何か作品を書いて、人に認知されるには、人に共感されなければならないと思う。
それがもっと多くの人に、と思うならば、もっと多くの人に共感されるものを書かなければならない。
となれば、自分は多くの人と同じ思想・考えを持たねばならぬ、ということになってくる。
その理屈の根拠として、例えば恋愛歌がある。人気な恋愛曲というのは、聞いて「わかる」と思わせる、例えば「アイツの事好っきゃねん。でもな、こんなに好きなのにな、アイツを前にすると俺はかかしみたいになって、何も出来ない何も言えない。切ない」みたいな歌詞なんかを聞いて、分かる。俺も吉田のまえだとかかしみたいになるのよ。今までこういう場合、かかしって言う奴いなかったけどな。思えばかかしですよ。俺なんて。分かる。ってか、俺のこと分かってくれてるよね、この人。俺のソウル、マジで代弁してくれてる。最高。といった具合に共感する人がその曲のファンとなり、其の数が多い、という事で人気、という事になる。
しかし同じく恋愛曲でも、
「アイツの事好っきゃねん。一体どこが好きかといわれたら色々ありますけど、まずピータンみたいなケツですね。あれは、最高です。輪切りにしてパイン添えたいです。その中で吉田とサーフィンしたいです。切ない」みたいな歌詞であったら全く共感出来ない。ピータン?は?みたいな。しかし自分なんかはこっち派である。つまりかかしよりピータン派と言うことで、もしこの二種の歌詞の曲があって音楽的なところは同様のものとして、どちらが好きですか良い曲だと思いますか、と尋ねられた場合、俺は、おもろ。と思ったピータンの方を選ぶだろう。
だから自分もそう云った作品を書く。従って共感を得ず、人に認知されない。それはピータンを選ぶセンスが悪いのであって、つまり人とセンスが違ってはいけない、変わり者で有ってはいけぬのである。
そのために、まず多くの人と同じ感覚・センスを持たねばと思ったら明日は休日、一般的な人間の感覚・センスを知る為に、とりあえず近所で一般的な人間を一人家に攫って来て尋問に掛け、もしその人が一般的な人間の感覚・センスを持ち合わせていないと認められた場合は腹いせに木材に張り付けかかしにして知り合いの農夫に送り付けて金をせびり、もしその人がピータンみたいなケツをしていた場合は輪切りにしてパインを添え、くわぁーーーーーーーー。やってしまった。これが駄目。
ピータン。(アーメン)
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