ONCC 8期 敗者から見た古代史

~古代史の通説を敗者の立場から読み解く~

蘇我蝦夷と入鹿

2020年11月03日 | 日記

講義テーマ:蘇我蝦夷と入鹿

講師:若井 敏明先生

11月2日(月)10時~12時

 

①蘇我馬子の死

 「日本書紀」 推古34年(626年)

 推古天皇の崩御 「日本書紀」 推古36年(628年)

②推古天皇の後継者問題と蘇我蝦夷

 推古天皇の遺言

 蘇我蝦夷と群臣会議

③欽明朝の蝦夷

④皇極天皇の即位と入鹿

 欽明天皇の崩御

 皇位継承候補者

  山背大兄王 :聖徳太子の子

  古人大兄皇子:舒明天皇の子、母は蘇我馬子の娘

  葛城皇子(中大兄皇子):舒明天皇の子 ただし16歳

⑤皇極朝の蘇我氏(蘇我蝦夷)の専横

 「日本書紀」皇極2年(643年)蝦夷が入鹿に紫冠を入鹿に授ける

  蘇我入鹿、独り謀り上宮の王等を廃して、古人大兄を立てて天皇にせんとす。

⑥山背大兄王襲撃事件

 「日本書紀」/「上宮聖徳太子伝補闕記」

⑦蘇我入鹿と中臣鎌足

 「藤氏家伝」鎌足伝

⑧乙巳の変

 蘇我本宗家の滅亡

 「日本書紀」皇極4年(645年)

 

 

 

 

 

 

 

 


班活動

2020年10月31日 | 日記

4班校外学習:茨木市の歴史を知り、神話の時代の神を祀る神社を訪ねる

10月26日(月)12:30~15:30

 

・茨木神社を参拝した後、阪急南茨木駅から文化財資料館、若園バラ園、佐和良義神社を訪れた。

 資料館では茨木には旧石器時代からの長い歴史があることを知ることができた。

・若園バラ園はきれいに手入れされており、180種のバラの花を満喫できた。すべてのバラが春と秋の2回咲くとのこと。

・茨木神社は807年建立の由緒ある神社。改装中で本殿は見られない。二年前、西国街道で神主さんに1回の講義として神社の歴史や茨木城他ゆかりの武将達の授業を受けたのが懐かしく思い出された。茨木教室と阪急茨木市駅の道沿いに有るので散策には最適。

・本殿左手前に神社施設として異様な建物?一面水色に塗られた壁上部には音符♬が・・・カラオケ教室?とのつぶやきが聞こえたがまさか。何でしょうか?

・茨木市立文化財資料館、集合写真8名参加、広報担当は撮影中 この辺りは掘れば遺跡続出状態だったとか。文化財資料館も遺跡跡に立つ。阪急南茨木駅から200m

館内展示物、東奈良遺跡で見つかった銅鐸鋳型。銅鐸は各地で見られるが、鋳型が出土したのは珍しく、当時の銅鐸の一大生産地でここから各地に運ばれた証か。

佐和良義神社(沢良宜、さわらぎ)、通称「大宮さん」茨木資料館の近くの神社。銅鐸を作っていた人達が信仰していた神社とか。資料館に銅鐸鋳型が展示されていたのも頷ける。

南茨木まで来たのでリフレッシュを兼ねて若園公園内のバラ園を訪問。生憎シーズンも終わりでバラ自体は少し寂しい感じだったが、ゆったりとした気分に浸れる。近隣各地の高齢者で作る「歩こう会」の聖地になっているとか。毎週火曜日が休園日。AM9:00~PM5:00(5~8月PM7:00)

                                                                                     記事:4班広報 m.k

 

 

 

 

 


班活動

2020年10月27日 | 日記

2班校外学習:怨霊になった人々を研究する

10月26日(月)13:00~15:00

 

2班の学習テーマに沿って、2班8名によりゆかりの地を訪問した。

まず、烏丸の京都の神田明神から、奇異に思われる京都の神田明神、平将門首が晒されたところという

地下鉄丸太町から、下御霊神社、怨霊をお祀りする神社、私たちもお参り。

祇園八坂神社 ご存じ京都の疫病、平安をお祈りする神社。

東大路から東山安井から少し下がって崇徳天皇御廟のひっそりとした、佇まいでした。

                                記事:2班 広報 a.u

 


聖徳太子と山背大兄王

2020年10月27日 | 日記

講義テーマ:聖徳太子と山背大兄王

講師:鈴木 明子先生

10月26日(月)10時~12時

 

聖徳太子

 「日本書紀」によれば、叔母である推古天皇の皇太子・摂政として、大臣蘇我馬子と協力して国政を担当する。

山背大兄王

 聖徳太子の子。推古天皇崩御の際、田村皇子(欽明天皇)と皇位を争って敗れた。その後、蘇我入鹿の襲撃を受け、

 斑鳩寺で一族とともに自害。

(1)聖徳太子研究の歴史

 ①江戸時代 ②幕末~明治初め ③明治22年(帝国憲法公布)④戦中 ⑤戦後 

 聖徳太子虚構説

 ⑥最近の研究傾向

  *斑鳩寺(法隆寺) *皇太子・摂政?  *「聖徳」という諡(おくりな)

(2)推古朝という時代(6世紀末~7世紀初頭)

 ①仏教が正式に伝えられた欽明朝(6世紀半ば)

②倭はなぜ朝鮮半島に進出したのか?

③朝鮮半島支配正当性

(3)世襲王権の成立(6~7世紀)

 ①近親婚と王家 ②日本における近親婚の導入

(4)聖徳太子の政治思想(十七条憲法)

 ①和して行われる話し合い(合議)の重要性 ②合議制を成立させ、合意を形成する条件

 ③合議制を支える仏教思想 ④篤く三宝(仏教)を敬え

(5)上宮王家と押坂王家

 ①上宮王家

  聖徳太子死後、長男山背大兄王が継承

 ②押坂王家

  非蘇我系王族 蘇我氏と血縁なし。

 ③第34代舒明天皇即位

  推古天皇死後、群臣による合議で決定

(6)上宮王家の滅亡

 ①「日本書紀」の記述 / ②「聖徳太子伝補闕記」(平安前期成立)の記述 の比較

 ③無抵抗の死

 

午後は班活動

  1班は代替えでフリー、3班は班ミーティング

 2班、4班は校外学習

 

 

 


班活動

2020年10月27日 | 日記

1班校外学習:大阪企業家ミュージアム見学

10月23日(月)10時~14時

 

堺筋本町より約5分。終了後、近くの毎度ドーム大阪内レストランで昼食懇親会を終え解散する。

ミュージアム会議室にて係員(ガイド)より館内説明を受ける

展示エリアへ。明治維新後、大阪の産業発展に尽くした企業家を3ブロックに分けて紹介。写真は五代友厚以下初期活躍者

写真右は、道修町の薬問屋の丁稚奉公からスタートしたサントリー創業者の鳥井信治郎。左は江崎グリコの江崎利一。

サントリー創設者の鳥井信治郎が作らせた当時、肩の一部を見せるだけでも大きな話題となった赤玉ポートワインのポスター。

朝ドラでも放送され再度話題に。

                                                               記事:1班広報 m.k