北霞漁協 (たなご部会)

事務局からの依頼で、北浦と霞ヶ浦を預かっております。北霞漁協は実在の漁協ではありません。悪しからず。

曲り家

2011年07月27日 | 茨城県

群馬県沼田市利根町日陰南郷の曲り家
長方形や正方形の単純な形の家が耐震性が高く、L字型はあまりお奨めではないそうだ。
現に、こういう古民家が残っているところを見ると
形ではなく、材料量と建て方なんだろうな。

今時、茅葺き屋根なんて、個人で維持していくことは困難
屋根の葺き替えは、職人仕事と言うよりも、地域社会の共同作業であったはずだ。
地域には「茅場・萱場」と呼ばれる入会地があって
そこで屋根材の「茅」を村総出で確保して、一軒の家の屋根を葺き替えるわけだ。
そんなススキの原なんて、工業団地や住宅地になってしまったし
あったとしても、手入れもされず、雑草・低木の生い茂る地名ばかりの茅場になってしまった。
純粋な農家は減り、会社勤めの兼業農家。人は減り、若い人も減り
共同意識も紙っぺら程度では、屋根葺きなんてとても無理。
30年くらい前から、農家はどんどん瓦屋根に変わっていったのも
そんな事情。決して銭金だけの問題じゃなかったわけだ。

この曲り家も、住民のボランティアで、修復・再生されたものという。
まだ、共同意識の強い地域なんだね。

ここには「足湯」があって、運転疲れを癒すには最高。
日光方面から、沼田に向かう途中
赤城山の東側を回って、桐生に出るショートカットコース
峠を幾つも越え、谷を渡る「悪路」の部類、
途中、民家は全く消えて深い谷の無人地帯。道沿いに電信柱もなかった

近年、トンネルや橋がかかり、道幅も広がり、快適なドライブコースですので、ご安心を
交差点がない、信号もない。標識は動物の飛び出し注意のタヌキの標識だけ
歩行者が時々いるけど、渓流釣りの釣り人が別の沢に移る時出てくるんだね。
ある意味で、安全な道でもあるわけですぞ。
日光方面から帰って来るとき、利用してみたらいかが?


ポタージュラーメン!

2011年07月27日 | 茨城県

「拙者、この味好きだよ。」

世に「創作ラーメン」というジャンルがあるという。
どちらかと言うと、ちょっと「下手」風に評価されるようだが
すべての人為の事象すべからく、一番、最初は「創作」「創出」なのだよ。
それを万人が認めるか、認めないか、だろ?
よく聞くな。
「何だっていいだろ!俺が好きでやっていることなんだから、とやかく言うなよ!」

そうだ、その意気、その心がけ、その行動。
そこにオリジナリティが発生というか、湧くというか、
時に異端であり、時に偏屈であり、常識界からは排除される運命を担う
それでも続ける頑迷さが、いつしか花咲くこともある。花咲く、ことも、ね。ここ、重要。
世に常識とか定番とか、言われるものの影に
幾多の先人の屍が累々と積み重なっているか・・・
その先人の屍を乗り越えて、更に新しき光を求めて、無謀なる突撃を繰り返す、
嗚呼、うちてしやまむ。
その勇気・胆力において敬服するのみ。

と言うところでだ
昔、かしまし、今、さんちゅう の「森三中」 ブーたん三人組。
黒澤の実家「まわたり食堂」
拙者も、これが寿司屋だったら行かないよ。
昔、昔。有名フォーク歌手の実家の寿司屋で、苦い、苦い思い出があるからね。
そういう所には近づかないことにしているのだが
庶民的なところで、食堂だもんね。入ってみたさ。
事前に仕入れた情報では「ポタージュラーメン」が売りらしい
ポタージュ?・・・ラーメン?ハラホロヒレハレ~、なんでそーなるの・・・
メニューも見ずに「ポタージュラーメン!」と注文
黒澤のかーちゃん。浪花節語りのようなサビた声で
「ポタージュラーメンね。お客さん、ここ知ってて来た?」
「はぁ、森三中の黒沢さんの家でしょ」
「ああ、知っているのね」
「ポタージュラーメンも、これが旨いって言うんで」
「テレビでやったからね。はい、ポタージュ一丁」

拙者は旨いと思う。また食べても良いと思う。
細麺で、バターの風味が効いていて、旨かったなぁ。
どういうわけか、豆腐が付いてきて、不思議だったけど
ラーメンの後のやっこ、これが口中清涼として、良いものだったね。
どちらかというと、フランスパンの二切れも付いてくると最高。
当然、スープに付けて食べたいと思う。
「我、来たり、我、見たり、我、食えり」
諸君、行って食うべし。旨さは食した人とのみ共有すべきものだな。

帰りがけ、お金を払うとき
「もし、良かったら」と差し出されたものは
なんと、森三中の色紙のコピー、うっすらと2008年の日付まで
「・・・ありがとうございます。いただきます」
「これからもよろしくね」

親の愛は、山よりも高く、海よりも深い。