Q、入信すると、お金がかかるのではないですか?
A、毎月五百円の「霊線保持御礼」を納めていただくことになっています。他に「お浄め御礼」「お玉串」「御守護御礼」等の御奉納がありますが、これらは金額も自由で、全く強制されるものではありません。
(霊線保持御礼以外は強制ではありませんが、半強制的ではあります。自発的に奉納する方が浄まると教えられており、教団内での地位も一度に高額奉納した人ほど上がります。高額奉納した人の御守護談等でもそれとなく“奉納額が大きいほど浄まる”という風に示唆されています。ハッキリと言わないところがミソですね。示唆に留め、組み手自ら“もっと奉納したい”と思い込むように上手くコントロールしているのです。だから組み手は強制性がなくても自分から額を増やそうとするようになります。また霊線保持御礼以外にお金を全く納めないでいると、周りから白い目で見られたり上の方からひとこと言われたりするので、やはり納めないでいるわけにもいかなくなります。行事も多く、出席すればその度に納めることにもなります。もちろん普段のお参りの度にも納めます。組み手同士の付き合いにも多少かかります。何より先ず、入信前の初級研修に15,000円かかります。ですから「入信したらそれなりにお金がかかる」と思っていてください。普通に道場に通っていたら月500円だけという訳にはいきません)
→霊線保持御礼
→お浄め御礼
→御守護御礼
Q、奇跡を売り物にするのは、信仰として低級ではないでしょうか?
A、低級ではありません。人々を救うには奇跡が必要です。
(私は低級だと思います。奇跡が低級なのではなく、人としてすべき地道な努力より奇跡ばかりを重んじる教団のその姿勢が低級なのです。また、イエス様やお釈迦様を引き合いに出し彼らも奇跡を起こしつつ説法したとして真光の行いも正当化していますが、自分から奇跡を売り込んだりせず周りの人々から自然に感謝されるようになった彼らと、自ら“奇跡奇跡、スゴイスゴイ”と騒ぎ立て布教に利用しまくった光玉さんとでは格が違います)
Q、この教えに入ると、他の信仰を捨てなくてはいけないのではないですか?
A、捨てる必要はありません。
(ただし真光の教えの中には他宗教の教えとは相対するものもあるので、他教団から崇教真光へ来てその教えに悩む人もいます)
Q、教えのことがよくわかって、ナットクしてから信仰したい。
A、入る前にわかるくらいなら、入る必要はないと思われます。納得するには時間がかかります。理論理屈よりもまず体験を。
もしかするとアウトラインを知りたいだけということかもしれませんが、そのアウトラインが三日間の初級研修なのです。一日や二日ではダメです。三日なら三日間というものを聞かないとわからないのです。
(初級研修=入信です。まだ入信するつもりはないけどどんな教えか興味があるから…と思って研修を受けると自動的に入信したことになりますのでご注意ください。私から見れば「納得するのに必用な時間=マインドコントロールに必用な時間」です)
Q、「道場」という所は、何をする所なのですか? 毎日行かなければいけないのですか?
A、手かざしや教えを学び、魂の修験をするところです。
(毎日行かなければいけないのか、という質問に対する答えはなく「道場にお参りすることはとても大切なことです」としかありませんでした。実際には決まりはなく、毎日行く人もいれば週一月一の人もいますし、全く行かなくなってしまった幽霊信者もたくさんいます)
→道場
Q、教団活動のために、家庭のことがおろそかになるのではないですか?
A、誤った神向(信仰)をしているとなります。
(真光には教団活動に夢中になるあまり家事が疎かになり、家族と上手くいかなくなってしまった人が大勢います。教団では建前上「家庭のことをキチンとしなさい」と指導しています。しかし一方で「自ら進んでご奉仕する方が浄まる」とも教えられており、「御神業を優先したら御守護を賜った」という体験談の発表も許されているので、それら曖昧な指導の結果、家庭より教団活動を優先してしまう人が続出するのです。元々家庭に問題のある人が集まって来やすい場所なので尚更です)
Q、会社では宗教活動を嫌っているから、勤務上さしつかえるのではないですか?
A、教えを守っていればその心配はありません。
まず自分が「あの人は崇教真光に入って良くなった、変わった」と言われる人になる事です。その上に「手かざし」という素晴らしい業によって悩み苦しむ人々をお救いすることが大切です。自分が変われば向こうから興味をもって尋ねてきます。求められて初めてお話をすればよいのです。
(これは一般人からの質問というより組み手からの質問のようですが……。勤務時間中の御神業は控えましょう。時間外でも職場で夢中になって手かざしをするあまり対人関係が悪化してしまった人が結構いますのでご注意ください)
Q、信仰に入ると、型にはまった人間になるのではないですか?
A、そのような心配はありません。
(実際には組み手全員が同じことを教えられ、同じことを信じ、同じように考え、同じように行動するので、逆に個性は無くなってきます。私から見れば組み手は型にはまった人間そのものに見えます。組み手の特徴は共通しています)
Q、宗教に入らなくても、信仰心があればいいのではないですか?
A、信仰心だけではいけません。自己流では基本も学べないので独りよがりの信仰になってしまいます。本物の宗教を選び、本物の神様に通じるには入った方がよいです。
(はっきり言ってしまうと少々都合が悪いので上手く言葉を濁していますが、要するに「他宗教の教えは間違っているものがあるから崇教真光に入って正神の下で正しい教えを学んだ方がよい」と教団側は言っているのです。「自分のところが正しい神で正しい教えだ」と信じているのはどこの宗教も同じですが)
Q、わざわざ神様と特別な縁を結ばなくても、人間は生きていけるのでは?
A、神様との縁は人間が知らないだけで、初めからちゃんとあるのです。
(質問の「特別な縁」とは「入信」という意味での御神縁のことです。つまり「入信しなくても人間は生きていけるのでは?」という質問のはずなのですが、教団側は答えたくなかったからか“生まれながらのご縁”の話にすり替えて答えてしまっています。実際にはもちろん入信しなくても生きていけます)
Q、社会の体制を変えなければ、信仰で世の中が良くなるとは思えない。
A、社会の体制を変えるよりも、正しい信仰の方が大事です。
(はっきりとは書いていませんでしたが、正しい信仰=崇教真光と暗に示しています)
Q、宗教は現実からの逃避ではないですか? お年寄りのやることではないですか?
A、崇教真光は違います。
(実際には現実にやるべき努力を放棄して楽な救いを求める人も多くいます。年齢層は中高年が多いですが、十歳から入信できるので若い人もいます。女性が多いです)
A、毎月五百円の「霊線保持御礼」を納めていただくことになっています。他に「お浄め御礼」「お玉串」「御守護御礼」等の御奉納がありますが、これらは金額も自由で、全く強制されるものではありません。
(霊線保持御礼以外は強制ではありませんが、半強制的ではあります。自発的に奉納する方が浄まると教えられており、教団内での地位も一度に高額奉納した人ほど上がります。高額奉納した人の御守護談等でもそれとなく“奉納額が大きいほど浄まる”という風に示唆されています。ハッキリと言わないところがミソですね。示唆に留め、組み手自ら“もっと奉納したい”と思い込むように上手くコントロールしているのです。だから組み手は強制性がなくても自分から額を増やそうとするようになります。また霊線保持御礼以外にお金を全く納めないでいると、周りから白い目で見られたり上の方からひとこと言われたりするので、やはり納めないでいるわけにもいかなくなります。行事も多く、出席すればその度に納めることにもなります。もちろん普段のお参りの度にも納めます。組み手同士の付き合いにも多少かかります。何より先ず、入信前の初級研修に15,000円かかります。ですから「入信したらそれなりにお金がかかる」と思っていてください。普通に道場に通っていたら月500円だけという訳にはいきません)
→霊線保持御礼
→お浄め御礼
→御守護御礼
Q、奇跡を売り物にするのは、信仰として低級ではないでしょうか?
A、低級ではありません。人々を救うには奇跡が必要です。
(私は低級だと思います。奇跡が低級なのではなく、人としてすべき地道な努力より奇跡ばかりを重んじる教団のその姿勢が低級なのです。また、イエス様やお釈迦様を引き合いに出し彼らも奇跡を起こしつつ説法したとして真光の行いも正当化していますが、自分から奇跡を売り込んだりせず周りの人々から自然に感謝されるようになった彼らと、自ら“奇跡奇跡、スゴイスゴイ”と騒ぎ立て布教に利用しまくった光玉さんとでは格が違います)
Q、この教えに入ると、他の信仰を捨てなくてはいけないのではないですか?
A、捨てる必要はありません。
(ただし真光の教えの中には他宗教の教えとは相対するものもあるので、他教団から崇教真光へ来てその教えに悩む人もいます)
Q、教えのことがよくわかって、ナットクしてから信仰したい。
A、入る前にわかるくらいなら、入る必要はないと思われます。納得するには時間がかかります。理論理屈よりもまず体験を。
もしかするとアウトラインを知りたいだけということかもしれませんが、そのアウトラインが三日間の初級研修なのです。一日や二日ではダメです。三日なら三日間というものを聞かないとわからないのです。
(初級研修=入信です。まだ入信するつもりはないけどどんな教えか興味があるから…と思って研修を受けると自動的に入信したことになりますのでご注意ください。私から見れば「納得するのに必用な時間=マインドコントロールに必用な時間」です)
Q、「道場」という所は、何をする所なのですか? 毎日行かなければいけないのですか?
A、手かざしや教えを学び、魂の修験をするところです。
(毎日行かなければいけないのか、という質問に対する答えはなく「道場にお参りすることはとても大切なことです」としかありませんでした。実際には決まりはなく、毎日行く人もいれば週一月一の人もいますし、全く行かなくなってしまった幽霊信者もたくさんいます)
→道場
Q、教団活動のために、家庭のことがおろそかになるのではないですか?
A、誤った神向(信仰)をしているとなります。
(真光には教団活動に夢中になるあまり家事が疎かになり、家族と上手くいかなくなってしまった人が大勢います。教団では建前上「家庭のことをキチンとしなさい」と指導しています。しかし一方で「自ら進んでご奉仕する方が浄まる」とも教えられており、「御神業を優先したら御守護を賜った」という体験談の発表も許されているので、それら曖昧な指導の結果、家庭より教団活動を優先してしまう人が続出するのです。元々家庭に問題のある人が集まって来やすい場所なので尚更です)
Q、会社では宗教活動を嫌っているから、勤務上さしつかえるのではないですか?
A、教えを守っていればその心配はありません。
まず自分が「あの人は崇教真光に入って良くなった、変わった」と言われる人になる事です。その上に「手かざし」という素晴らしい業によって悩み苦しむ人々をお救いすることが大切です。自分が変われば向こうから興味をもって尋ねてきます。求められて初めてお話をすればよいのです。
(これは一般人からの質問というより組み手からの質問のようですが……。勤務時間中の御神業は控えましょう。時間外でも職場で夢中になって手かざしをするあまり対人関係が悪化してしまった人が結構いますのでご注意ください)
Q、信仰に入ると、型にはまった人間になるのではないですか?
A、そのような心配はありません。
(実際には組み手全員が同じことを教えられ、同じことを信じ、同じように考え、同じように行動するので、逆に個性は無くなってきます。私から見れば組み手は型にはまった人間そのものに見えます。組み手の特徴は共通しています)
Q、宗教に入らなくても、信仰心があればいいのではないですか?
A、信仰心だけではいけません。自己流では基本も学べないので独りよがりの信仰になってしまいます。本物の宗教を選び、本物の神様に通じるには入った方がよいです。
(はっきり言ってしまうと少々都合が悪いので上手く言葉を濁していますが、要するに「他宗教の教えは間違っているものがあるから崇教真光に入って正神の下で正しい教えを学んだ方がよい」と教団側は言っているのです。「自分のところが正しい神で正しい教えだ」と信じているのはどこの宗教も同じですが)
Q、わざわざ神様と特別な縁を結ばなくても、人間は生きていけるのでは?
A、神様との縁は人間が知らないだけで、初めからちゃんとあるのです。
(質問の「特別な縁」とは「入信」という意味での御神縁のことです。つまり「入信しなくても人間は生きていけるのでは?」という質問のはずなのですが、教団側は答えたくなかったからか“生まれながらのご縁”の話にすり替えて答えてしまっています。実際にはもちろん入信しなくても生きていけます)
Q、社会の体制を変えなければ、信仰で世の中が良くなるとは思えない。
A、社会の体制を変えるよりも、正しい信仰の方が大事です。
(はっきりとは書いていませんでしたが、正しい信仰=崇教真光と暗に示しています)
Q、宗教は現実からの逃避ではないですか? お年寄りのやることではないですか?
A、崇教真光は違います。
(実際には現実にやるべき努力を放棄して楽な救いを求める人も多くいます。年齢層は中高年が多いですが、十歳から入信できるので若い人もいます。女性が多いです)