十五年の時が流れて
許 玉 汝
31.最終章
南中本公園に着いた
本部委員長はじめ 多くの人が
葬儀場の入り口付近で 迎えてくれた
クノモニ(大叔母)が
ブルーのパジチョゴリ(朝鮮の服)を
準備してくれていた
入退院の繰り返しで 1才の誕生日に
着せてやることが出来なかった パジチョゴリ
こんな日に 初めて着るなんて
お腹がすかない様にと 米粒を口に含ませた
寂しがらないようにと 朝鮮人形を抱かせた
一晩中誰かが 代わる代わる一緒にいてくれた
葬儀の日には 500人を超える弔問客が
チャン君のために 泣いてくれた
みんなが口々に 慰めの言葉を下さるのに
どうしたことだろう 耳が聞こえない
飛行機の中にいるように詰まってしまった
アボジの言葉だけが頭の中をぐるぐる回った
「昨日 チャン君の 夢を見たよ。
走ってきて お金下さいと いった。
何するねと聞いたら 旅費にするゆうてた。
チャン君はきっと いいとこ行ったから
もう泣かんとき 大丈夫やで…」
責められても返す言葉も無かったのに
こんなにも優しい言葉を掛けられた
目に入れても痛くないと チャン君を愛し
大事に大事に面倒を見てくださったアボジ
出棺のとき 無意識に 私は
口にしてはいけない事を 叫んでしまった
「チャン君をかえしてぇー」
誰も恨んではいけない 誰も恨んではいない
親が傍に付いてても迷子になった事さえある
危ないからと 鍵を掛け閉じ込めていたなら
チャン君の人生は どんなに虚しかったろう
勿論楽しい事ばかりではなかった
シャツもパンツも剥ぎ取られ
コートだけを引っ掛けて帰ってきた日もあった
頭からジュースをかけられて戻った日もあった
だけど私は 後悔しては いない
とじ込める権利は 親にも無いから
チャン君は 自由に羽ばたきたかったから
チャン君にも 楽しむ権利があるから
焼肉が大好きだった チャン君
わかめのスープが 鳥のから揚げが
コーヒーが 大好きだった チャン君
「アルプスの少女ハイジ」の ビデオが
テープを聞きながら 一緒に歌うのが
ゲームしに行くのが 大好きだった チャン君
あれほど可愛がってくれた アボジも
同じ年の6月 追うように旅立たれた
脳梗塞で入院中だった オモニも
同じ年の10月に 旅立たれた
みんなが云った
チャン君が淋しくないように
ハルベ、ハンメが付いててくれてるんだと
チャン君は私に 優しさを教えてくれた
チャン君は私に 思いやりの心を教えてくれた
チャン君は私に 一日の大切さを教えてくれた
チャン君は私に 諦めないこころを教えてくれた
今も目をつぶれば はっきりと浮かぶ
生れて初めて家族みんなであやめ池に行った日
ブルーの繫ぎ着 ベージュの帽子をかぶった
可愛い可愛い みんなのチャン君が!
天の橋立の海で 初めて立った日が
一歩二歩 初めて歩いた 感激の日の事が
ドライブ楽しみながらコーヒーを飲んでいた姿が
遠足で いくつもいくつもお握り食べていた姿が
運動会、学芸会で友達に引っ張ってもらってた姿が
廃品回収に出かけ リヤカーを引っ張ってた姿が
「牛乳ちょうだい」と差し出してた 両手が
みんなみんな 浮かぶ
短かった人生だったけれど チャン君は
おもいっきり楽しんでくれたと信じたい
親に 兄弟に 友達に みんなに 可愛がられた
チャン君は 今も 心の中に 生きている (3月31日)
*許玉汝さんの回想詩(1~31)
福寿草の丘 http://blog.goo.ne.jp/kaisou-hakase