最近の映画の、というか、ドラマなどもそうなのだけれども、特に生身の人間が役柄を演じている務めている演劇・芝居をテレビで視聴していると、発狂して、此れをヌンチャクで真っ二つに破壊したくなる、というのは、猛烈に腹が立って仕舞うからである。
嘘も放便という言葉があり、是れは、人間、このような世知辛い世の中で生きて行く為には、嘘、これを付く事が必要不可欠であり、逆に言えばこれを付かなければ生きて行く事は出来ぬのだから、嘘は、便の様に自然に放っても仕様の無い事であり、同時に仕様が無いのであるのだから、嘘は、放った便の様に、水に流そうぜ、という意味であるが、しかし、嘘というのは隠し通してはじめて、その効力を発揮するのであって、見え透いた嘘というもの程見苦しく、不幸なものは無くその点を考慮すると、役者というのは自我を押し殺し自分の演じる役柄に徹する職業であって則ち嘘を演じる、という所に本分が在るのであるが、その嘘、が見え透いた役者の演技程人を不快にさせるものもあまり無い。
特に、現代の、と言うか、昔からなのかは知らんけど、俳優や女優というのが映画やドラマ以外の番組によう出没して「ゲラゲラゲラ、すぽぽぽぽぽ、しゅるるる、ゲラ」とか仰って、そう云うのは、注目の人気俳優・若手女優、とか言っておきながら、ラーメンを食したりクイズに正解したりとかいう、全くもって俳優・女優業に関係の無い仕事をしてはるのであって、「こりゃおかすくね」と愚生は思うのである。
役者というのは本来、本当の自分すなわちプライベートな所を、表立って見せない方がいいんじゃねえのってのは、たとえば、ある番組で女優が自分は一切恋愛などしたことが無え、という様な事を公表した場合、其奴が恋愛ドラマの恋する乙女を演じようものなら、劇中、本来は恋愛など一切しないのだけれども今は仕事中、演技で、恋愛に夢中な女を装っているのであって、このギャラでギロッポンのエステティックサロンでシースーでも食いながらサンバでも情熱的に踊ろうかしらん、といった心の声が視聴者に伝わる気がするのであるし、俳優が趣味は腹踊りです、などと公表しようものなら、自分が幼い時多額の借金を家庭に残して蒸発した父親と町中で偶さか出逢ったものの彼はもはやホームレスと成り下がっておりそれはもう見て居られぬ程の醜悪な風貌・有様で、再会できた喜び・悲しみ・虚無感が一気に押し寄せた時の息子の演技をしている際も、本来の姿即ち「趣味は腹踊りです」が過ってしまう危険性があるのであり、こうなってしまったら、つまり趣味は腹踊りを思い出してしまったら、終いで、興醒めもいいところ、一瞬にして現実に引き戻され、このギャラでザギンのキャバレーでシースーでも食いながら腹で踊ったろ、といった心の声が視聴者に伝わってしまう。
詰まるところ、逆に、真に価値のある一廉の役者というのは演技を現実世界と混同させない、というのは前提として演技こそを現実と思い込ませる能を持っている人間であり、自ずと無名でありながら演技力のある者という条件が課せられるのであって、そういう意味ではこの間偶偶ローカルな映画館で観たごくマイナーな映画が結構面白く、誰一人役者の事は知らんのだけれども、それが非常に心地良かったというか、そもそも、日本の映画というのは、なんか、陰気というか陰湿というか、じめじめした感じがあって、好きじゃないのだけれども、それを差し引いても非常にオモローだった。オモロー。オーモロ。
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