大野クローバー幼稚園日記

インプット

学校の「当たり前」をやめた。・・・「学校」を「園」に読み替えて読んでいると、耳に痛い箇所がいくつもあります。

<iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&t=onoclover-22&m=amazon&o=9&p=8&l=as1&IS1=1&detail=1&asins=4788715945&linkId=d37a77cbd363a0532ea522483e6f861b&bc1=ffffff&lt1=_top&fc1=333333&lc1=0066c0&bg1=ffffff&f=ifr">
</iframe>

学校の「当たり前」をやめた。(工藤勇一/千代田区立麹町中学校長)

『「民間人校長ですか」と言われるたびに、思うことがあります。
100年も時計を戻す必要はありませんが、かつての学校は、時代の最先端にあり、教員もまた、社会の変化に最も敏感な人たちであったと思うのです。
中には、教員から民間に移って活躍する人もいたでしょうし、逆に民間から教員になる人もたくさんいたはずです。また、教員の多くは教えるプロとして人材育成に長けて、子どもたちと共に、「組織」について考え、人を動かすことの難しさもよく知っている存在であったと思います。』(本書p12から引用)(工藤先生は大学を卒業後、公立学校の教員をずっと勤められてきました。一般企業に勤めた経験もありません。ですので、いわゆる「民間人校長」ではありません)

「民間人」かどうかを問う「先生」が少なからずいる。そう尋ねたい気持ちも分からないでもないが、見方を少し変えれば、教員免許を持ち教員の経験があろうがなかろうが「民間人」だとも言える。
そこを区別して見ようとする「先生」という人たちに「変わりたくない」「今のままでいい」「あちら側とこちら側は違う」という抵抗を感じるし、それをぼく自身に対する戒めにもしたいと思う。

『ご存知のように、学校では教員同士でも「○○先生」と呼び合うのが通例ですが、本校では「校長」と「副校長」を除き、「○○さん」と呼ぶことをルール化しています。これはかなりのカルチャーショックだったようで、当初は多くの教員が困惑していました。
「先生」というのは本来、子どもの立場から見た敬称です。それなのに、子どもがいない職員室でも「先生」と呼び合うことに、私は長く違和感を覚えていました。人権感覚でもあると思います。この違和感を学校ではなかなか理解してもらえませんが、一般の方々には共感してくれる人も多いと思います。』(p165~166)

ぼくも、以前、「お互いに先生と呼び合うのはやめて、いっそニックネームでもいいんじゃない?」と提案したことがあるが、「は?」という反応(あるいは、スルー・無反応)だった。
半分本気で「学校(園)は、強力な前例踏襲マシーンである」とひそかにぼくは命名している。そんな風土のなかでは、時々は、半ば強制的にカルチャーショックを起こしていかないと、と思っている。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事