群馬県沼田市利根町日陰南郷の曲り家
長方形や正方形の単純な形の家が耐震性が高く、L字型はあまりお奨めではないそうだ。
現に、こういう古民家が残っているところを見ると
形ではなく、材料量と建て方なんだろうな。
今時、茅葺き屋根なんて、個人で維持していくことは困難
屋根の葺き替えは、職人仕事と言うよりも、地域社会の共同作業であったはずだ。
地域には「茅場・萱場」と呼ばれる入会地があって
そこで屋根材の「茅」を村総出で確保して、一軒の家の屋根を葺き替えるわけだ。
そんなススキの原なんて、工業団地や住宅地になってしまったし
あったとしても、手入れもされず、雑草・低木の生い茂る地名ばかりの茅場になってしまった。
純粋な農家は減り、会社勤めの兼業農家。人は減り、若い人も減り
共同意識も紙っぺら程度では、屋根葺きなんてとても無理。
30年くらい前から、農家はどんどん瓦屋根に変わっていったのも
そんな事情。決して銭金だけの問題じゃなかったわけだ。
この曲り家も、住民のボランティアで、修復・再生されたものという。
まだ、共同意識の強い地域なんだね。
ここには「足湯」があって、運転疲れを癒すには最高。
日光方面から、沼田に向かう途中
赤城山の東側を回って、桐生に出るショートカットコース
峠を幾つも越え、谷を渡る「悪路」の部類、
途中、民家は全く消えて深い谷の無人地帯。道沿いに電信柱もなかった
近年、トンネルや橋がかかり、道幅も広がり、快適なドライブコースですので、ご安心を
交差点がない、信号もない。標識は動物の飛び出し注意のタヌキの標識だけ
歩行者が時々いるけど、渓流釣りの釣り人が別の沢に移る時出てくるんだね。
ある意味で、安全な道でもあるわけですぞ。
日光方面から帰って来るとき、利用してみたらいかが?
「拙者、この味好きだよ。」
世に「創作ラーメン」というジャンルがあるという。
どちらかと言うと、ちょっと「下手」風に評価されるようだが
すべての人為の事象すべからく、一番、最初は「創作」「創出」なのだよ。
それを万人が認めるか、認めないか、だろ?
よく聞くな。
「何だっていいだろ!俺が好きでやっていることなんだから、とやかく言うなよ!」
そうだ、その意気、その心がけ、その行動。
そこにオリジナリティが発生というか、湧くというか、
時に異端であり、時に偏屈であり、常識界からは排除される運命を担う
それでも続ける頑迷さが、いつしか花咲くこともある。花咲く、ことも、ね。ここ、重要。
世に常識とか定番とか、言われるものの影に
幾多の先人の屍が累々と積み重なっているか・・・
その先人の屍を乗り越えて、更に新しき光を求めて、無謀なる突撃を繰り返す、
嗚呼、うちてしやまむ。
その勇気・胆力において敬服するのみ。
と言うところでだ
昔、かしまし、今、さんちゅう の「森三中」 ブーたん三人組。
黒澤の実家「まわたり食堂」
拙者も、これが寿司屋だったら行かないよ。
昔、昔。有名フォーク歌手の実家の寿司屋で、苦い、苦い思い出があるからね。
そういう所には近づかないことにしているのだが
庶民的なところで、食堂だもんね。入ってみたさ。
事前に仕入れた情報では「ポタージュラーメン」が売りらしい
ポタージュ?・・・ラーメン?ハラホロヒレハレ~、なんでそーなるの・・・
メニューも見ずに「ポタージュラーメン!」と注文
黒澤のかーちゃん。浪花節語りのようなサビた声で
「ポタージュラーメンね。お客さん、ここ知ってて来た?」
「はぁ、森三中の黒沢さんの家でしょ」
「ああ、知っているのね」
「ポタージュラーメンも、これが旨いって言うんで」
「テレビでやったからね。はい、ポタージュ一丁」
拙者は旨いと思う。また食べても良いと思う。
細麺で、バターの風味が効いていて、旨かったなぁ。
どういうわけか、豆腐が付いてきて、不思議だったけど
ラーメンの後のやっこ、これが口中清涼として、良いものだったね。
どちらかというと、フランスパンの二切れも付いてくると最高。
当然、スープに付けて食べたいと思う。
「我、来たり、我、見たり、我、食えり」
諸君、行って食うべし。旨さは食した人とのみ共有すべきものだな。
帰りがけ、お金を払うとき
「もし、良かったら」と差し出されたものは
なんと、森三中の色紙のコピー、うっすらと2008年の日付まで
「・・・ありがとうございます。いただきます」
「これからもよろしくね」
親の愛は、山よりも高く、海よりも深い。