小生、このように見えて話す事がこれ不得手である。このように見えてというのはこのように俗悪な文章をむだに脈脈としたためる癖のある人間のくせにという意味で、逆に言えば話す事が苦手だから書く、という訳かも知らん。
とは言っても、人並みに話はするし人と喋る事は嫌いじゃない。言葉を発する際に「あのう、えっと、そのう」なんていってしどろもどろに為ったりするわけでもなく、ほな、何があかんのかと云うと、このような職業柄、まあ職業じゃないけど、個人の性質なのか知らんけど、こう生きておると多面にわたって深く思考することが様々在って、そういうのは文章にすれば造作の無い事なんだけれども、話すとなるとちょっとね。へへ。
たとえば、小生良く聞かれる事が在って、「なんで詩ィ書こうと思ったん?」ってやつなんだけれども、是れを大雑把に回答するとすれば「俺学生時代シュルレアリスムに傾倒してさ、画家を志して絵ェを描いていたんだけれども、このシュルレアリスムってのがこれもとは文学って云うかつまり詩って云うかさ、アンドレ・ブルトンが提唱した訳なんだけども、俺もシュルレアリスムを研究していた立場上、ブルトンの文学なんか読む羽目になってさ、で恰度絵ェ描いて二年くらいになるとき、絵の限界って云うかさ、絵では描き切れない表現の領域みたいなもんが在ることに気が付いて、そこを埋めるためっていうか、まあ溜まった思考を消化?って言うのが適切なのかは知らんけど、そうする手段として文学ってのが在って、俺仰山本読んでたし、詩のおもしろさも判ってきた頃やったから、こりゃええやんけとか何とか、書き始めたことが契機になった気がするなぁ。」とまあこの様な感じになる訳で、我ながら非常に分かり易くしかも簡潔に書けたなぁ、安住。と言った具合なのだけれども、これを実際に人間を相手にして口で言ふとなると難儀なことで、「なんで詩ィ書こうと思ったん?」なんて先方からすれば、相手がテレビジョンや雑誌のインタビュアーで無ければ、気軽な思いで聞いてきている事是れ間違いなく、其れにたいしてこちらが右のように長長とこたえを述べるのはコミュニケーション上宜しくなく、「何や此奴、急に滅茶苦茶喋るやん」とどん引きされる事是れも間違いがないので、結果「んー、まあ、おれ、詩ィ結構読むし。」といったしょうも無い回答になるのであり、これは「車てなんぞや?」といった問いに対して「動く鉄の塊だぜ、ベイビー。」と答える事と同様で正確なのか正確でないのかよう分からん回答に落ち着くのが関の山って云うか、そういう具合になるので私は話すという事が苦手だなぁと感じる。
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