に続き、今日稚内駅から地元駅までの鉄道縦断の旅、後半のスタートだ。

 枕崎と稚内双方に駅間3,099.5㌔と書いてある。新幹線も使った最短距離なのだろう。拙者の今回の目論見では3,392.1㌔の駅間乗車距離となる。


 宗谷本線を行く。途中老朽化が著しくボロボロの駅舎が多くあり、何とも痛々しい。
 昨夜の宿モリシパで購入したオーナー武重謙氏の著書 山のクジラを獲りたくて を読み始める。北海道の鮮やかな緑を進む列車の中という最高のシュチエーションで読書に没頭する。武重さんが北海道に移住する前の2年間の狩猟記だ。ハードボイルドでカッコいい。

 イオンのフードコートで昼食をとり、旭川からは函館本線を行く。



 白石からは千歳線を行く。
 日ハムの新球場を車窓から流し見る。カッコいい球場だ。

 苫小牧からは室蘭本線を行く。

 長万部からは函館本線を行く。


 出発前に森のホテルを予約しようとしたが、じゃらんでは受付をしていなかった。
 当日の宿でキャンセルが出るかも知れないと検索したが、それもダメだった。
 駅に着くと待合室とトイレは夜間施錠すると掲示がある。ネットカフェもファミレスも無い。あるのは駅前のコンビニだけ。そして更に問題が、スマホのバッテリーが40%を切って来た。検索してバッテリーをイタズラに消耗させる訳にはいかないので、駅に掲示されている地図をガン見する。
 おっ、道の駅が歩いて20分ほどの所にある。そういえばバイクで来た時に買い物をした覚えがある。トイレは確保できそうだしピロティになっていて雨も凌げる。
 いざという時の為にコンビニで乾電池式の予備バッテリーを買い、道の駅に行って5時間ほど過ごした。

 コンビニで朝食とモーニングコーヒーを買い、5時に森駅に戻って来て始発列車に乗り込んだ。


 青春18きっぷの定番は、オプション券を使って道南いさりび鉄道を乗り継ぎ、木古内と奥津軽いまべつ間を北海道新幹線で渡るのだが、その先が被災してバスの代替輸送となっている。旅の目的が鉄道による縦断なのでバスはいただけない。またJR路線に拘りたいとも思った。
 結果、新函館北斗から新青森までを新幹線で行くことにした。


 新幹線は静かで早く滑らかに走り、あっという間に青函トンネルを抜けて新青森に到着した。
 スマホのバッテリー問題は、新函館北斗駅の待合室と新幹線とで充電が出来て、80%まで回復した。

 奥羽本線の秋田行き発車まで2時間ほどの待ちとなるので、始発の青森駅まで戻ることにした。駅すぐにねぶたを展示しているねぶたの家があり、じっくりと見学をする。
間近で見るとすごい迫力がある。いつかねぶた祭りを直に見てみたい。
 青森駅の横には青函連絡船八甲田丸も係留展示されている。また、少し離れた所にねぶたの制作テントも見えるなど、駅直結で観光スポットがあるのが素晴らしい。改めて青森を訪れたいと思った。


 奥羽本線で秋田まで行く。

 秋田駅では時間があったので、駅中の店で横手やきそばとギョーザにハイボールを合わせた。


 秋田からは羽越本線で酒田新幹線は静かで早く滑らかに走りあっという間に青函トンネルを抜けて新青森に到着した。 酒田のホテルに宿泊。すごく安い。

 古いバイクが展示してあり、オーナーがバイク好きである事が伺える。
 バイクツーリングで利用する場合は特典があるとのこと。これ以上安くなるのか?



 昨夜は徹夜だったので早く寝る事にする。明日は関東に越えるつもりだ。
         つづく



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日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編2/5

2024-07-27 10:39:00 | 旅行

 719日 早朝目覚めると雲は厚く白波が立っており、今回は少し揺れを感じる。船長のアナウンスによると、波高 は2から3メートルとの事である。

 寝て食って寝て、海を眺めて風呂に入って1日を過ごす。午前に姉妹戦のアカシアと行き合う。


 午後から雨になり、薄い海霧が漂っており奥尻島も見えず、一日中波だつ日本海だったが、日没前に積丹半島を過ぎる頃には雨も上がり、景色が見え出した😀徐々に気分も上り出した。


 定刻よりも10分ほど早く小樽港に着岸した。23:00に札幌大通り公園という縛りがあるため、小樽築港駅に徒歩で急ぐ。21:22発の電車に乗り22:03に札幌駅に降り立つ。

 インバウンドの旅行者が大勢いる。会社帰りの酔ったサラリーマンがいる。2次会へ行こう!と盛り上がる女子軍団がいる。そんな喧騒に満ちる大都会を、テレビ塔を目指して進み、20分ほどで大通りバスセンターに着いた。

 チェックインし待合室でバスを待ち、定刻13分前にバスがバースに入り、3列シートの中央列前から3番目の座席番号8に座る。


 少し肌寒いので前からGジャンを羽織って寝る体勢をとる。満席で発車すると程なく消灯された。暫くすると高速道路を走っているようで車が停止しなくなった。姿勢が一定なので体が痛くなり何回も目が覚める。

 5時ごろ稚内市街地に入り、順次希望するバス停で乗客が降りてゆく。拙者は稚内駅前で一人降車し、キャリーバックを押して稚内名物の北防波堤ドームに着く。


 1936年に建築され1980年に全面改修が行われているとのこと。それから40年が経過し、長寿命化の再度調査が行われている模様で、柱や壁などのクラックにマーキングがなされている。


 天候が回復しそうなので利尻島へ渡ることにする。まだ6時前だがぼちぼちフェリー乗り場に向かう。

 水泳施設の前に鹿の群れがいる。去年来た時もそうだったが、稚内には奈良公園のように悠然と鹿がいるのである。


 礼文島は四十数年前に行ったことがあるので、今回は行ったことのない利尻島に向かい利尻富士を見たい。

 思い起こせば礼文島で泊まった時も島全体が霧で利尻岳は見えなかった。

 去年サロベツ原野をバイクで走った時も山頂は霧の中だった。

 さて今回が3度目、どうなるか。 7:15発の鴛泊行きフェリーに乗る。

 野寒布岬を左に回り込み、少し波だつ日本海を進むと利尻島が見えてくる。やはり下半分しか見えない。

9時前にフェリーは利尻島に接岸し、上陸した。


  島内観光バスなどがあるが、ここはペシ岬から見る利尻富士に集中したい。観光案内所の方に尋ねるとペシ岬は徒歩で往復1時間ぐらいで、今日の風向きなら利尻岳の頂上は望めそうとのこと。コインロッカーにキャリーバックを入れてペシ岬へ向かう。

 ペシ岬は通称ゴリラ岩と言われており紅葉シーズンには肩越しの赤茶ゴリラに見えるそう。漁港を歩いて進むと見える見える、両手を広げたゴリラだゴリラ。


 港の端から遊歩道が伸びており、案内沿って登ると小高い平地に会津藩士の墓と表示がある。江戸幕府から蝦夷地のロシア防備を命ぜられ、この地で亡くなったは藩士の墓だそう。


 一礼して歩みを進め突先の灯台まで行き、折り返して岬の頂上に立つ。標高は90mほどでガレ場だ。利尻岳の頂上は見えそうで見えない。1時間ほど粘った。


 漁港とは反対側にペシ海岸が見下ろせる。昔そこにはモペシという石山があったそうだが、爆破され稚内の北防波堤ドームの基礎石になったそう。国立公園に指定されている今では考えられないようなことだ。


 この利尻礼文サロベツ国立公園は1974年に指定され、今年は節目の50周年といううことらしい。

 だからなんだと突っ込まれるかもしれないが、お調子者の拙者はそれを聴いただけで嬉しくなり、道端の花を撮影したりしてしまうのだ。名前も知らないくせに。


 1時間の間に先っちょは見えたが満足のいくものでは無い、が、帰りの船や昼飯のこともあり下山した。

 フェリーターミナルの前の食堂で利尻ラーメンを食べ、お昼のフェリーに乗船する。

 2等船室にキャリーバックを置いて後部デッキに陣取り、最後のチャンスに賭けるのだ。

 そして鴛泊港を出航し、しばらくすると少しづつ頂上が見えだした。

よっしゃーっ!と写真を撮りながら、離れていく利尻島をずっと眺めていた。


 よかった。四十数年越しに3度目の正直で頂上を見ることができた。中腹には雲がかかっていたが稜線は想像でき、大満足だ。ありがとう利尻富士😭

 14時前に稚内に着き、今夜の宿モシリパに向かう。昨年のバイク日本一周時にも利用したゲストハウスだ。去年、たまたまじゃらんの本日の宿で見つけたのがそもそもの始まりだが、初めてゲストハウスを利用し、そこで知り合ったバイカーと話をしたり、一緒にオーナーに開業までの話を聞かせてもらったりして楽しく過ごした。

 そんな事で、今回も是非モリシパに泊まりたいと思い予約をした。


 15時にリピート泊ですと告げてチエックインをし、夕食の焼きカレーとサッポロ生を予約注文し、ベットメイクをし、シャワーを浴び、ダイニングに降り、スタッフのAomuraさんや足寄のぎまんちさんやオーナーとあれこれ話が弾んだ。


 夕食を食べ、オーナーの著書を購入して本にサインを書いてもらい早めに就寝した。

 いよいよ明日から青春18きっぷで行く日本縦断鉄道旅の後編がスタートする。       つづく


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