十五年の時が流れ
許 玉 汝
7.関西医科大付属病院へ
27日 熱があがったり さがったり
呼吸が止まらないように
吸引を続ける先生方 何回目だろう
もう数を数える 気力も無い
《関西医科大付属病院に移動します
あそこなら設備が整っているので
助かるかも知れません》
藁をもつかむ気持ちで救急車に乗る
6階605号室 面会謝絶の札
《お母さん お乳を搾ってください。
今日から母乳をチューブから入れます。》
《はい!》
祈ることしか すべが無かった私に
やっと 与えられた任務
又 おっぱいを飲ませることが出来る
パンパンに張ったおっぱいを絞る
搾乳機で 何回も 何回も
絞りすぎて あちこちに かすり傷が
でも構わない これが命の素になるのなら
こんな痛みなんて 何でもない
8.明け方 2時10分 祈り
私の命 チャンフニ
おまえなくして どう生きればよいのか
オンマを置いて どこに行くというのか
おまえが生まれた日
あまりにもの嬉しさに
陣痛の痛みも忘れ
《男の子です》の一言に
全身の力がすうっと抜けていくのを感じた
生まれて初めて おまえがおっぱいを吸った日
《2グラム飲みましたよ》の言葉に苦笑いし
どうしたら おっぱいがもっと出るだろうかと
マッサージに励んだ日々が 昨日のよう
おまえを胸に抱いて 家に帰った日
ハラボジ、ハルモニ、クノモニ、クナボジ
アッパ、ヌナ 二人に、ヒョンニム
家族にも 友にも 祝福され
オンマは空にも上りたい気持ちだったよ
我が家の不幸な過去を きれいに流し
喜びだけを運んでくれようと
おまえはこの世に生まれてきたんだね
この瞬間
泣いては負けだと分かっていても
泣いてしまった私を許しておくれ
何故一度も パジチョゴリを
着せてあげられなかったんだろう
何故おまえの好きだったオモチャを
持って来てあげられなかったんだろう
フニよ いかないで
オンマがついている
アッパがついている
みんながついている
*1980年6月27日 日記より
ハラボジ(祖父)ハルモニ(祖母)
クノモニ(大叔母)クナボジ(大叔父)
ヌナ(男子から見た姉)ヒョンニム(男子から見た兄)