野ざらしの狼

旅や身近な事を綴る雑ブログ

日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編5/5

2024-07-29 00:00:00 | 旅行
7月24日
5時に起床し身支度と朝食を済ませて高崎駅へ。4日目の入鋏印を入れてもらい高崎線の電車に乗りこむ。

籠原駅で乗り換える。朝の通勤電車で乗客が多く、赤羽から横浜までは満員で走る。



東海道本線の国府津駅で開いたドアからホーム越しに海が見える。
なんかいいなと思い写メを撮った。
小田原に着く頃には車両に人がほとんどいなくなった。

熱海で浜松行きに乗り換える。
沼津の辺りから由比の辺りまで富士山🗻を探して車窓から眺めるが、濃い雲に覆われていて全く見えない。残念である。





このお三方は、座席が空いているのにずっとこのポジションであった。
運転手さんも後ろカーテンを閉めずに頑張っていた。



米原からはJR西日本の営業区間になる。




ついに帰ってきた。
日本縦断鉄道旅の完結だ。
ちなみに青春18きっぷはまだ1回分残っている。


JR枕崎駅とJR稚内駅の間を全てJR路線で乗車する事が出来た。

帰った後に、秋田と山形で豪雨災害が発生して、犠牲者が出た。多くの方々が被災している。心よりお悔やみとお見舞いを申し上げ、復旧が進むことを祈っている。



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日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編4/5

2024-07-28 13:54:00 | 旅行
⭕️7月23日
いつも朝は5時半頃に目が覚めるのだが、前日の徹夜が響き、6時過ぎに目が覚めた。

急いで身支度を整え、朝食を済ませてフロントに鍵を返した。酒田駅に行って引き続き羽越本線で村上に向かう。

羽越本線から白新線に変わり新潟へ向かう。


新潟から信越本線で長岡に向かう。

三条駅辺りに来ると平野にポツンと山が見える。弥彦山かな、違うかな。それにしても空、山、田んぼ、綺麗な色のグラデーションだ。

長岡駅に着いた。次の電車迄に時間があるので、改札を出て昼食をとる事にした。

駅ビルのちゃーしゅうや武蔵という店で、つけ麺の並盛りを食す。
美味しい。量も並で丁度だ。


駅に戻り、上越線で水上に向かう。

時刻表の索引地図で、越後湯沢の先にループが2つあるが、車窓から見ても何処がどうなのかよく分からない。おまけにトンネルを出たら窓が全面結露で、何も見えないまま水上に到着した。

乗り換えて水上を出て暫くすると左側に山が見える。赤城山かな。去年スイフトスポーツに乗って関東峠遠征をした時に、赤城山の麓の温泉に泊まった。榛名山や伊香保、碓氷峠も近いのだろう。赤城の山も今宵限りかなんて、聞いたようなセリフを心の中で言ってみる。

高崎駅に到着したが、猛暑でうだる。改めて電車の冷房に感謝する。乗客が少なくなれば冷房がよく効くので、田舎を走行中はGジャンを羽織ることが多いくらいだ。
 

それにしても高崎の街の温度もなかなかの物だ。拙者の住んでいる所も、フェーン現象により気温が高くなる事で有名だが、こちらはビルの排熱も加わるのか、さらに暑く感じる。

さっさとホテルの部屋に入り、エアコンとテレビをつける。
おお、大相撲を5日ぶりに見る。
琴櫻と大の里、どちらも贔屓にしている。貴景勝は頸椎ヘルニアで当たりが弱く感じる。じっくり治療して出直した方がいいと思う。

相撲中継が終わり、晩飯だと思ったところにゴロゴロと⚡️雷音が聞こえて来た。雨雲レーダーを見ると何とか避けられそうだ。

駅ビルのレストラン街にサッと行ってパパッと食べてササっと帰って来よう。

温かい蕎麦と鶏丼のセット。おっ、天ぷらが別のせだ。半分はそのまま食べて半分は蕎麦に投入した😋

さあ、明日はゴール。長丁場になるので早く寝る事にしよう😴
            つづく



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日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編3/5

2024-07-27 21:00:00 | 日記

 7月21日 朝4時に起床し、身支度と朝食を済ませ稚内駅へ向かう。 

 早朝の無人改札を通り抜け、5:21発の名寄行き始発に乗車。

 春、枕崎駅から地元駅に続き、今日稚内駅から地元駅までの鉄道縦断の旅、後半のスタートだ。

 枕崎と稚内双方に駅間3,099.5㌔と書いてある。新幹線も使った最短距離なのだろう。拙者の今回の目論見では3,392.1㌔の駅間乗車距離となる。


 宗谷本線を行く。途中老朽化が著しくボロボロの駅舎が多くあり、何とも痛々しい。
 昨夜の宿モリシパで購入したオーナー武重謙氏の著書 山のクジラを獲りたくて を読み始める。北海道の鮮やかな緑を進む列車の中という最高のシュチエーションで読書に没頭する。武重さんが北海道に移住する前の2年間の狩猟記だ。ハードボイルドでカッコいい。

 イオンのフードコートで昼食をとり、旭川からは函館本線を行く。



 白石からは千歳線を行く。
 日ハムの新球場を車窓から流し見る。カッコいい球場だ。

 苫小牧からは室蘭本線を行く。

 長万部からは函館本線を行く。


 出発前に森のホテルを予約しようとしたが、じゃらんでは受付をしていなかった。
 当日の宿でキャンセルが出るかも知れないと検索したが、それもダメだった。
 駅に着くと待合室とトイレは夜間施錠すると掲示がある。ネットカフェもファミレスも無い。あるのは駅前のコンビニだけ。そして更に問題が、スマホのバッテリーが40%を切って来た。検索してバッテリーをイタズラに消耗させる訳にはいかないので、駅に掲示されている地図をガン見する。
 おっ、道の駅が歩いて20分ほどの所にある。そういえばバイクで来た時に買い物をした覚えがある。トイレは確保できそうだしピロティになっていて雨も凌げる。
 いざという時の為にコンビニで乾電池式の予備バッテリーを買い、道の駅に行って5時間ほど過ごした。

 コンビニで朝食とモーニングコーヒーを買い、5時に森駅に戻って来て始発列車に乗り込んだ。


 青春18きっぷの定番は、オプション券を使って道南いさりび鉄道を乗り継ぎ、木古内と奥津軽いまべつ間を北海道新幹線で渡るのだが、その先が被災してバスの代替輸送となっている。旅の目的が鉄道による縦断なのでバスはいただけない。またJR路線に拘りたいとも思った。
 結果、新函館北斗から新青森までを新幹線で行くことにした。


 新幹線は静かで早く滑らかに走り、あっという間に青函トンネルを抜けて新青森に到着した。
 スマホのバッテリー問題は、新函館北斗駅の待合室と新幹線とで充電が出来て、80%まで回復した。

 奥羽本線の秋田行き発車まで2時間ほどの待ちとなるので、始発の青森駅まで戻ることにした。駅すぐにねぶたを展示しているねぶたの家があり、じっくりと見学をする。
間近で見るとすごい迫力がある。いつかねぶた祭りを直に見てみたい。
 青森駅の横には青函連絡船八甲田丸も係留展示されている。また、少し離れた所にねぶたの制作テントも見えるなど、駅直結で観光スポットがあるのが素晴らしい。改めて青森を訪れたいと思った。


 奥羽本線で秋田まで行く。

 秋田駅では時間があったので、駅中の店で横手やきそばとギョーザにハイボールを合わせた。


 秋田からは羽越本線で酒田新幹線は静かで早く滑らかに走りあっという間に青函トンネルを抜けて新青森に到着した。 酒田のホテルに宿泊。すごく安い。

 古いバイクが展示してあり、オーナーがバイク好きである事が伺える。
 バイクツーリングで利用する場合は特典があるとのこと。これ以上安くなるのか?



 昨夜は徹夜だったので早く寝る事にする。明日は関東に越えるつもりだ。
         つづく



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日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編2/5

2024-07-27 10:39:00 | 旅行

 719日 早朝目覚めると雲は厚く白波が立っており、今回は少し揺れを感じる。船長のアナウンスによると、波高 は2から3メートルとの事である。

 寝て食って寝て、海を眺めて風呂に入って1日を過ごす。午前に姉妹戦のアカシアと行き合う。


 午後から雨になり、薄い海霧が漂っており奥尻島も見えず、一日中波だつ日本海だったが、日没前に積丹半島を過ぎる頃には雨も上がり、景色が見え出した😀徐々に気分も上り出した。


 定刻よりも10分ほど早く小樽港に着岸した。23:00に札幌大通り公園という縛りがあるため、小樽築港駅に徒歩で急ぐ。21:22発の電車に乗り22:03に札幌駅に降り立つ。

 インバウンドの旅行者が大勢いる。会社帰りの酔ったサラリーマンがいる。2次会へ行こう!と盛り上がる女子軍団がいる。そんな喧騒に満ちる大都会を、テレビ塔を目指して進み、20分ほどで大通りバスセンターに着いた。

 チェックインし待合室でバスを待ち、定刻13分前にバスがバースに入り、3列シートの中央列前から3番目の座席番号8に座る。


 少し肌寒いので前からGジャンを羽織って寝る体勢をとる。満席で発車すると程なく消灯された。暫くすると高速道路を走っているようで車が停止しなくなった。姿勢が一定なので体が痛くなり何回も目が覚める。

 5時ごろ稚内市街地に入り、順次希望するバス停で乗客が降りてゆく。拙者は稚内駅前で一人降車し、キャリーバックを押して稚内名物の北防波堤ドームに着く。


 1936年に建築され1980年に全面改修が行われているとのこと。それから40年が経過し、長寿命化の再度調査が行われている模様で、柱や壁などのクラックにマーキングがなされている。


 天候が回復しそうなので利尻島へ渡ることにする。まだ6時前だがぼちぼちフェリー乗り場に向かう。

 水泳施設の前に鹿の群れがいる。去年来た時もそうだったが、稚内には奈良公園のように悠然と鹿がいるのである。


 礼文島は四十数年前に行ったことがあるので、今回は行ったことのない利尻島に向かい利尻富士を見たい。

 思い起こせば礼文島で泊まった時も島全体が霧で利尻岳は見えなかった。

 去年サロベツ原野をバイクで走った時も山頂は霧の中だった。

 さて今回が3度目、どうなるか。 7:15発の鴛泊行きフェリーに乗る。

 野寒布岬を左に回り込み、少し波だつ日本海を進むと利尻島が見えてくる。やはり下半分しか見えない。

9時前にフェリーは利尻島に接岸し、上陸した。


  島内観光バスなどがあるが、ここはペシ岬から見る利尻富士に集中したい。観光案内所の方に尋ねるとペシ岬は徒歩で往復1時間ぐらいで、今日の風向きなら利尻岳の頂上は望めそうとのこと。コインロッカーにキャリーバックを入れてペシ岬へ向かう。

 ペシ岬は通称ゴリラ岩と言われており紅葉シーズンには肩越しの赤茶ゴリラに見えるそう。漁港を歩いて進むと見える見える、両手を広げたゴリラだゴリラ。


 港の端から遊歩道が伸びており、案内沿って登ると小高い平地に会津藩士の墓と表示がある。江戸幕府から蝦夷地のロシア防備を命ぜられ、この地で亡くなったは藩士の墓だそう。


 一礼して歩みを進め突先の灯台まで行き、折り返して岬の頂上に立つ。標高は90mほどでガレ場だ。利尻岳の頂上は見えそうで見えない。1時間ほど粘った。


 漁港とは反対側にペシ海岸が見下ろせる。昔そこにはモペシという石山があったそうだが、爆破され稚内の北防波堤ドームの基礎石になったそう。国立公園に指定されている今では考えられないようなことだ。


 この利尻礼文サロベツ国立公園は1974年に指定され、今年は節目の50周年といううことらしい。

 だからなんだと突っ込まれるかもしれないが、お調子者の拙者はそれを聴いただけで嬉しくなり、道端の花を撮影したりしてしまうのだ。名前も知らないくせに。


 1時間の間に先っちょは見えたが満足のいくものでは無い、が、帰りの船や昼飯のこともあり下山した。

 フェリーターミナルの前の食堂で利尻ラーメンを食べ、お昼のフェリーに乗船する。

 2等船室にキャリーバックを置いて後部デッキに陣取り、最後のチャンスに賭けるのだ。

 そして鴛泊港を出航し、しばらくすると少しづつ頂上が見えだした。

よっしゃーっ!と写真を撮りながら、離れていく利尻島をずっと眺めていた。


 よかった。四十数年越しに3度目の正直で頂上を見ることができた。中腹には雲がかかっていたが稜線は想像でき、大満足だ。ありがとう利尻富士😭

 14時前に稚内に着き、今夜の宿モシリパに向かう。昨年のバイク日本一周時にも利用したゲストハウスだ。去年、たまたまじゃらんの本日の宿で見つけたのがそもそもの始まりだが、初めてゲストハウスを利用し、そこで知り合ったバイカーと話をしたり、一緒にオーナーに開業までの話を聞かせてもらったりして楽しく過ごした。

 そんな事で、今回も是非モリシパに泊まりたいと思い予約をした。


 15時にリピート泊ですと告げてチエックインをし、夕食の焼きカレーとサッポロ生を予約注文し、ベットメイクをし、シャワーを浴び、ダイニングに降り、スタッフのAomuraさんや足寄のぎまんちさんやオーナーとあれこれ話が弾んだ。


 夕食を食べ、オーナーの著書を購入して本にサインを書いてもらい早めに就寝した。

 いよいよ明日から青春18きっぷで行く日本縦断鉄道旅の後編がスタートする。       つづく


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日本縦断鉄道旅 枕崎⇔稚内 後編1/5

2024-07-26 19:21:00 | 日記

 718日出発の日

 9時半から、昨日調子が悪くなった浴室乾燥機の修理立ち合いを行う。

 乾燥にしても温風が出なくなってしまったのだ。修理の方は断線の可能性が高いのだと言う。暫くして断線箇所を発見し、配線の修復を行なってもらい一安心。


 これで旅に出られるぞ😃

 午後からスーパーへ旅のおつまみや非常食を買い出しに。

 18きっぷの旅は、タイトな列車ダイヤに合わせるので、食事に立ち寄る時間が無かったり、そもそも田舎駅では近くに食堂やコンビニが無かったりする。

 食べる為に一本乗り損ねると、1泊追加や野宿が待っているのだ。

 1日ぐらい何も食べなくても死にやしないが、日持ちするカップケーキやポッキーを持っているといざという時に心強いのだ。

 相撲中継の結びの一番を見ず、18時前に徒歩で駅へと向かう。

 途中に知人とすれ違い、キャリーバッグを引きずる拙者を見て何処行き?と尋ねられるが、立ち話する時間が無いので夜逃げ!と切り返して早足で立ち去る。ゴメンね🙇‍♀️

 駅では切符の対面販売が廃止され、苦手な自動販売機と格闘する。

 機械なので、忖度したり、おもんばかったり、探ったり、やり過ごしたりしてくれないのだ。設計者の考えたステップと、説明の理解と、正しい駅名の入力が求められる。

 後ろに女性が並んでおり、ドジな操作を見抜かれないよう画面に体を被せ、画面の隅々まで神経を配り、冷や汗をかきながら、東舞鶴までの切符を購入した。

 改札が無人でまごまごしていると、駅員さんが通りかかった。

 聞くと、そのまま通ってくださいと。

 ICOCAは使えるが自動改札は無く、無人駅のような状態である。

 春は改札に人が居たのにな、赤字ローカル線の将来は暗いよな。

 待合室で冷房に浸りながら入線を見計らい、1834分発の福知山行き普通電車に乗り込む。大方が高校生の通学で通勤者がパラパラ。

見渡すと車両の中で旅行者は拙者1人のようだ。

 まだ青春18きっぷの利用開始日になっておらず、鈍行に乗って旅する人も少ないのかも知れない。


 電車は、高校がある駅に着くとどっと生徒が乗って来て、次の駅からパラパラと降りてゆく。

 福知山に近づくと府県境になるため私学の生徒しか残っていない。そして無人駅には親のお迎えが待っているのだろう。

 あたりはすっかり暗くなり、電車の灯りに誘われて虫が飛び込んでくる。

 田舎列車はドアの開閉がセルフの為、降車で開け放たれたドアから暖かい外気と共に入ってくるから堪らない。乗客が少なくなると、ドアの周りに人がおらず慌てて席を立ち閉のボタンを押す。

 福知山の手前でカメムシの匂いが漂う。嗚呼、侵入を許してしまったか。そして福知山で乗り換え。

 園部行きのホームへ行き、待合室で待っていると仕事帰りで一杯ひっかけた赤ら顔の2人組が大声で喋っている。


 綾部に行く車中も大声で喋っている。綾部で乗り換えてもまだ大声で喋っている。


 とうとう東舞鶴駅まで大声は聞こえていた。スーツ姿と作業着姿の二人組で、歳も離れていそうに見えたが、よほど気が合うのだろう、とても楽しそうに喋っていた。

 拙者も、現役時代にああいう楽しい夜もいっぱいあったと思い出しながら、運転席越しのカーブする線路をぼんやり眺めていた。苦しい思いをすればこそ仲間と楽しい思いが出来る、そんな事を考えながらそろそろ再就職もいいかなと思った。

 216分に定刻で列車は東舞鶴駅に到着した。ここからは徒歩で舞鶴港のフェリーターミナルに向かう。少し蒸し暑いが、半分ほど進むとバイクがどっと27号を走って来る。小樽からの便が到着したようだ。ライダーを見るとテンションが上る。

 駅から30分ほどでフェリーターミナルに到着し23時10分に乗船開始。


 一番リーズナブルなツーリストAを予約しており部屋に入る。いわゆる二段ベットタイプでカーテンのみの仕切りだが、耳栓を持っているのでイビキや歯ぎしりは気にならない。

 予約時にベットも指定出来る。一番海側の二段では無いところが空いていたのでそこにしたら、専用の窓も付いていたのだ。うれしい。立って着替えが出来るし、一ランク上の寝床に匹敵する。


 風呂は家で入って来た。シーツをセットし、缶ビールをあおる。静かにフェリーは出港し、程なくして眠りについた。

            つづく

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