本日は幕末を恐怖で震え上がらせた人。
幕末四大人斬りの一人。
河上彦斎。
そんなわけで、勝手に明治維新。
名前
河上彦斎(かわかみ げんさい)
別名
小森彦次郎
生誕
1834年12月25日
死没
1872年1月5日
出身
熊本藩
流派
不知火流(彦斎流)
性格
頑固な人、肥後もっこす的な人だったらしい。
ニックネーム
これが彦斎だ。

『イカ大王様』に決定。
逸話
この人は、身長は150センチほどの色白で女の子と間違われるような人だったらしい。
そんな人が人斬りとは、人間見た目で判断しては行けないもんだ。
るろうに剣心の主人公、緋村剣心のモデルにもなったことがあるようだ。
幕末四大人斬りの異名も持つ。
同じ、幕末四大人斬りの岡田以蔵は、知識が全くと言っていいほど無かったもんだから、自分の意思ではなく武市瑞山の意思で人斬りをしていたようだ。
そんな岡田以蔵とは違い、彦斎は尊王攘夷派の宮部鼎蔵から兵学をお勉強したり、轟武兵衛からは文学をお勉強したようである。
そうゆうわけで彦斎は、なかなか教養があり、バリバリの尊王攘夷思想の持ち主だったワケである。
そんなわけで、自分の意思で人を斬っていたと思われる。
恐ろしいヤツだ。
そうゆうわけで、八月十八日の政変後は長州に移り、朝廷を追われた三条実美の警護をしたりして、長州の尊王攘夷派と仲良くなって、攘夷思想を深めたようだ。
そんな彦斎はたくさん人を斬ってきたといわれているが、未だにハッキリしている人はいないようだ。
そんな中、はっきり斬ったとわかっている人がいる。
佐久間象山だ。
池田屋事件で、彦斎の仲良し宮部鼎蔵が新選組に殺されてしまったわけである。
この池田屋の黒幕が、どこでどうなったのかは全くわからないが佐久間象山だと彦斎に伝わったようだ。
彦斎は、仲良し宮部鼎蔵の仇を取るために、佐久間象山を暗殺。
彦斎はこの時のことを「いままでたくさん人を斬ってきたが、佐久間象山を斬ったとき、初めて体中の毛が逆立って人を斬った実感があった。それで人を斬るのをやめた」みたいなことを言っている。
いやいや、それまで人を斬った実感が無く、人を斬ってたのかい!
そうゆうわけで、それ以来、彦斎は人斬りをやめたようだ。
そんなこんなで、熊本藩は佐幕派だったために投獄されたりしたようだ。
気がつけば、時代は明治。
いままで、「尊王攘夷!」とか言って、戦っていた人たちが気がつけば外国に頼って「散切り頭を叩けば文明開化の音がする」なんて浮かれて、外国を普通に受け入れちゃっているわけである。
肥後もっこすな、彦斎は「攘夷はどうした!俺たちは攘夷のために戦ってたんだろ!?何のために俺たちは戦ってんだよ!」と激怒。
新政府の痛いところを突いてしまった彦斎は、新政府にとって目の上のタンコブ。
「あいつ、うざいな」となるわけである。
そうゆうことで、新政府は彦斎は政府転覆を計画している反逆者として、斬首されてしまったのである。
そんな彦斎の人斬りエピソード。
みんなでお酒でも飲みながら議論をしたりしているときのことである。
最近「○○藩の○○が開国に賛成してるみたいだよー」という話になるわけである。
当然攘夷派の人たちだから「全くなに考えてんだ!叩ききってしまえ!」とか熱くなるわけだ。
とは言え、酒の席でのことだ。
誰も本気で斬ろうなんて思っていない。
そんな中、気がつけば彦斎の姿が無いわけである。
みんな「厠でも行ってるんじゃない?」とか、思って数分したら・・・
○○藩の○○さんの生首を持って「どう?みんなこれで満足?」なんて言っていたそうだ。
恐ろしいヤツだ。
勝海舟も「あいつは怖いよ」と怯えていたそうだ。
そんな恐ろしいヤツの姿がこれだ・・・。

イカ頭巾がかわいいヤツだ。
きれいなバラにはとげがあるとはこのことだろうか?
ただ、とげがデカすぎだと、勝手に思うのである。
幕末四大人斬りの一人。
河上彦斎。
そんなわけで、勝手に明治維新。
名前
河上彦斎(かわかみ げんさい)
別名
小森彦次郎
生誕
1834年12月25日
死没
1872年1月5日
出身
熊本藩
流派
不知火流(彦斎流)
性格
頑固な人、肥後もっこす的な人だったらしい。
ニックネーム
これが彦斎だ。

『イカ大王様』に決定。
逸話
この人は、身長は150センチほどの色白で女の子と間違われるような人だったらしい。
そんな人が人斬りとは、人間見た目で判断しては行けないもんだ。
るろうに剣心の主人公、緋村剣心のモデルにもなったことがあるようだ。
幕末四大人斬りの異名も持つ。
同じ、幕末四大人斬りの岡田以蔵は、知識が全くと言っていいほど無かったもんだから、自分の意思ではなく武市瑞山の意思で人斬りをしていたようだ。
そんな岡田以蔵とは違い、彦斎は尊王攘夷派の宮部鼎蔵から兵学をお勉強したり、轟武兵衛からは文学をお勉強したようである。
そうゆうわけで彦斎は、なかなか教養があり、バリバリの尊王攘夷思想の持ち主だったワケである。
そんなわけで、自分の意思で人を斬っていたと思われる。
恐ろしいヤツだ。
そうゆうわけで、八月十八日の政変後は長州に移り、朝廷を追われた三条実美の警護をしたりして、長州の尊王攘夷派と仲良くなって、攘夷思想を深めたようだ。
そんな彦斎はたくさん人を斬ってきたといわれているが、未だにハッキリしている人はいないようだ。
そんな中、はっきり斬ったとわかっている人がいる。
佐久間象山だ。
池田屋事件で、彦斎の仲良し宮部鼎蔵が新選組に殺されてしまったわけである。
この池田屋の黒幕が、どこでどうなったのかは全くわからないが佐久間象山だと彦斎に伝わったようだ。
彦斎は、仲良し宮部鼎蔵の仇を取るために、佐久間象山を暗殺。
彦斎はこの時のことを「いままでたくさん人を斬ってきたが、佐久間象山を斬ったとき、初めて体中の毛が逆立って人を斬った実感があった。それで人を斬るのをやめた」みたいなことを言っている。
いやいや、それまで人を斬った実感が無く、人を斬ってたのかい!
そうゆうわけで、それ以来、彦斎は人斬りをやめたようだ。
そんなこんなで、熊本藩は佐幕派だったために投獄されたりしたようだ。
気がつけば、時代は明治。
いままで、「尊王攘夷!」とか言って、戦っていた人たちが気がつけば外国に頼って「散切り頭を叩けば文明開化の音がする」なんて浮かれて、外国を普通に受け入れちゃっているわけである。
肥後もっこすな、彦斎は「攘夷はどうした!俺たちは攘夷のために戦ってたんだろ!?何のために俺たちは戦ってんだよ!」と激怒。
新政府の痛いところを突いてしまった彦斎は、新政府にとって目の上のタンコブ。
「あいつ、うざいな」となるわけである。
そうゆうことで、新政府は彦斎は政府転覆を計画している反逆者として、斬首されてしまったのである。
そんな彦斎の人斬りエピソード。
みんなでお酒でも飲みながら議論をしたりしているときのことである。
最近「○○藩の○○が開国に賛成してるみたいだよー」という話になるわけである。
当然攘夷派の人たちだから「全くなに考えてんだ!叩ききってしまえ!」とか熱くなるわけだ。
とは言え、酒の席でのことだ。
誰も本気で斬ろうなんて思っていない。
そんな中、気がつけば彦斎の姿が無いわけである。
みんな「厠でも行ってるんじゃない?」とか、思って数分したら・・・
○○藩の○○さんの生首を持って「どう?みんなこれで満足?」なんて言っていたそうだ。
恐ろしいヤツだ。
勝海舟も「あいつは怖いよ」と怯えていたそうだ。
そんな恐ろしいヤツの姿がこれだ・・・。

イカ頭巾がかわいいヤツだ。
きれいなバラにはとげがあるとはこのことだろうか?
ただ、とげがデカすぎだと、勝手に思うのである。
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