ふるさとへの道=2

記念詩・鎮魂歌・バイリンガル詩集・
    追憶詩・(想い~日記詩)

     

オンニョさんの詩(66)=鎮魂歌(31)

2011年03月31日 | 日記



    十五年の時が流れて
              
               許 玉 汝

    31.最終章


南中本公園に着いた
本部委員長はじめ 多くの人が
葬儀場の入り口付近で 迎えてくれた

クノモニ(大叔母)が
ブルーのパジチョゴリ(朝鮮の服)を
準備してくれていた

入退院の繰り返しで 1才の誕生日に
着せてやることが出来なかった パジチョゴリ
こんな日に 初めて着るなんて

お腹がすかない様にと 米粒を口に含ませた
寂しがらないようにと 朝鮮人形を抱かせた

一晩中誰かが 代わる代わる一緒にいてくれた
葬儀の日には 500人を超える弔問客が
チャン君のために 泣いてくれた

みんなが口々に 慰めの言葉を下さるのに
どうしたことだろう 耳が聞こえない
飛行機の中にいるように詰まってしまった

アボジの言葉だけが頭の中をぐるぐる回った

「昨日 チャン君の 夢を見たよ。
 走ってきて お金下さいと いった。
 何するねと聞いたら 旅費にするゆうてた。
 チャン君はきっと いいとこ行ったから
 もう泣かんとき 大丈夫やで…」

責められても返す言葉も無かったのに
こんなにも優しい言葉を掛けられた
目に入れても痛くないと チャン君を愛し
大事に大事に面倒を見てくださったアボジ

出棺のとき 無意識に 私は
口にしてはいけない事を 叫んでしまった
「チャン君をかえしてぇー」

誰も恨んではいけない 誰も恨んではいない
親が傍に付いてても迷子になった事さえある
危ないからと 鍵を掛け閉じ込めていたなら
チャン君の人生は どんなに虚しかったろう

勿論楽しい事ばかりではなかった
シャツもパンツも剥ぎ取られ
コートだけを引っ掛けて帰ってきた日もあった
頭からジュースをかけられて戻った日もあった

だけど私は 後悔しては いない
とじ込める権利は 親にも無いから
チャン君は 自由に羽ばたきたかったから
チャン君にも 楽しむ権利があるから

焼肉が大好きだった チャン君
わかめのスープが 鳥のから揚げが
コーヒーが 大好きだった チャン君

「アルプスの少女ハイジ」の ビデオが
テープを聞きながら 一緒に歌うのが
ゲームしに行くのが 大好きだった チャン君

あれほど可愛がってくれた アボジも
同じ年の6月 追うように旅立たれた
脳梗塞で入院中だった オモニも
同じ年の10月に 旅立たれた

みんなが云った
チャン君が淋しくないように
ハルベ、ハンメが付いててくれてるんだと

チャン君は私に 優しさを教えてくれた
チャン君は私に 思いやりの心を教えてくれた
チャン君は私に 一日の大切さを教えてくれた
チャン君は私に 諦めないこころを教えてくれた

今も目をつぶれば はっきりと浮かぶ
生れて初めて家族みんなであやめ池に行った日
ブルーの繫ぎ着 ベージュの帽子をかぶった
可愛い可愛い みんなのチャン君が!

天の橋立の海で 初めて立った日が
一歩二歩 初めて歩いた 感激の日の事が
ドライブ楽しみながらコーヒーを飲んでいた姿が
遠足で いくつもいくつもお握り食べていた姿が

運動会、学芸会で友達に引っ張ってもらってた姿が
廃品回収に出かけ リヤカーを引っ張ってた姿が
「牛乳ちょうだい」と差し出してた 両手が
みんなみんな 浮かぶ 

短かった人生だったけれど チャン君は
おもいっきり楽しんでくれたと信じたい
親に 兄弟に 友達に みんなに 可愛がられた
チャン君は 今も 心の中に 生きている  (3月31日) 

*許玉汝さんの回想詩(1~31)
   福寿草の丘 http://blog.goo.ne.jp/kaisou-hakase

オンニョさんの詩(65)=鎮魂歌(30)

2011年03月30日 | 日記


    十五年の時が流れて
            

            許 玉 汝


    30.10年間通った学校の前で


丸三日間 全力で捜索は続けられた
ヘリコブター、宣伝カーまで動員して
テレビ、新聞、ラジオ、数百人が動員された

警察官、消防隊員、ボランティア協会の人々
朝鮮の団体からも大勢の方々が来て下さった
文学部の仲間、親友達、同僚の先生方…

一日中宣伝カーに乗って声を出し続けた
「チャンくーん。どこですかぁー、
オンマやでぇ 返事してー」

31日の昼 警察から通達があった
これだけ捜しても見つからなかったので
捜索打ち切り 後は池の水を抜く方法だけだと

その時だった
「見つかったぞぉー」
山のほうから大きな声が響き渡った

「おかあさん。安らかな表情でした。」
通報してくださった方がわざわざ来て下さった

体育館にチャン君は連れてこられた
裸のまま 毛布に包まれていた
泥だらけの体をきれいに拭き服を着せた

冷たくなった体を抱き 頬に頬をくっつけると
私の体温で 頬がピンク色になってきた
「チャン君助かるのと違う?」
狂った様に何回も頬をくっつけ体をさすり続けた

死後三日という 寒い山の中で倒れていた
一日でも薬を飲み忘れれば発作が起こるのに
三日間も飲まず食わずで倒れていた
誰を恨めば良いのか 誰を恨めとゆうのか

黒い車に乗せられ 大阪に帰ることになった
何時間乗ったろう 長吉出口が見えたとき
運転手さんに頼んだ 学校の前に行ってくれと

10年間通った学校 思い出がいっぱいだ
運動会、学芸会、クリスマス会、お餅つき
毎朝の体操、朝礼、歌の時間、お当番…

「チャン君、良くみてね。
チャン君の好きだった学校やで。」

運転手さんが学校の周りをゆっくりゆっくり
一周してくださった ありがとうございます

オンニョさんの詩(64)=鎮魂歌(29)

2011年03月30日 | 日記


     十五年の時が流れて
           
             許 玉 汝

     29.電話が鳴った


夕食の片付けも終り ほっと一息ついた時
けたたましい 電話のベルが鳴った
こんな時間に誰だろう

「もしもし… えぇ?!…」
学童の指導員からの電話だった
チャン君がお昼過ぎからいないという

何で今頃電話するのかと ただしたら
いつものように帰って来ると思ったそうだ
今日は遅いから朝一番に来てくれという

どうして朝まで待つことが出来ようか
夫と一緒にすぐ車で伊賀上野に向かった
真っ暗な道をひたすら走り続けた

真夜中の伊賀上野はお化け屋敷のよう
所々ちいさな電球は見えるものの
山道はとてもこわかった

野外センターに着くと
人 人 人で ごった返していた
指導員達は顔面蒼白だ

「いつもの様にふらりと帰って来ると思って
夕食のカレーを 子供達と作っていたんです
すみません。こんな事になるなんて」

警察、村の人々、消防隊、ボランティアと
大勢の人が山の中から続々と帰ってきた
その時新しい情報の電話が入る

服装は違うがチャン君らしき青年が
隣の村をうろうろしていたという
もしやと思いきや すぐ又 訂正の電話

深刻なのは服を着ていないという事だ
勝手に服をぬいで1人で湯船に入った後
裸のまま山の中にはいってしまったのだ

春といえど山の中は寒い
おまけに雨まで降ってきた
神様 チャン君を助けてください
知らぬ間に夜が明けていた

オンニョさんの詩(63)=鎮魂歌(28)

2011年03月30日 | 日記


      十五年の時が流れて
              
                許 玉 汝

      28.伊賀上野に出発の朝

朝 JR桃谷駅に集合だ
伊賀上野青少年キャンプ場は
小学校1年生から 毎年行っている

1年の間で 子供と離れて暮らすのは
三日間だけだ ボランティアさん達がいっぱい
パーマあてようかな?それともショッピング?

同じような子供を抱えたお母さん方は
貴重な三日間をどう過ごそうかと
楽しい思案で弾けている 私も同じ

さぁ 出発の時間だ

「いってらっしゃい!」
「ずーっと 行っててもええよー」
みんな勝手なこと言って楽しんでる

大きなリュックをしょったチャン君も
「バイバイ」して 元気に出かけた
改札口の中から もう一度 手を振った
それが 最後の別れになるなんて…

オンニョさんの詩(62)=鎮魂歌(27)

2011年03月30日 | 日記



      十五年の時が流れて 
              

                許 玉 汝

   27.嵐山 渡月橋にて

1996年3月 最後の日曜日
嵐山の渡月橋は 何回目だろう
今日も人 人 人の波だ

今思えば 
3人での最後のハイキングだった

アッパとオンマとチャン君で
あちこち 良く出かけたね

信州、南アルプス、白樺湖、駒ヶ根高原
蒜山高原、青山高原、東条湖,くろんど池…

東西南北 どこへでも出かけて 
思いっきり 走り回ったね

明日から 学童恒例の春のキャンプ
伊賀上野青少年野外センターに出かける
そこはもう 10回目だ

雨上がりのせいか 川の流れが速い
さわやかな春風が そよそよ吹いている
桜の木に蕾がいっぱい 花開く春が近い

高校生になり 背丈がぐーんと伸びた
オンマをとっくに追い越して
もう少しで アッパにも追いつきそうだ

春休みが終われば 高校2年生
進路を決めなければならない
作業所探しが もうすでに始まっていた